第28話 幼い日の約束(ラビリス視点)
「――ぐす……えっぐ……ごめんなさい、クロムお兄ちゃん」
ラビリスは地面にへたり込んで泣きじゃくっていた。
その前で1人の少年が、おろおろと泣きやませようとしていた。
……これは、ラビリスの幼い日の記憶。
森の中で迷子になって、魔物に襲われたときの夢だ。
ラビリスは幼いときから、剣の神童だとちやほやされていた。
それなのに、いざ魔物が出たとき、震えて動くことすらできなかった。
そんなラビリスを助けに来てくれたのは、誰よりも弱い少年だった。
「――ラビリス。もう大丈夫だよ、おれが来た」
彼は誰よりも弱いくせに、誰よりも怖いくせに。
いつもみたいに優しい笑顔を浮かべると。
ラビリスを守るために、勝ち目がないはずの魔物に立ち向かっていった。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
少年はたくさん血を流していた。
彼が死んでしまいそうで、魔物よりもそれが怖かった。
やがて、少年が傷だらけになりながらも魔物を追い払ってくれたけれど。
ラビリスはまだ泣きじゃくったままだった。
「ら、ラビリス……もう魔物はいないから……! ほら、おれも大丈夫だから、な? 泣きやんでくれよ……」
「ぐす……クロムお兄ちゃんが、死んじゃうぅ……っ」
「え、えっと、どうしよう……困ったな」
少年は泣いているラビリスを見て、情けなくおろおろしてから。
「そ、そうだ」
と、ラビリスの頭にぽんっと手を置いた。
「……え?」
「おれが泣いてるとさ、よくシリウスさんがこうしてくれるんだ」
そのまま、そっと頭をなでてくれる。
優しくて温かくて、不思議と安心できる手だった。
「……ごめんな、おれが弱いせいで心配かけさせちゃったな。怖かったよな。寂しかったよな。おれがもっと強ければ……ラビリスを泣かせずに済んだのにな」
違う、弱いのは自分だ。
そう言いたかったけど、嗚咽にまぎれて言葉にならない。
「……おれは弱いからさ、いつまでもラビリスと一緒にいられないかもしれない。おれなんかじゃ、この先ずっと誰も守れないかもしれない。それでも、約束するよ」
「……やく、そく?」
「ああ」
少年が頷いて、そっと小指を差し出してくる。
「ラビリスが泣いてるときは、おれが必ず助けにいくから。いつかきっと、ラビリスが泣かなくてもいいぐらい強くなってみせるから」
ぼろぼろに傷ついたその顔に、少年は優しい微笑みを浮かべた。
「だから――笑ってくれ、ラビリス」
ラビリスは少年と幼い小指をからめる。
幼い日の約束だ。きっと、もう少年は覚えていないだろう。
それでも、ラビリスにとっては大切な約束だった――。
「………………ぅ」
ラビリスはそこで、目を覚ました。
頭がひどくぼんやりとする。
感じるのは、ひんやりと湿った薬品臭い空気。
身じろぎしようとすると、頭上で手首を拘束されている感触がある。
(そうだ、私……さらわれたんだ)
先ほどの一級魔術士たちの襲撃を思い出す。
あれから、どれだけ時間が経ったかはわからない。
体にとくに外傷はないあたり、まだなにもされていないのだろう。
ただ、魔術の発動体でもある剣は取り上げられているらしく、まともに魔術を使えそうにない。
(いったい……なにが目的なの?)
現状確認のために、薄目を開けて周囲を観察する。
辺りは暗かったが、だんだんと目が慣れてきた。
(ここは……)
窓のない石壁に、薬品の匂いに、こぽこぽとなにかが泡立つ音……。
雰囲気からして、魔術士たちの地下研究室かなにかなのだろう。
これだけ広い地下空間ということは、もしかしたら迷宮の中なのかもしれない。
そんな空間でひときわ目につくのは、無数の水色の照明――。
――いや、違う。
(な……なに、これ……?)
思わず声が出そうになって、ラビリスは慌てて口をつぐむ。
それは――きっと見てはいけない光景だった。
(これ、全部……培養槽?)
発光していたのは、ずらりと並べられた円筒形の培養槽だった。
数は……わからない。
ただ、数百とか数千とかそういう単位で置かれていることはわかる。
その培養槽の中――水色に発光する培養液に入っているのは。
培養されているのは――。
(…………魔物ッ!)
未成熟の魔物らしきものが、胎児のように丸まって浮かんでいる。
その培養槽から伸びたチューブは、広間の中央にある心臓のような巨大魔石へとつながっていた。
あの魔石は、おそらく――迷宮核だ。
地下の魔脈から魔力を吸い上げる迷宮の動力源。
その迷宮核から、培養槽へと莫大な魔力が流し込まれている。
(もしかして……迷宮の魔力で、魔物を作っているの?)
それは、当然やってはならない禁忌の研究だ。
ここにある魔物をもしも解き放ったら、どうなるか。
(…………
その言葉がラビリスの脳裏に浮かぶ。
(まさか、昨日の大群暴走は……)
ラビリスがそこまで思いいたったところで。
培養槽の合間から、かつかつと複数の靴音が近づいてきた。
「……っ!」
やって来たのは、先ほどラビリスを襲った一級魔術士の集団だ。
同じ色のローブをまとい、同じ仮面で顔を隠し、同じ杖を握っている。
先ほどより数は減っているし、十二賢者の紋章をつけている者もいないが。
彼らがいるかぎり、この場所からは逃げだせないだろう。
「――さて、“器”の諸君」
その言葉で、ラビリスは自分の右側にも複数の人間がいることに気づいた。
魔術士協会の人間だろうか、一級魔術士たちと同じようにローブと仮面に身を包み、横一列に並んでいる。
ただ、ラビリスのように拘束されている様子はない。
自らの意思でここにいる様子だった。
「喜べ、諸君はとても幸運だ。これから第2の魔王になれるかもしれないのだから」
前に進み出てきた一級魔術士の1人が、もったいぶった調子で語りだす。
「数百年に一度、歴史の転換点に“魔王”と呼ばれる大災厄が現れるのは……諸君も知っているだろう? その魔王を人為的に創り出す計画――それが我らが進めている“魔王化計画”であり、そのために使われるのが……」
そう言って、魔術士が手にした注射器を揺らしてみせた。
「――この、“魔王細胞”だ」
その注射器の中で波打っているのは――培養槽と同じ水色の液体だった。
まるで、小さな培養槽。
それを注射することの意味を想像し、ラビリスはぞくりと背筋が凍る。
「この注射液には、原初の魔王・始祖竜ヴェルボロスの化石から採取した“魔王細胞”が入っている。始祖竜の魔王としての権能は、“
ラビリスの隣に並んだ魔術士たちから、うっとりとした吐息が漏れる。
(な、なんなの……この人たち……?)
まるで、邪教の集会にまぎれ込んでしまったかのようだ。
理解ができない。気持ちが悪い。
「魔術をろくに使えぬ劣等種を排除し、進化した人類と魔王が世界を支配する。それこそが我らが思い描いている理想の新世界。さあ、諸君――世界の進化を、始めようではないか」
魔術士はそう言うと。
一番右端に並んでいた者の首筋に、注射器を刺した。
ぱんっ、とその人が破裂した。
「…………え?」
人間が血飛沫となって、床のシミとなる。
一瞬、遅れて……ぱさり、と。
その人がつけていた仮面とローブが床に落ちた。
「適合できなかったか――次だ」
「…………な……」
人が死んだのだ。破裂したのだ。
それなのに、ここにいる誰も気にしていなかった。
一級魔術士たちも、並べられた人間たちも、うっとりとした吐息を漏らしていた。
(な、なんなの……これ……?)
右にいる人間から、順番に注射器が刺されていく。
ぱんっ、と水っぽい破裂音が響く。
「次だ」
注射器を刺す。
ぱんっ、と人が破裂する。
「次だ」
注射器を刺す。
ぱんっ、と人が破裂する。
「次だ」
注射器を刺す。
ぱんっ、と人が破裂する。
「次だ」
だんだんと注射器がラビリスのほうに近づいてくる。
あと7人、あと6人、あと5人……。
「…………ぃ……いや……」
正気を失いそうだった。
むせ返りそうな血の匂いに、胃液が喉元までこみ上げる。
(こ、このままじゃ……殺されるっ)
だが逃げだそうにも、ラビリスの腕を縛っているのは、ただの拘束ではなかった。
魔術による厳重な拘束だ。
ろくに魔術も使えないラビリスに、この拘束を解く手段はない。
それでも、逃げなければ――殺される。
(い……いや……っ!)
ラビリスは必死にもがき、もがき、もがき……。
そして――。
「――――次だ」
ラビリスのすぐ目の前から声がした。
おそるおそる顔を上げると……。
「…………ぁ……」
目の前に、注射器があった。
もう、ラビリスの右側には誰も残っていなかった。
無数の血溜まりとローブが、延々と床に並んでいるだけだ。
「……これで最後か。良い器はそうそう見つからないものだな」
「しかし、この器はクレイドル様が目をつけたほどのものだぞ」
「できれば、協会内の手駒から魔王を出したかったが、仕方あるまい」
魔術士たちがささやき合いながら、ラビリスににじり寄る。
「い、いや……やめて……」
ラビリスの声が震える。
「なぜ、そんな顔をする? まるで我々が……悪の秘密組織かなにかのようではないか」
魔術士がくつくつと笑う。
「喜びたまえよ、君。ここは喜ぶべきところだ」
魔術士の顔は仮面で見えない。
だが、冗談を言っている様子はない。
自分の言葉を信じきっているのだ。
「おい、暴れるな。うまく注射できないだろう」
「だ、誰か、助け……っ」
「ああ、助けなら来ないぞ? もう――死んだからな」
「…………え?」
その言葉の意味はわからないが、なにか不吉なものを感じた。
なぜだか、それ以上の言葉を聞きたくなかった。
それでも、魔術士があえて絶望を煽るように言葉を続ける。
「ついさっき、例の“英雄”がたった1人でこの拠点に入ってきてな? まあ、1人にしては頑張ったほうだが……しょせんは人間の身。残念ながら、我らに敵うはずがなかったのだ」
「……“英雄”」
それはおそらく、あのクロムのような少年のことだろう。
このタイミングに魔術士たちの拠点に入ってきたのは、きっと……。
(……私を、助けるため?)
そんなことをするのは、1人しかいない。
――ラビリスが泣いてるときは、おれが必ず助けにいくから。
誰よりも弱いくせに、誰よりも優しくて。
ラビリスが泣いていると、いつも助けに来てくれた少年。
それが――死んだ。
「……う……そ……」
ラビリスの全身から、へなへなと力が抜けた。
その隙に、注射器を持った魔術士が動いた。
「う……っ」
注射器の針が、ラビリスの白い首筋にぷつりと突き刺さる。
しかし、抵抗しようにも体に力が入らない。
「魔王になるか、死ぬか――“魔王細胞”を取り込んだときの反応は、その2種類だ。さて、君はどちらだろうな? なんだか、とてもわくわくしないか?」
「……い、いや」
――魔王。
それは歴史に残る大災厄の名だ。
魔王にならなければ死ぬ。
それが真実であることは、嫌というほど見せつけられた。
でも、もしも魔王になってしまったら。
大好きな人たちが、大好きなあの町が……ラビリスの頭に思い浮かぶ。
その思い浮かんだ全てを――壊してしまう。
それは、もっと嫌だ。
「喜びたまえ。君はきっと――第2の魔王に至ることができる」
そして、注射器の頭に指がかけられた。
中身の“魔王細胞”がゆっくりと注入されようとする。
「…………助けて」
ラビリスが誰にともなく呟く。
弱くて泣きじゃくることしかできなかった、あの日……。
ラビリスは、強くなると決めた。
もう二度と泣かないように。もう二度と助けられないように。
ラビリスが泣いてしまったら、彼がまた助けに来てしまうから。
彼がまた戦って、たくさん傷ついてしまうから。
それだけは、嫌だったから。
だけど――もう、止められない。
「…………助けて……クロム、お兄ちゃん」
ラビリスの目から、つぅっと涙がこぼれ落ちる。
その透明な一雫が、床で小さく砕け散った――その瞬間。
「――げはァッ!?」
どん――ッ! と。
まるで爆発でも起きたかのように、魔術士たちが一斉に吹き飛んだ。
培養槽に叩きつけられ、ずるりとその場に崩れ落ちる魔術士たち。
「…………え?」
たった一瞬の出来事だった。
あまりにも早すぎて、なにが起きたのかわからなかった。
ただ、気づけばラビリスの目の前に、1人の少年が立っていた。
少年がかぶっていたフードがぱさりと取れる。
その後ろ姿は、間違いない。
「ラビリス――」
少年が振り向いて、あの日のように優しく微笑んだ。
「――もう大丈夫だよ、俺が来た」
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