第35話 ずっと見たかった未来
魔王アルティメルトの消滅を確認したあと。
なにもなくなった迷宮の広間で、俺はがくっと膝をついた。
「ぐ……」
ばきばきばきィ……ッ! と。
俺を中心に、床が破裂するように亀裂が走る。
魔王の力が暴走し――抑えきれない。
体内を雷のように駆けめぐる力の奔流に、理性や人格が呑まれそうになる。
(……タイムリミットか)
なんとか、魔王討伐は間に合ったが……。
これ以上はもう、人格も保てそうにない。
さすがに魔王細胞を一気に取り込んだのは、無茶をしすぎたかもしれない。
ただでなくても、俺には素質がないのだから。
今の俺は、ただの“大災厄”だ。
魔王はただ存在しているだけで、周囲に甚大な被害をおよぼす。
このままでは未来の俺のように、自分の手で――全てを破壊してしまう。
「…………っ」
そこで、ふと。
過去や未来を視ることができる俺の“目”に、暴走する自分の姿が映った。
全てを破壊して、完全に大災厄となりはてた魔王。
そんな自分が俺の前に立ち、時間を超えてこちらに手を伸ばしてくる。
お前もこっちに来い、と言わんばかりに。
それはきっと、1つの未来の可能性。
だけど――。
「……俺はそっちには行かないよ」
幻影をかき消すように、その手を振り払う。
本来ならば、魔王化を解くことはできない。
魔王になったが最後、ずっと魔王であり続けることになる。
しかし、俺だけは違う。
「――“時よ、戻れ”」
魔王化を解くには、その一言で事足りる。
肉体の時間を、“魔王ではなかった時点”まで巻き戻す。
髪の色が黒く戻っていき、床の亀裂の広がりが止まり、手にしていた剣が砕け散り――。
「…………はぁ……はぁ……」
なんとか理性を失う前に、人間に戻ることができた。
とはいえ……目眩と冷や汗がひどい。立ち上がるのがつらい。
もともと、魔王化する前に肉体は限界だったのだ。
万全ではない体調で、魔術をばんばん使いすぎた。
それに、魔王化による魔力回路への負荷は、時間を超えて残っている。
(……やっぱり、魔王化は気軽にやっていいものじゃないな)
魔王細胞は、ただのパワーアップアイテムではない。
リスクやコストが大きすぎる。元に戻れなくなる可能性だって充分にあるし、その膨大な力の余波だけでも周囲の人や物を破壊してしまう。
(とはいえ……まだこの力は必要だ)
まだ、全ての魔王を終わらせてはいない。
だから、魔王細胞は体内で時間を停止させたまま残しておくことにした。
これなら、普段は人間として生活しながら、いざというときに魔王化することができる。
ここは、常に魔王のままだった1周目との大きな違いだ。
「…………さて」
それはそうと――俺は天井を見上げた。
先ほどまで停止させていた迷宮が、めきめきと悲鳴を上げるように瓦礫を降らせている。
この迷宮はもう限界だろう。
部分的に迷宮の時間を戻したとはいえ、迷宮の崩壊を回避するのは厳しかったようだ。
もうちょっとゆっくりしたかったが、仕方がない。
あと、もう一踏ん張りだ。
俺はふらふらと立ち上がり、瓦礫の雨と対峙した。
その次の瞬間――天井がどばっと一気に崩壊した。
土砂崩れのように瓦礫がなだれ込んでくる。
すでに出口は崩壊している。迷宮の制御盤も機能していない。
脱出できる道があるとすれば――上だけだ。
俺は最後の力を振りしぼって、頭上に手のひらを向けた。
「――“時よ、止まれ”」
その一言で……瓦礫がぴたりと空中で停止していく。
時間差で止まっていく瓦礫が、渦を巻くように宙に浮かぶ螺旋階段を形作っていく。
その螺旋階段の伸びる先にあるのは――地上だ。
どうやら、迷宮の地上部分まで全て崩落したらしい。
見上げれば大穴に丸く切り取られた夜空が見える。
薄いカーテンのように静かに降りそそぐ月光――。
そのおぼろげな明かりを頼りに、俺は瓦礫の螺旋階段に足をかけた。
「……はっ……くっ……」
足を引きずって、這い上がるようにふらふらと階段をのぼる。
すでに体力は底をついている。今にも意識を失いそうだ。
痛い。苦しい。それでも――。
(……帰るんだ。みんなが待ってる)
ひたすら階段をのぼり続ける。
どれだけ階段をのぼったのか。あとどれだけ階段をのぼればいいのか。
なにもわからない。
果てしなく感じるほどに、階段は長い。
「…………はっ……ぁ……」
意識が朦朧とする。
目眩がひどい。息が苦しい。足にもう力が入らない。
一歩、階段を踏み外せば、そこに待っているのは――死だ。
思えば、俺の人生はこんなのばかりだった。
弱いくせに誰かを守ろうなどと考えなければ、弱さを受け入れて全てをあきらめてしまえていたら――こんなに苦しい人生を歩まなくてよかったのだろうか。
それでも、この道を選んだのは……俺だ。
まだここで倒れるわけにはいかない。
俺にはまだ、守らないといけないものがあるのだから。
ラビリスの顔が脳裏に浮かぶ。
彼女は無事だろうか。あの日のように、俺を心配して泣いていないだろうか。
俺が無事に帰ったら、今度こそ笑ってくれるだろうか……。
(……早く帰って、安心させてあげないとな)
そう自分を奮い立たせる。
しかし、ようやく地上が見えてきたところで――。
「…………あ」
安心してしまったせいだろうか。
糸が切れたように、ふっと俺の全身から力が抜けた。
あと少しだというのに、俺の体がゆっくりと傾いていく。
空中に浮かぶ螺旋階段から、がくっと足を踏み外す。
一瞬の浮遊感、そして――。
「――――ばか」
ふわり、と誰かに抱きとめられた。
視界がかすんで、相手がどんな顔をしているのかわからない。
でも、その温もりが誰のものなのかは、すぐにわかった。
「……ただいま」
俺は平気だよと言うように、彼女の頭にぽんっと手を置いて――。
しかし、そこまでが限界だった。
「……もう大丈夫だよ、ラビリス」
その言葉を最後に、俺の意識は闇へと落ちていくのだった…………。
◇
――夢を、見ていた。
……『――エル、なのか?』……『誕生日おめでとう――』……『また昔みたいに――俺と友達に――』……『――立派になったね、クロム』…………。
もう戻れないはずだった場所、守りたかった人々、かけがえのない平和な時間――。
……『俺をここまで育ててくれて――ありがとうございました』……『――行ってらっしゃい、クロムちゃん』……『――俺がここから、全てを救ってみせるから』…………。
これはきっと、幸せな誰かの記憶だ。
……『クロムくんは――わたしの知ってるクロムくんだよ』……『今日は楽しかったね――久しぶりに3人でいられて』……『ラビリス、もう大丈夫だよ――俺が来た』……『笑ってくれ――ラビリス』…………。
彼は誰よりも弱いくせに、強くなろうとたくさん努力をして。
たくさん涙を流して、たくさん血を吐いて、たくさん禁忌を犯して。
そして――たくさん誰かを救っていく。
まるで、幼い頃に憧れた英雄のように。
そんな幸せな夢を、俺は見ていた――。
「………………ん」
顔にぽつぽつと落ちてくる雫の感触に、俺の意識は浮上した。
どうやら、迷宮の外の地面に寝かされているらしい。
頬をなでるしっとりとした空気には、花と土の甘い香りが混ざっている。
(……雨?)
静かに顔に落ちてくる雫。しかし、雨にしては温かい。
ゆっくりと目を開けてみると、すぐそこにラビリスの泣き顔があった。
「ラビ、リス……?」
「……ばか……ばかぁ……!」
いきなり怒られた。
真っ赤になった目を隠すように、ラビリスが俺の胸に顔をうずめてくる。
「こんなに、ぼろぼろになって……ずっと目を覚まさなくて……! 心配、したんだからぁ!」
「ご、ごめん」
たしかに、夜空はうっすらと白み始めている。
かなり長いこと意識を失っていたのだろう。
軽く周囲を見回してみると、どうやらここは迷宮近くの花畑らしい。
ラビリスがここまで運んでくれたようだ。
とはいえ――困った。
「ら、ラビリス……もう敵はみんな倒したから。ほら、俺も大丈夫だからな? な、泣きやんでくれよ……」
「……ぐす……泣いてないもん」
「え、えっと、どうしよう……困ったな」
俺はおろおろしながら、とりあえずラビリスの頭をぽんぽんとなでる。
しかし、ラビリスはすねたように、ぷいっと顔をそむける。
「もう……そんなのじゃ、ごまかされないんだから」
そう言いつつも、少しだけ安心してくれたのか。
ラビリスの小さな嗚咽がおさまっていく。
「そういえば、迷宮は……魔術士たちはどうなったんだ?」
ふと気になって、尋ねてみた。
「……迷宮は完全に崩壊したわ。今はシリウス師匠と王都からの調査隊が入ってるところよ」
迷宮の崩落を聞きつけて、急いで駆けつけたのだろう。
とはいえ、もう調べられることはないと思うが……。
「それで、魔術士たちは……みんな、調査隊の人たちに捕まったわ」
「捕まった?」
「私の証言もあったし、みんな罪を自白したのよ。早く牢に入れてくれ、このままじゃ化け物に殺されるって……なにをすれば、ああなるの?」
「は、はは……少し脅しすぎたのかな?」
思えばラビリスを助けようと必死で、殺気を垂れ流しすぎていたかもしれない。
まあ、結果オーライではあっただろう。
ひとまず、今回の事件は一件落着と考えてよさそうだ。
「でも……やっぱり、クロムだったのね。この前、魔物の大群と戦ってくれたのも」
「…………」
「……今までたくさん、影からみんなを助けてくれてたのね」
俺はなにも答えなかったが、ラビリスは察したらしい。
それから、ラビリスが意を決したように俺の顔を見た。
「……クロムには聞きたいこと、たくさんあるの。どうして、クロムがあんな力を持ってるのかとか……どうして、知ってるはずのないことを知ってるのかとか……クロムのこと、ちゃんと知っておきたいから」
「それは……」
ラビリスが疑問に思うのも仕方がない。
いろいろ、見せたくなかったものも見せてしまった。
ただ、今はまだ話すわけにはいかない。
知ってしまうことで危険にさらすこともある。
だから――。
「ごめん、今はまだ話せない」
「……そう、よね」
「でも……いつか、きっと話すよ」
「え?」
「いつか、俺がもう戦わなくていい平和な未来に……俺の事情なんて笑い飛ばせるような幸せな未来にたどり着いたら……きっと話すから。だから、今はまだ待っててほしい」
ラビリスはしばらく、俺の目を見つめたあと。
「……約束、してくれる?」
「ああ」
俺はラビリスと小指をからませる。
必ずそんな未来にたどり着いてみせると、決意を込めて――。
「……ずっと待ってるからね」
そう言って、ラビリスはようやく微笑んでくれた。
少女の頬に残っていた涙の雫たちが風に舞い、きらきらと透明な宝石みたいに光り輝く。
1周目ではついに見ることができなかった少女の笑顔。
ずっと見たかった未来が――そこにあった。
「それじゃあ……一緒に帰ろうか、ラビリス」
「……うん」
俺が差しのべた手に、ラビリスがそっと恥じらうように手を重ねる。
そうして、俺たちは歩きだした。
その道の先から、ゆっくりと朝日がのぼってくる。
長かった夜が終わり、世界が鮮やかに色づいていく。
まるで、新しい未来の始まりを告げるように――――。
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