第34話 決着


 第3の魔王――時空王クロノゲート。


 それは、世界最強の化け物と恐れられた未来の俺の姿だった。

 その魔王としての権能は――“時空支配クロノス

 この世の時間法則を従える力。

 物体の固有時間だけではなく、世界の絶対時間に干渉する力だ。



『……よくも』『……よくもよくもよくも』『……よくも私達わたしを』『……殺してやる』『……手足をもいで』『……舌を引き抜いて』『……目玉をくり抜いて』『……全身をじっくり溶かして』『……あなたの悲鳴で遊びましょう?』『――永遠に』



 体の一部を奪われた魔王アルティメルトが、憎悪のこもった幼い声で叫ぶと。

 ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ――ッ! と。

 スライムの腕が全方位から、水色の檻のようにそそり立った。

 宙に浮かんだ瓦礫の上では逃げ場はない……が。


「無駄だ――お前は、“時間おれ”を敵に回した」


 とんっ、と。

 荒れくるうスライムの大海へと、俺は自ら飛び込んだ。


 俺の足が触れたところから――渦を巻くように全ての時間が戻っていく。

 スライムの腕も、呑み込まれた魔物たちも、床に散乱したガラス片や瓦礫も……。

 くるくると宙に浮かび上がり――パズルを組み立てるように、過去の実験場の景色を形作っていく。


「全ての存在は、“時間おれ”には逆らえない。たとえ不滅であろうと、この世の全てには始まりがある」


 俺の背後で復元された培養槽の中で、魔物たちがみるみる縮んでいき――次々と消えていく。

 やがて、培養槽の群れもばらばらと解体されていき、全ては光の塵となって消滅していく。


『……ひっ!?』『い、いやっ』『やだっ!』『私達わたしを取らないでっ!』


 俺が歩くたびに、魔王アルティメルトは分解され、消滅していく。

 そのまま、俺はこの魔王の中心部――少女の形をしたスライム体へと近づいていく。

 魔王の声から、みるみる余裕が消えていく。


『……まだ、私達わたしは終われない』『夢……』『希望……』『愛……』『優しさ……』『家族……』『友達……』『未来……』『まだ、どれも私達わたしじゃないっ!』『みんな、みんな……私達わたしにするんだから――っ!』


 魔王アルティメルトが泣き叫ぶ。

 母親の姿を探す赤子のように。生まれてきたことを呪う赤子のように。


 スライムがぼこぼこと泡立ちながら、数百の魔物たちの姿をなして襲いかかってくる。

 火炎、毒液、鋭牙、巨爪、咆撃、風刃、氷槍、雷弾……。


 しかし――俺に近づく前に、全ては塵となり消滅していく。

 どんな攻撃も、“俺に届く時点”にまで到達することはない。


「……お前が進もうとしている未来には、破滅しかない」


 俺は歩みを止めず、魔王アルティメルトの中心部へと進んでいく。


「俺は知っている……お前がこの先にたどり着いた未来を。お前は求めた全てを喰ったすえに――なにもない暗い穴の中で、ひとりぼっちで泣き続けるんだ」


『……そんなの』『……嘘よ』『……信じない』


「どれだけお前が愛されたくても、お前に触れられたものは全て溶けて消える。どれだけの人間を喰おうと、お前は孤独なままだ。むしろ喰らえば喰らうほど、お前は孤独になっていく」


 究極の生命体――無限増殖する不老不死。

 不完全でない命など、ただの化け物でしかない。

 完成されてしまった命は、幸せになれるようにできていない。

 どれだけ寂しくても、どれだけ悲しくても、この魔王は死ぬことすらできない。

 できれば……この魔王が誕生するのを阻止してやりたかった。


『――う、嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ!』『嘘だ――ッ!』


 魔王アルティメルトが耳をふさぎ、いやいやするように首を振る。

 これ以上、俺がなにを言っても無駄か。


 この魔王は、独りでいるのが寂しくて泣いている子供なのだ。

 その先が破滅だと知ってもなお、この魔王は誰かを求め続け――求めたもの全てを溶かし尽くそうとするだろう。

 だから、そうなる前に……。


「せめて、俺がお前を終わらせよう――魔王アルティメルト」


 そして、俺は魔王の中心部までたどり着いた。

 そこにある少女の形をしたスライム体と、俺は対峙する。


『終わらせる……?』『私達わたしを……?』『――どうやって?』


 そこでスライムの少女が、ぞっとするような笑みを浮かべた。


『……私達わたし、知ってるよ?』『あなたの魔力は、もうおしまい』『あれだけ魔法を使ったんだもの』『今のあなたじゃ』『私達わたしは殺せないよ?』


 たしかに、今の俺にはもう大魔法を使えるほどの魔力はない。

 周囲の空間にある魔力も、魔王アルティメルトに喰われている。

 だけど……。


「いや、魔力ならあるさ」


『……え?』


 俺に扱えるのは、にある魔力だけではない。

 手にしていた透明な剣を、俺は頭上へと掲げた。



「集え――」



 その瞬間――。

 俺の体内の魔力回路が、びきびきと異常な方向へと歪みだした。

 俺の“目”には、その歪みの先にあるものが視えている。


 それは――この時間ではない“俺”の魔力回路。

 過去や未来の“俺”の魔力回路が、四次元方向へと歪んでいき――。


 ――時間を超えて、“現在いま”へとつながる。


 あらゆる時間の魔力回路を通して、あらゆる時間の“俺”の魔力が流れ込んでくる。

 その量は……莫大だ。


『……!?』『……!』『……なんで!?』『なに、この魔力……!?』『……どこから!?』『なんで!?』『……なんで!?』『……なんで!?』『なんで!?』『……なんで……!?』


 強大な魔王ですら気圧されるほどの魔力量。

 人が一生に飲む水の量が膨大であるように、人が一生のうちに保持する魔力の総量もまた計り知れない。


 その全ての魔力を、時間を超えて扱う――。

 それこそが、未来の俺が最強へと至った理由。


 ただこのせいで、過去の俺は魔術が使えなくなるが……。

 今ならわかる。それもまた、必要な過程なのだと。


 過去の俺は魔術が使えなくなったことで、実家から捨てられ、人々から虐げられ、暗がりで泣きながら世界を憎み……エルに光の中へと手を引かれ、大切な人たちと出会い、優しさや温かさを知り……また全てを失い、100年間の地獄を味わい、やがて最強へと至り……。



 そして――この時間へとたどり着く。



 まるで時計の針のように、永遠にぐるぐると円環を描いて。

 ここから、全ての魔王を終わらせるために。

 ここから、全てを救うために――。



「――”時空支配クロノスⅫノ針ゼロ“」



 俺はそのまほうの名を呼ぶ。

 それは、始まりを終わらせる最初で最後の針。


 不滅の存在であろうと、始まりの瞬間は必ずある。

 その始源ゼロへと全てを巻き戻すまほうで、俺は――。


 スライムの少女の胸を――貫いた。



『…………ぁ……』


 魔王アルティメルトが、呆けたように呟くと。

 剣を刺されたところから、千々にきらめく雫が浮かび上がった。

 時間の逆行が始まったのだ。

 まるで流れた涙が空に帰っていくように、光の雫がはらはらと宙に溶けていく。


『…………』『…………わぁ』『…………綺麗』


 スライムの少女が、蛍の光を追うように小さな手のひらを伸ばす。

 その伸ばした手の先にあるのは――俺の頬をつたう雫だった。


『……どうして?』『……どうして?』『……どうして、泣いてるの?』『……私達わたしには……わからない』『……私達わたしとあなたは』『……敵だったでしょう?』


 消えゆく魔王が、不思議そうに首をかしげる。

 だけど、敵だったとか、そんなことは関係ない。


 たとえ、殺さなければならない最悪の魔王であったとしても。

 たとえ、この魔王の涙が偽物だったとしても。

 目の前に泣いている子供がいるなら、笑ってほしいから。


「……ごめん。君を愛してあげられなくて」


 最後に、俺はこの魔王を安心させるように優しく微笑んだ。


「でも……もう怖くないよ。もう寂しくないよ。だからもう――」


 俺は目を閉じて、告げた。




「――――終われ」




 その一言とともに。

 スライムの少女の全身が、ふわりと光の粒子となって舞い上がる。

 魔王は最後に残った手で、俺の涙をそっとすくうと。


『……あ……』『あた……たかい……』『…………』


 ふっと微笑んで、消えていく――。

 そして、涙のような小さな1粒の雫だけが、その場に残った。

 おそらくは、これが魔王アルティメルトの始まりの姿。

 その雫もまた、やがては宙に溶けるように消えていく。


「………………」


 これでもう、あの魔王が涙を流すことはないだろう。

 1周目で史上最悪と呼ばれた魔王は、この世界から完全に消滅した。



 ――第2の魔王、討伐完了だ。


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