第56話 人形

「さて――これでチェックメイト、かな?」


「あ……」


 そう言って、俺はメモリアの抱えていた本を取り上げる。

 おそらく、この本がメモリアの魔術の発動体だ。

 これがなければ、メモリアは魔術を使えないだろう。


「それじゃあ、少し話をし――」


「……返すの。返すの」


 メモリアが俺から本を取り返そうとぴょんぴょんジャンプする。


「……キックなの。キックなの」


 ぺしぺしと蹴りを入れてくる。


「…………」


 この子、すっごい往生際悪いな……。


「えい」


 俺がこつんと本でメモリアの頭を叩くと、彼女は頭を押さえてしゃがみ込んだ。


「…………痛いの」


 じわっ、とメモリアが無表情のまま、目に涙をためていく。


「……ひどいの。やっぱり、クロム・クロノゲートは悪いやつなの」


「えっ、そこまで痛くした覚えは……ご、ごめん」


 思わず、おろおろしてしまう。


(いや、なんだこの弱々しい生き物は……?)


 ついさっきまで出していた強キャラ感が行方不明になってるんだけど。

 魔術が使えないとポンコツすぎるだろ。


「……くっ、殺すの」


「殺さないよ」


「……そうなの?」


 メモリアがきょとんと俺を見上げてくる。

 なんだか、毒気を抜かれてしまう。


「とりあえず、君には聞きたいこともあるし、とっとと降参してくれるとうれしいんだけど」


「……それはできないの。メモリアはクロム・クロノゲートの記憶を奪わないとダメなの。だから、記憶ちょうだいなの」


「おねだりされてもね」


「……どうしても、ダメなの? 忘れるのは怖くないの。忘れたことも忘れてしまうの」


 メモリアが不思議そうに首をかしげる。

 彼女にとっては、記憶とは簡単に付け替え可能なものなのだろう。だからこそ、『他人の記憶を奪うことが悪い』という考えもないのかもしれない。


「代わりに、いろんな人の幸せな記憶をたくさんあげてもいいの。幸せな記憶でいっぱいになれば幸せなの」


「いや、俺にとってはどんな記憶も大切なものなんだ。さすがに仕方ないなで記憶はあげられないよ」


 とくに、俺の今の力は、未来の記憶によるものだからな。

 記憶がなくなれば、俺はただの“落ちこぼれのクロム”でしかない。

 だからこそ、俺はこの時代の誰よりも、メモリアを警戒していたのだから。


(……まさか、こんな簡単に勝てるとは思わなかったけど)


 もっといろいろ作戦も立ててたし、魔術も仕込んでたんだけどな……。

 思ったより、メモリアの戦闘能力がポンコツだった。


「……でも、困ったの。記憶を奪わないと、“お父様”に怒られちゃうの」


「“お父様”?」


「……メモリアは“お父様”の人形なの。だから、“お父様”の命令は絶対なの。メモリアは“お父様”のために生きて、“お父様”のために死ぬの。メモリアはそのために作られたの」


「…………そうか」


 メモリアの“お父様”――そう呼べる人物は限られている。


「君の“お父様”っていうのは……もしかして、命の賢者クレイドル・デスターのことかな?」


 平静をよそおって尋ねるが、わずかに手のひらに汗がにじんでいた。


 十二賢者・第4席――命の賢者クレイドル・デスター。


 それは、未来を破滅に導いた元凶人物キーパーソンの1人。

 魔王化計画の中心人物であり、人工的な魔王を生み出すことに成功した天才的な生命魔術士。

 アルマナの町に魔王を差し向けた張本人――俺の仇だ。


(とくに……魔王の大量出現については、ほとんどクレイドルが原因だからな)


 この時代ではまだ、魔王細胞は研究途上の代物。

 クレイドルを殺せばその研究データや製法は失われるだろう。

 さらに、やつが持っている魔王細胞を処分できれば……少なくとも、しばらくは魔王の出現が止まるはずだ。


 そのためにも、未来で『クレイドルの手先として動いていた』という記録があるメモリアからは、できるだけ情報を引き出したかったが……。


「……名前は忘れたの」


「わ、忘れちゃったんだ」


「……だって、メモリアは定期的に記憶をリセットしてるの。とくに“お父様”のことは念入りに忘れさせられるの」


「忘れさせられる? それも……“お父様”の命令なのか?」


「……そうなの。メモリアは“お父様”の人形なの。だから、余計なことは覚えてちゃダメなの」


「………………そう、か」


 定期的に記憶をリセット。それは、おそらく……。

 人形を人形のままでいさせるために。反抗意思を芽生えさせないために。余計な情報を漏らさないために――そう命じているのだろう。

 でも、それはまるで……道具そのものの扱い方じゃないか。


「……大丈夫なの? 痛いの?」


「え?」


 ふと気づけば、メモリアがじぃっと俺の顔をのぞき込んでいた。


「……なんだか、泣きそうな顔してるの」


「あ……」


 言われて気づく。俺の顔がひどく強張っていることに。

 そんな俺に向けて、メモリアは短い腕をぶんぶんと振り回し始めた。


「……痛いなら、メモリアが忘れさせてあげるの。痛いの痛いの飛んでいけー、なの」


「えっと、それは?」


「……誰かの記憶で見たの。魔術が使えなくても、こうすると痛いのを忘れられるの」


 メモリアが無表情のまま得意げに言う。

 本当にとらえどころのない少女だ。

 だけど――悪い子ではないのだろう。

 思わず苦笑を漏らしながら、俺は頭をかいた。


(ああ、まったく……俺の悪い癖が出てきたな)


 敵だというのに、情を移してしまうなんて。

 未来ではこれで、嫌というほど痛い目を見てきたというのに。


「もう大丈夫みたいだ。心配してくれてありがとな」


「……? メモリアはあなたを心配してたの?」


「そうじゃないのか?」


「……わからないの。メモリアの記憶にはない気持ちなの」


「そうか。でも……きっと、君は優しい子なんだね」


 頭にぽんっと手を置くと。


「……? それ、好きなの。もっとなの。もっとなの」


 ぴょこぴょこ背伸びして、なでなでを催促してくるメモリア。

 仕方がないので頭をなでると、ご満悦そうにふんすーと息を吐く。

 その仕草を見ていると、ついなごみそうになる。


「いや……さっきまで戦ってたんだけどな、俺たち」


「……?」


 なんか、一瞬で懐かれたな……。

 メモリアの姿からは、もはや敵意は1ミリも感じられない。


(……“お父様”に命令されたから記憶を奪う、か)


 メモリアが俺の記憶を奪いたい理由は、本当にそれだけなのだろう。

 べつに俺に敵意を持っているわけではないのだ。


 まっさらな白紙のような少女。

 悪でも善でもなく、何色にも染まっていない。

 命令を書き込まれて、ようやく動くことができる――人形。


(結局……メモリアを倒したところで、意味がないってことか)


 わかっていたことではあるが。

 今回のメモリア襲撃も、あくまで“お父様”――命の賢者クレイドル・デスターの意思によるものだ。

 メモリアがいなくても、別の手駒を使って襲撃され続けるだけだろう。

 ならば、ここからは守りではなく――攻めに転じるべきか。


「メモリア。1つ、俺と取引しないか?」


「……なんなの?」


「君は“お父様”に怒られたくない。でも、俺は記憶を奪われたくない。それなら――」


 俺はメモリアのきょとんとした瞳を見すえながら言う。


「――俺を“お父様”に会わせてくれ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る