第50話 婚約の試練

 訓練と称して、俺をいたぶろうとしてきたリズベル。

 それを看破した瞬間、リズベルのまとっていた笑みが豹変した。


「……………………へぇ?」


 まるで、表と裏が切り替わったように。

 人懐っこそうな無邪気な笑みから――人を馬鹿にする小悪魔のような笑みへと。


「あはっ♪ ずいぶんと、えらそうなこと言うようになりましたねぇ? ざこざこのお兄さん? ストーカーみたいで、すっごくきもいですよぉ?」


 リズベルが口元に手を当てて、にやにや笑いを浮かべる。


「ま、べつにバレてもいいんですけどぉ? どーせ、お兄さんがなにか言ったところで――みんな、“いい子”のリズベルの言うことを信じるんですから。お兄さんなんて、ちょっとリズが大きい声出したら、人生終わっちゃいますもんねぇ~?」


「……それが君の本性か」


「あっれぇ~? お兄さん、あっれぇ~? もしかしてぇ、年下の女の子にびくびくしちゃってますぅ? しょっぼ~い♪」


「いや、むしろ納得がいったよ。、君はそんな笑みを浮かべていたからな」


 過去の記憶がよみがえる。


 ――どうして、落ちこぼれがラビリス様と一緒にいるんだ。

 ――ラビリス様に近寄るな、落ちこぼれが。


 以前、俺はスカーレット家の従者たちから、何度もラビリスに近づくなと影で警告されていた。

 あのとき、裏で糸を引いていたのが――このリズベルだった。


 ――り、リズ、聞いたんです……っ! あのお兄さんが、ラビリスお姉さまをだまして、ひどいことしようとしてるって!


 大人たちの陰で、怯えたように泣いていたリズベル。

 しかし、その顔には――今みたいな意地の悪い笑みが浮かんでいた。


 リズベルは、当時から“いい子”だった。

 大人たちはリズベルの言うことを――その演技を信じた。


 一方、俺にはまったく信用がなかった。

 それに、俺も自分がいないほうがラビリスのためになると思い込んで。

 当時の俺は、ラビリスから距離を取ってしまった。


「はぁぁ……ちゃんと警告を覚えてるなら、どーしてお兄さんごときがラビリスお姉さまに近づいてるんですかぁ? お兄さんは頭もざこざこなんですかぁ? それも……それも、ラビリスお姉さまのお部屋に入るなんて……お姉さまの部屋の香りが濁るんですけど?」


「君のシスコンは演技じゃないのか……」


 そこは演技であってほしかったが。


「あはっ♪ でも、全部お兄さんの言う通りですよぉ?」


 リズベルがとんっとスキップするような足取りで前に出る。


「お兄さんには、ぜひともメイドたちに訓練をつけていただきたいと思いましてぇ? 聞くところによると、お兄さんは魔術士協会の秘密拠点を1人で壊滅させて、ラビリスお姉さまを救い出した“英雄”だっていうじゃないですかぁ?」


 リズベルが“いい子”の顔でそう言うと、メイドたちにくるりと背を向けて、今度は意地の悪い笑みで耳打ちしてきた。


「ま、どーせ――嘘なんですよね、それ?」


「え?」


 なにを言われてるかわからず、思わずきょとんとする。


「あはっ♪ とぼけても無駄ですよぉ? リズ、わかってるんですから。お兄さんは英雄だとか恩人だとか言われてるけど――全部、嘘だって。みんな、お兄さんにだまされてるんだって」


「いや、嘘なんてついてないけど……」


「じゃあ、よわよわのお兄さんが本当にいきなり強くなって、誰も知らなかった魔術士協会の秘密拠点を1人で壊滅させたって言うんですかぁ? 常識的に考えてありえないですよねぇ? そもそも、魔術って生まれ持っての才能で決まるんですから」


「…………」


 魔術は才能で決まる――それは正しい。

 その才能の差をくつがえすのに、俺には100年間の修羅のごとき努力が必要だったのだから。

 とはいえ、その辺りの事情を話すわけにもいかない。


「はい、論破♪ お兄さん、もうなにも言えなくなってるぅ♪ ざぁこざぁこ♪ やっぱり、リズの考えが正しかったんだ♪」


 リズベルがふふんっとドヤ顔をする。


「もう、リズには全部わかってるんですよ? あの事件はお兄さんの自作自演で、ラビリスお姉さまの玉の輿でも狙ったんですよねぇ? だから――リズがここで、悪いお兄さんの化けの皮を剥がさせてもらいますよ?」


 リズベルが笑う。

 無邪気に、残酷に、弱い者をいたぶる子供のように。

 だけど――。


「えっと、とりあえず訓練に付き合うだけでいいんだよね? それぐらいなら、べつにいいけど。ちょうど俺も体を動かしたかったし」


「…………へ?」


 リズベルがぽかんとする。

 まさか、俺がこうもあっさり受けるとは思わなかったのだろう。


「それに、誤解はといておきたいしな」


「……誤解?」


「俺を弱いと思うのはかまわない。だけど――ラビリスは大切な幼馴染だ。一緒にいたいことにも、その笑顔を守りたいことにも理由なんてないよ」


「……っ」


 まっすぐに瞳を見つめ返すと、リズベルが気圧されたように後ずさった。

 それから、顔を歪めて頭を押さえる。


「へ、へぇ……? よわよわのお兄さんのくせに、本当にえらそうなこと言うようになりましたねぇ?」


 強がるように笑みを作る。


「あはっ♪ でも、本当は化けの皮はがされそうで、びくびくしてるんですよねぇ? 3年前も立派なこと言ってたわりに、ちょっといじめただけで、情けなくラビリスお姉さまから逃げて――」



「――それ、どういうこと?」



 突然、後ろから冷たい声が飛んできた。

 ふり返ると、ラビリスがいた。

 いつから話を聞いていたんだろうか。


「お、お姉さま!? い、いつから……」


「……話は聞かせてもらったわ。なにか企んでると思って、様子を見に来てみれば……」


 ラビリスが少しバツの悪そうな顔をする。


「そう……だから、クロムは私から離れたのね。おかしいとは思ってたのよ。それなのに、私……クロムを責めて。だけど本当は――全部あなたが仕組んでたのね、リズベル?」


「そ、それは、違っ……リズはラビリスお姉さまのためを思って! それに、リズはなにもしてなくて……わ、悪いのはお兄さんのほうで……っ!」


 リズベルが頭を押さえながら弁明する。


「そ、そうです! お姉さまはこの男にだまされてるのです! 本当は弱いのに嘘ついて、恩人のふりして……! ですから、化けの皮を剥がして、お姉さまの目を覚まそうと……」


「…………ねぇ、リズベル」


「っ!?」


 ラビリスが冷たいオーラを放つ。

 どうやら、ラビリスの逆鱗に触れてしまったらしい。

 気圧されたように後ずさるリズベルに、ラビリスは言い放つ。


「言っとくけど、クロムは私の100倍は強いわよ?」


「は……はぁ? ご、ご冗談を、お姉さま」


「冗談だと思う? なら、クロムの力を見てみたら?」


「え?」


「ちょうど、をやるつもりだったんでしょう? それをやってもらえば、クロムの力は証明されるんじゃない?」


「……本当にやってもいいんですか?」


 リズベルが一瞬、にやりと意地悪い笑みを浮かべる。


「お姉さま、わかってるんですよね? これが、今まで誰もクリアした人がいない“試練”だって」


「ええ。これぐらいじゃないと、クロムの力は測れないでしょうしね」


「えっ、俺なんか試練受けるの……?」


「……お兄さんが死んじゃっても、リズのせいじゃありませんからね?」


「大丈夫よ、クロムなら」


「お姉さまの目、すぐに覚ましてあげますよ」


 俺を放置して、姉妹の間でばちばちと火花が散る。


「い、いや、2人とも落ち着いて……」


「クロムは黙ってて」「お兄さんは黙っててください」


「あ、はい」


 俺はすごすごと引き下がる。

 ただ、少し気になることもあった。

 ちらり、とリズベルの顔を見る。


(……あのリズベルの目、普通じゃないな)


 精神操作を受けているような目ではないが、どことなく違和感があった。

 それに、先ほどから頭痛でもするのか、しきりに頭を押さえている。

 人がこういう状態になるのを、俺は未来で見たことがある。


(……やっぱり、か)


 どのみち、リズベルとは戦ったほうがいいだろう。

 未来では和解できずに殺し合うしかなかったが……。

 ここからなら、関係を変えることができるはずだから。



   ◇



「――へぇ~、本当に試練を受けるんですか、お兄さん? 昔みたいに泣きながら逃げないんですねぇ?」


 スカーレット家の訓練場にて。

 リズベル・スカーレットは、少年と対峙していた。


 少年の名は――クロム・クロノゲート。


 才能がないくせにみんなから――姉から慕われている少年。

 この少年のことが、リズベルは前々から気に入らなかった。


(まったく……こんなざこざこのお兄さんに、なんでだまされるか理解できないんですけど)


 目の前にいる少年を改めて見る。

 困ったような笑みを浮かべながら、自然体で立っている少年。

 いくら見ても、魔力はない。

 隠蔽しているとかではなく、ただゼロなのだ。


(……やっぱり、昔と変わらない)


 それなのに。


「クロムくん! よくわからないけど、頑張れー!」

「く、クロム様、勝たないとわかってますよね?」

「きゃあ! ラビリスお嬢様をかけて試練を受けるんですって、先輩!」

「ほぅ……あの試練ですか。たいしたものですね」


 クロムのほうにばかり声援が送られる。

 気に入らない。みんながクロムの味方をする。

 リズベルがどれだけ“いい子”になっても――。


(…………ずるい)


 ずきっ、と。

 嫌な記憶がリズベルの頭にフラッシュバックする。

 今日はやけに嫌な記憶を思い出す日だ。


(なんなんですか、もう……)


 思い出したくないのに、鮮やかに思い出してしまう。

 そのときの、苦しさも、寂しさも、悔しさも――全部。


(そうだ……それもこれも、この男が来たからに決まってる)


 誰も真実が見えていないのだ。

 だから――ここで、わからせる。わからせなければならない。


(……倒さないと、倒さないと、倒さないと)


 記憶がそう訴えかけられ、リズベルは手にした箒杖を握る手に、ぎりっと力を込めた。


「というか、俺の相手って……それ、全員?」


 クロムが呆れたような声を出す。

 そう――リズベルの背後にいたのは、ずらりと勢ぞろいした100人の武装メイドたち。

 それも、彼女たちはただの家事使用人ではない。

 メイドの皮をかぶった“軍事のスカーレット家”の私兵たちだ。


「100対1か……」


「あっれぇ~? お兄さん、あっれぇ~? もしかしてぇ、怖くなっちゃいましたぁ? でも、魔術士たちを全滅させたんですよねぇ? これぐらいはできて当然だと思いますけどぉ~?」


 これは決闘ではなく、力試しであり試練なのだ。

 だから、卑怯ではない。


 それに、クロムには話していないが……。

 これは昔からスカーレット家に伝わる試練。


 ――“婚約の試練”だ。


 強さを重んじるスカーレット家には、『“婚約の試練”をクリアすれば、身分に関わらずスカーレット家の娘と婚約できる』という古い伝統がある。

 とはいえ、誰もクリアしたことがなく、誰も受けたがらないため、ほとんど存在が忘れ去られているが……。


(……この試練で、化けの皮を剥がしてやる)


 父がわざわざクロムを呼び出したということは、姉と婚約させる気かもしれないのだ。

 それだけは――阻止しなければならない。


 だからこその、“婚約の試練”だ。

 この試練に失敗した者は、今後いっさいスカーレット家の者と婚約することができなくなる。

 いったん始めた試練を下りたとしてもだ。

 これなら、英雄としての化けの皮も剥がせるし、一石二鳥だろう。


「今なら逃げてもいいんですよぉ? ちゃんと嘘ついたこと、『ごめんなさい』するならですがぁ?」


「いや、それはいいよ。ちょうど体を動かしたかったし、これで誤解がとけるなら……」


「……もしかして、まだリズたちに勝てるとか思ってますぅ? 一応、言っときますけどぉ、このメイドたちの魔術はみんな3位階に達していますよぉ? ちなみに、リズの魔術は――4位階に達してますけど?」


「……? そうなんだね」


「……っ! どこまでも、人をバカにして……っ」


「え、そんなつもりは……」


 リズベルの顔がいらだちで赤く染まる。


「……3秒です」


「え?」


「3秒で、お兄さんを返り血まみれにしてあげますよ」


「……それだと、君が負けてないか?」


「ふんっ。ともかく、すぐにわからせてあげますよ。どっちが上なのかを」


 リズベルはそれだけ言い捨てると、自分の配置についた。

 最後列の指揮官ポジションだ。

 そこから指示を出して、メイドたちを自分の前に布陣させていく。

 これで――戦闘準備完了。


「ラビリスお姉さま、号令を」


「わかっ――わかりましたわ」


 審判の位置についたラビリスが、手を振り上げる。



「それでは――始めっ!」


 

 その声とともに、まず後衛の杖メイドたちが動いた。

 箒杖を頭上に掲げて、瞬時に魔法陣を練り上げる。



「「「――“洗濯水流Ⅲトリプル・アクエリエール”!」」」



 息をそろえて、一斉に放たれる3位階の水魔術。

 ぎゅるるるるるる――ッ! と。

 クロムを取り囲むように、巨大な水の竜巻が現れる。


 その鋭利な渦水の檻に触れれば、人間の体など裁断機にかけられたように斬り刻まれてしまうことだろう。

 水の渦は止まらない。クロムが出てくる気配もない。


「あっれぇ~? お兄さん、あっれぇ~? まずは小手調べのつもりだったんですけどぉ? もしかして、もう手も足も出ませんかぁ? まあ、降参するって言うなら、聞いてあげてもい――」



「――まずは、1人」



 その声とともに――すぱんっ、と。

 リズベルの持っていた箒杖が、剣で両断された。


「…………ほへ?」


 ぽかんとして、そんな声しか出てこない。

 気づけば、リズベルの目の前にクロムが立っていた。

 リズベルの前に布陣している99人のメイドたちを全て無視して――だ。


 メイドたちが遅れてふり返り、唖然としたように口を開ける。

 そんな中、注目を浴びている少年は、困ったようにぽりぽりと頭をかいた。


「えっと、これで1人脱落ってことでいいかな?」

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