第11話 全ての始まり
まだ平和な町を歩いて、エルと待ち合わせをした花畑の丘へと向かう。
朝からどたばたしていたせいで、この時代の町をゆっくり見たのは今が初めてかもしれない。
(……懐かしいな)
――花の町アルマナ。
そう呼ばれるのも頷ける町だ。
家々の窓辺や玄関先には可愛らしい花が飾られており、春の暖かな風が吹くと色とりどりの花びらがふわりと一斉に舞う。
こんなのどかな町が、このあとすぐに滅びるとは思えない。
だけど、俺は知っている。この先に起こる悲劇の未来を――。
(……待ち合わせの場所は、ここでよかったよな?)
町外れにある花畑の丘に着いた頃には、すでに世界は夕焼け色に染まっていた。
なだらかな丘の稜線へと沈みゆく夕日。
視線を移すと、ここから懐かしい故郷の町並みが一望できる。
子供の頃、よく遊びに来ていた場所だ。
そこに――エルがいた。
夕日に照らされた花畑にたたずむその少女は、絵画の中から迷い込んできたかのようにさまになっていた。
「クロムくん」
名前を呼ばれて、はっとする。
「えっと……ちょっと早かったかな?」
「う、ううん、そんなことないよ。それより、ごめんね、呼び出しちゃって……」
「いや、それはいいけど、なんの用かな」
「ちょっと、クロムくんに話したいことがあって。本当は内緒にしないといけないんだけど、クロムくんにだけは伝えておきたくて」
俺に気づくと、エルがもじもじと上目遣いでこちらを見てきた。
言葉を選ぶような間をあけてから、エルは口を開く。
「――わたしね、“勇者”なんだって」
それは、1周目にも聞いた言葉だった。
「わたしが世界を救うんだって……前にね、家にえらい人が来て、そう言ったの」
「…………」
「あ、あはは……いきなりこんなこと言っても、信じられないよね? わたしだって信じられないもん」
「…………」
「わたしは強くないし、勇気もないし、戦うのだって怖いのに」
「…………」
「でも、神託で選ばれたから……世界の平和のために、これから現れる“魔王”と戦わないといけないんだって。もう少ししたらこの町から旅立たないといけないんだって。これは……仕方のないこと、なんだって」
1周目にはエルがなにを言っているのか、わからなかった。
俺はなにも知らないただの子供だった。
だけど、今はわかる。
「だからね、その前に……ただの1人の女の子でいられるうちに、どうしてもクロムくんに言っておきたいの」
エルが勇気を振りしぼるように、ぎゅっと目を閉じて。
ぎゅっとスカートのすそをつまんで。
小さな唇を震わせながら、言葉をつむぎ出す。
「わ、わたし……クロムくんのことが……!」
そして、時刻が――18時00分になった。
からん、からん……と、町の時計塔の鐘が高らかに鳴りだす。
春の風がやわらかく俺たちを包み込み、ふわりと渦を巻くように花びらが舞う。
まるで、どこにでもある平和な日常の1ページのように。
しかし、このときのことを、俺はいまだに覚えている。
忘れようもない――。
「――――来る」
「……え?」
その次の瞬間――ごごごごごッ! と。
いきなり地面が大きく揺れだした。
「きゃっ!?」
エルが小さく悲鳴を上げる。
地響きとともに花々が散り、小鳥たちが逃げ惑いだす。
全て、あの日の焼き直しのような光景。
そして――あの日と同じように、
どぉぉオォオオ――ッ! と。
いきなり、丘の向こうから押し寄せてきた黒い波。
洪水、ではない。
よく見れば、その黒波が意思を持っているように細かくうごめいているのがわかる。
その波が向かう先にあるのは――俺たちの故郷の町だ。
「な、なに……あれ……?」
「……魔物の
「え……?」
俺がこの光景を忘れるはずがない。今でも記憶に焼きついている。
――女神暦1200年、4月10日、18時00分。
ヒストリア王国・南西部にあるアルマナの地下迷宮より、第1の“魔王”が誕生。
それにともなって発生した魔物の
推定される死者1211人。生存者1人――。
それが、今から目の前で起ころうとしている“大災厄”の記録だ。
「…………あ、ぁ……」
世界の終わりみたいな光景を前に、エルが呆然と立ち尽くす。
そうしている間にも、魔物たちが猛烈な勢いで平和だった町に迫ってくる。勇者エルルーナの物語を、始まる前に終わらせようとしてくる。
1周目と同じなら、大群暴走の波が町に到達するのは――今から10分後だ。
「……ま、町が……このままじゃ」
エルはそこで、はっとしたように声を上げた。
「ま、町のみんなを助けに行かないと……!」
それは、前回にも聞いたセリフだった。
エルはここで勇者としての力に覚醒し――あっけなく命を落とす。
そして、この花畑の丘でただ立ち尽くしていた俺だけが生き残った。
……あのとき、もしもエルの手を取っていたら。
あれから何度もそう後悔した。
ここでエルを行かせなかったら、彼女だけでも助けられたのに。
当時、ただの無力な少年でしかなかった俺には、どうしたらいいのかわからなかったのだ。
いくら後悔したところで、過去に失ったものは取り戻せない。
だけど――“
「――行くな、エル」
ぱしっ、と俺はエルの手を取った。
「……え?」
エルが目を見開いてふり返る。
つかんだエルの手は、震えていた。
「は、離して! 急いで町に戻らないと! もしも、わたしが本当に勇者なら、魔物たちを倒せるかもしれな――」
「――エル、冷静になれ」
「……く……クロム、くん?」
いつもの俺と雰囲気が違うためか、エルが放心したように俺を見る。
「今のエルはただの普通の女の子だよ。あの魔物たちには勝てない」
「で、でも、わたしは――」
「エルは、勇者になんかならなくてもいい」
「……え?」
「戦うのが怖いなら、戦わなくてもいい。この町にずっといたいなら、冒険なんてしなくてもいい。君を苦しめる使命なんて背負わなくてもいい。世界なんて――救わなくてもいいんだ」
「で、でも……それじゃあ、誰がみんなを助けてくれるの……?」
「――俺が助けるよ」
俺はエルを安心させるように優しく微笑んだ。
血を流したような夕焼け空。
故郷の町を呑み込もうと迫りくる魔物の軍勢。
そんな世界の終わりみたいな光景の前で。
あの日、弱くて言えなかった言葉を――今こそ言おう。
「――俺がここから、全てを救ってみせるから」
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