第29話 クロムの力(ラビリス視点)
「――ラビリス。もう大丈夫だよ、俺が来た」
一級魔術士たちに襲われたラビリスの前に、気づけば1人の少年が立っていた。
その少年の姿を、ラビリスが見間違えるはずがない。
「…………クロ、ム?」
ラビリスが呆けたように呟く。
死んだと思っていたクロムが、そこに立っていた。
ラビリスを安心させるように、クロムが微笑む。
その笑顔は、幼い日と同じように優しくて。
でも、幼い日よりもどこか頼もしくて。
なぜだか――目が離せない。
「……遅くなってごめんな、ラビリス。怖かったよな」
クロムがラビリスの前に膝をついて、その腕の拘束にそっと触れた。
ただそれだけで、今までびくともしなかった魔術の拘束が――あっさりと消滅する。
なんでクロムにそんなことができるのか、わからない。
どうやってここまで来たのかも、わからない。
クロムが自分を助けに来てくれたのはうれしい。
だけど――。
「…………来て、ほしくなかった」
ラビリスの目から、ぽろぽろと涙があふれ出てくる。
幼かったあの日、クロムの前ではもう泣かないと決めたのに。
自分が弱いせいで、また泣いてしまった。
またクロムに助けを求めてしまった。
今度こそは、本当にクロムが死んでしまうかもしれない。
そう思うと、心の中がぐちゃぐちゃになって。
泣いたらダメなのに――涙が止まらない。
「……クロムに戦って、ほしくなかった……傷ついてほしく、なかった……私なんか、助けなくてもよかったのに……どうして……来ちゃったの……?」
自分は守りたくなるような、かわいげのあるお姫様ではないはずだ。
素直になれずに、ひどいこともたくさん言ってきた。
ラビリスがいたせいで、クロムはたくさん傷ついてしまった。
それなのに。
「――だって、ラビリスが泣いてるじゃないか」
ぽんっとラビリスの頭に、クロムの手が乗せられる。
昔と同じように優しくて温かい手だった。
「約束しただろ? もしもラビリスが泣いているときは、必ず俺が助けに行くって」
「……覚えてた、の?」
「ああ、大切な約束なんだ。どれだけ時間が経っても、絶対に忘れないさ」
幼い日の約束だ。
もうずいぶんと関係も変わってしまったというのに。
そんな約束のために命をかけるなんて、そんなのはとても――クロムらしい。
「一緒に帰ろう、ラビリス。みんなも待ってる」
クロムがそっと手を差し出してくる。
ラビリスは目をぐしぐしとこすってから。
「…………うん」
と、小さくはにかんで、その手をつかもうとし――。
「ぐっ、貴様ら……逃がすと思うか……ッ!」
クロムの背後で、よろよろと一級魔術士たちが立ち上がった。
「……っ! ま、まだ動けるの……!?」
一級魔術士たちの体は、ローブの上からでも、あちこち不自然に折れ曲がっているのがわかる。
先ほどの一撃で、全身の骨が砕かれたのだろう。
それでも、魔術によって操り人形のように自分の体を動かしているのか。
かくかくと不自然な動きで、魔術士たちがクロムを包囲するように杖をかまえる。
「ふ、ふふふ……ッ! どうやって、ここまで来たかは知らんが……すでに、貴様の魔力は残ってないようだな! 貴様はここで終わりだ……ッ!」
たしかに、クロムの体からはまったく魔力が感じられない。
一方で、一級魔術士たちからは膨大な魔力が放出されている。
彼らの数は――5人。
その全員が、大陸屈指の絶対強者だ。
しかし、クロムはまったく動じない。
「……それは、こっちのセリフだ」
クロムが静かに立ち上がり、ラビリスに背を向けた。
そして、一級魔術士たちと対峙する。
「……お前ら、俺の大事な幼馴染を泣かせて、逃げられると思ってないよな?」
ずん――ッ! と、辺りの重力が増したような錯覚。
(……く、クロムが、怒ってる?)
こんなクロムを見るのは初めてだった。
どれだけ自分が傷つけられても、けっして怒らない少年が。
すさまじい殺気をまといながら、ラビリスのために怒りをあらわにしていた。
今、優位に立っているのは魔術士たちのはずなのに。
彼らが気圧され、じりっと後ずさる。
「や、やはり……貴様か!? 貴様が、始祖竜を倒したのか!?」
「ああ、始祖竜か?」
クロムが不敵に口元をつり上げる。
「思ったより弱かったな、あれ」
その一言で、魔術士たちが沈黙した。
「…………ば、化け物め」
ぽつり、と誰かが震える声で呟く。
あれほど絶望的に強かった一級魔術士集団が、クロム1人に――怯えていた。
「……シックス、どうする?」
「ここは誰かが足止めをして、迷宮の転送機能で退却を……」
「……ひ、怯むな! どうせ、やつは魔力が残ってないのだ! 一斉にかかるぞ!」
シックスと呼ばれたリーダー格の魔術士が、杖を頭上に掲げた。
それにならって、他の魔術士たちも一斉に杖を掲げる。
「「「――“
宙を埋め尽くすように、無数の魔法陣が輝いた。
(……6位階魔術の、多重展開!?)
1人1人が大量の6位階魔法陣を、同時に構築している。
そのうえで――術式構築速度も、ありえないほど早い。
ぱきききぃぃ……と、無数の凍てつく氷槍が空中に展開される。
その氷槍1つ1つに致命の威力があるのは、注ぎ込まれている魔力量から理解できた。たった1つの氷槍が体をかすめただけでも、全身が氷漬けにされてしまうだろう。
これが、一級魔術士の本気……。
「く、クロム……!」
ラビリスが思わず、クロムの服のすそを引くが。
「大丈夫だよ、ラビリス――ここから先は、俺に任せてくれ」
クロムがそう言うと同時に、氷槍が一斉に射出された。
ばしゅ――ッ! と、氷槍が空気をつん裂き、矢雨のごとき速度で飛来する。
クロムは避けない。防御も迎撃もしない。
ただ、氷槍の雨へと手のひらを向けた。
「――――“止まれ”」
その一言で。
クロムたちに迫っていた氷槍の雨が――。
――空中で、停止した。
「…………え?」
そんな非現実的な光景を前に、ラビリスにできたのは……ただ間の抜けた声を漏らすことだけだった。
なにが起こっているのかわからない。
まるで、いきなり時間が止まったかのような光景だ。
この世界の法則を完全に無視している。
一級魔術士たちでさえ、言葉を失い、立ち尽くすことしかできない。
「な、なに……この力……?」
「…………」
クロムはラビリスに背を向けたまま、なにも答えず。
停止した氷槍の雨の中を、彼はゆっくりと進んでいく。
音さえも止まったような、静かな世界の中――。
その靴音だけが、かつ、かつ……と辺りに響きだす。
「な、なんなのだ、貴様は……ッ!? な、なぜ、まだそんな魔術が使えるのだ!?」
クロムが一歩近づくごとに、シックスが一歩後ずさる。
やがて、彼の背中が培養槽の1つにぶつかると、追いつめられたように震える声を漏らした。
「き、貴様さえッ! 貴様さえいなければッ! 計画は全て成功していたのに……ッ!」
「ああ、そうだな。お前の言う通りだ」
「…………な、なに?」
「俺がいなければ、お前たちは魔王化計画を成功させていた。始祖竜も死ぬことなく暴れ続け、お前たちは次々と魔王を誕生させていった。お前たちを止められる存在なんて、この時代にはいなかった。全てはお前たちの目論み通りに進み、破滅の未来が始まるはずだった。だけど――」
クロムがすぅっと剣を抜く。
同時に、停止していた氷槍がゆっくりと動きだし――。
ひゅん――ッ! と、雷光をまとった剣閃が幾筋もきらめいた。
一瞬で粉々に砕け散る氷槍……。
そのきらきらと輝く氷片の雨を浴びながら、クロムが魔術士たちへと剣を向ける。
「そんな未来は――俺がここで終わらせる」
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