第4話 時魔術を使ってみた


 過去に戻って1日目の朝。

 俺は自室を出て、エルとともに家の食卓へと向かった。


 食卓のある部屋に入ると、温かい料理の匂い。

 そして、エルの両親の声が俺を出迎えた。


「おはよう、クロム」「クロムちゃん、おはよう」


「あ……」


 思わず、立ち尽くす。


 エルの父であり、俺の剣の師匠でもあるシリウス・ムーンハート。

 そのシリウスさんの妻であるレイナ・ムーンハート。


 実家から追い出された俺を引き取り、家族同然に育ててくれた心優しい夫妻――。

 1周目では守れなかった人たちが、そこにいた。


「誕生日おめでとう、クロムちゃん」


「クロムも16歳になるのか」


「もう8年になるのね。クロムちゃんがうちに来てから」


「……? どうしたんだ、クロム? そんなところで、ぼけっと立って……」


 どうしてか、彼らのしゃべる声が、どこか遠くに聞こえる。

 温かい食卓の風景が、なぜかぼやけて見える。



「…………クロム?」「クロムくん?」「……クロムちゃん?」



「え……あれ……?」


 3人の心配そうな声で、ようやく気づいた。

 俺の頬に涙がつたっていることを……。


「どこか痛いのか、クロム?」


「いえ、違うんです……誕生日が、うれしくて」


「な、泣くほどにか……?」


 ここにはエルがいて、シリウスさんがいて、レイナさんがいる。

 それを見て、改めて実感した。


(……帰ってこれたんだ、あの日々に)


 まだ平和だった時間。

 俺が守りたくて、守れなかった時間だ。


「クロムちゃん、悪いけどお皿運んでもらえる?」


「あ、はい」


 レイナさんが台所のほうから声をかけてくる。

 俺を気持ちを切り替えて、皿を受け取りに向かった。

 一応、俺のこの家での立ち位置は、“住み込みの従者”ということになってるからな。


「クロムくん、わたしも手伝うー」


 エルもお盆に乗った皿を受け取り、おぼつかない足取りで歩きだし――。



「うわっ、と……ととと……!?」



 皿を乗せたお盆を運んでいたエルが、すてーんっと足をすべらせた。

 料理や皿が宙に放り投げられる。


(……! 危ない!)


 俺はそう認識すると同時に、反射的に術式を構築した。



「――“時間加速ヘイストⅡ倍速ダブル・スピード”」



 そう小声で唱えるとともに――。


 ――世界がスローモーションになった。


 足をすべらせたエルの体が、お盆から放り出された皿や料理が……ゆっくりと宙を舞う。

 そんな世界の中を、俺だけがいつも通りの速度で動く。


 これは自身の固有時間を早める、時魔術の“倍速術式”だ。

 未来いつもの感覚でとっさに魔術を使ってしまったが。


(……とりあえず、未来の魔術はちゃんと使えるみたいだな)


 それがわかったのは収穫だった。

 俺はゆっくりと落ちていくお盆をつかみ、もう片方の腕で倒れそうになっていたエルを抱きとめる。

 そして――。



「――“倍速解除”」



 その一言とともに、ふたたび世界は動きだす。

 すとととと……と、皿がお盆の上に綺麗に着地し――。


「エル、危な――って、あら?」


「うわぁあ――って、あ、あれ?」


 俺の腕の中でエルが目をぱちくりさせた。

 その場にいた誰もが、しばらくぽかんと口を開ける。


「い、いったいなにが……? それにクロムくん、いつからそこに……?」


「え、あー……」


 エルを助けるためとはいえ、ちょっと目立ってしまっただろうか。


「そ、それより、怪我はないか? 足ひねってたりしてない?」


「う、うん、それは大丈夫だけど」


「どうかしたのか?」


 エルがもじもじと赤くなった顔をそらす。


「こ、この体勢……ちょっと恥ずかしい……かも……」


「あ、ごめん」


 そういえば、エルをずっと抱きしめたままだった。


「あ……」


 慌ててエルを離すと、なぜかちょっと名残惜しそうな顔をされる。

 俺がそのまま食卓のほうへお盆を運んでいくと。


「いやぁ……すごかったね。今のクロムの動き」


 シリウスさんが、ほぅっと感心したような吐息を漏らしていた。


「宮廷騎士でもできないよ、あんなのは。いつの間にあんな動きができるようになったんだい?」


「えっと、ちょっと身体強化の魔術が使えるようになって」


「クロムくん、魔術が使えるようになったの!?」


 その場にいた全員が目をまん丸にする。


「ちょ、ちょっとだけだけどね」


「よかっだね、クロムくん……ずっと頑張っでたもんね……ぐす……」


「ついにクロムちゃんが魔術を……今日は本当におめでたい日ね」


「いやでも……今のは身体強化、かなぁ?」


 エルとレイナさんが涙ぐむ。

 ただ、元宮廷騎士のシリウスさんには、怪訝そうな眼差しを向けられてしまったが。


(……まあ、時魔術のことは黙ってたほうがいいだろうしな)


 この時代には、まだ実在していない魔術だ。

 未来の俺が執念で作り上げた、世界のあり方さえ変えてしまうほど強大な魔術。


 もしも、時魔術の存在があの悪名高い“魔術士協会”の連中にでも知られたら……目的のためなら手段を選ばないようなやつらだ、なにに使うかわからないし、情報を得るためにとムーンハート家にも危険がおよぶかもしれない。


 それに、昨日までまったく魔術が使えなかった俺が、そんな魔術をいきなり極めているというのも不自然すぎるだろう。

 この家族には、あまり心配をかけさせたくはない。


「とりあえず、エルも料理も無事でよかったよ」


 俺はひとまず話題を変えることにした。


「そうね。ありがとね、クロムちゃん」


「うん、ありがとう、クロムくん!」


「いや、ははは……」


 素直にお礼を言われたことなんて久しぶりだから、どうにもこそばゆい。


「それじゃあ、料理も無事に食卓に着いたことだし、朝ご飯にしましょうか」


 レイナさんがぽんっと手を合わせる音で、俺たちは食卓についた。

 目の前に並べられた、湯気の立つ料理を見て……ふと、思う。


(……そういえば、まともな料理なんて久々だな)


 1周目では、戦場か研究室のどちらかにこもってばかりだったしな。

 短時間で栄養補給することだけ考えて、どろどろの冷たい野菜粥ばかり食べていた気がする。

 それも家庭料理なんてものを食べるのは、それこそ100年ぶりだろう。

 俺は試しに1口、料理を口に運び――。


「……っ」


 そこからは、手が止まらなかった。


「おお、今日はいい食べっぷりだね、クロム」


「は、はは……レイナさんの料理が美味しくて」


「ふふ、ありがとう。でも、毎日食べてるでしょう?」


「もう、変なクロムくん」


 エルたちにくすくすと笑われる。

 笑顔の絶えない温かい食卓だ。

 ただの視覚刺激と味覚刺激でしかないのに、目頭がまたじわっと熱くなる。


(……俺の人生にも、こんな平和で幸せな時間があったんだな)


 今となっては信じられない。

 だけど――。


(……このままだと、今日の夕方の“大災厄”でこの人たちは死ぬ)


 1周目、潰れた家の前で立ち尽くしていたときのことを思い出す。

 もう二度と、あんな思いはしたくない。


(……俺が守るんだ)


 この大切な人たちを。この幸せな時間を――。


「クロムくん? どうしたの、また怖い顔してるけど……」


「え?」


 気づけば、エルが心配そうに顔をのぞき込んでいた。

 さすが幼馴染だけあってか、俺のちょっとした表情の変化にも敏感らしい。


「いや、ちょっと誕生日の予定について考えてただけだよ」


「そんな真剣に……?」


 いけないな、エルに心配をかけさせるようでは。

 この幸せな時間を、俺が壊すようではダメだ。


 とにかく、今はこの楽しい時間を満喫しよう。

 今日の“大災厄”までは、まだ時間があるのだから――。



   ◇



「クロムちゃんが家事を手伝ってくれるから助かるわ」


「いえ、お役に立ててるなら、なによりです」


 朝食後、俺はレイナさんの家事を手伝っていた。

 家族同然に扱ってもらっているが、一応、この家での俺の身分は“従者”だ。

 もちろん、夕方の心配もあるが……。


(……下手に行動を変えすぎると、歴史が予想外の方向に変化するかもしれないしな)


 そうなると、せっかくの未来知識も役に立たなくなってしまう。


(今はできるだけ、当時の生活をなぞろう)


 まあ、単純に1周目にはできなかった親孝行をしたいというのもある。


「それじゃあ、今日はお天気もいいし、まずはお洗濯をしましょうか」


「あ、そうだ。今日の洗濯は、俺1人に任せてもらえませんか?」


「え、1人で? 洗濯ってけっこう大変だけど大丈夫?」


「はい。重労働だからこそ男の俺がやるべきだと思いまして」


 まだ100年後のように洗濯魔道具も洗濯板もない。

 踏み洗いと叩き洗いが主流の時代だ。

 洗濯はめちゃくちゃ疲れるし、シミ抜き液などの種類も多くて難しい。

 王都まで行けば洗濯魔術を使えるクリーニング屋もいるが、けっこう費用がかかるため普段から気軽には使えないだろう。


「でも、1人でやらなくても……」


「いえ、ちょっと1人で試したい洗濯の秘術があって」


「せ、洗濯の秘術? まあ、そこまで言うなら頼もうかしら。わからないことがあったら、厨房にいるから聞きに来てね?」


「はい」


 こうして、俺は1人で中庭に残る。

 もちろん、洗濯の秘術なんてのは1人になるための方便だ。

 俺の目的は、ただ1つ。


(……さて、魔術の検証をさせてもらうか)


 この時代の俺の肉体で、どれだけ魔術を使えるのか検証しておきたかった。

 ちょうど洗濯は、時魔術の検証をするうえでも都合がいい。

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