第40話 馬車修理
「あっ、申し遅れたにゃんね。にゃーはケットシー族の旅商人ネココ・キャットウォーカーにゃんね。無料で仲良くしようにゃんね」
「あ……どうも。俺はエルの幼馴染のクロムです」
幼馴染の女友達――なんというか微妙に気まずい関係性だ。
同年代のようだけど、つい敬語になってしまう。
「あにゃ~、例の“クロムくん”にゃんね?」
「例の?」
俺が首をかしげていると。
ネココさんがぽてぽてと近づいてきて、俺の周囲をぐるぐる回りながら、すんすんと匂いを嗅ぎだした。
「にゃむぅ……温かくてぽかぽかする匂いにゃんね。それでいて、古時計みたいなコクと渋みもある匂いにゃんね。まるで2つの香りをブレンドしたような不思議な匂いにゃんね。にゃふぅ……ちょっとクセになる匂いにゃんね~」
「え、えっと……?」
初対面でいきなり、ワインソムリエみたいに俺の匂いの品評を始められた。
わけがわからず嗅がれるままになること、しばし……。
やがて、ネココさんがなにか納得したように、ぽんっと手を叩く。
「やっぱり、いつもエルルーにゃ様がいっぱいつけてる匂いにゃんね。これが例の“クロムくん”にゃんね?」
「ふっふっふ~。そう、この人こそが例のクロムくんです!」
なぜか得意げに胸をそらすエル。
「いや、“例の”ってなんだ……?」
「いつもエルルーにゃ様が、『クロムくんが~』って恋人自慢してるにゃんね」
「こ……っ!? とか、そういうのじゃないけど……っ!」
「でも、エルルーにゃ様、いつもに増して発情期の匂いにゃんね? 今日はデートにゃんね?」
「んぇっ!? にゃ、にゃにをっ!?」
「エル、
わたわたと慌てるエル。
ネココさんのほうを見ると、にまにま悪戯げに笑っていた。エルをからかって楽しんでいるのだろう。
「でも……エルルーにゃ様が話す“クロムくん”は、もっと強くてかっこいいにゃんね? それなのに、実物は弱っちくて年収も低そうな匂いにゃんね?」
「く、クロムくんは弱くないし、年収も低くないもんっ!」
「いや、年収はゼロだけど……」
「にゃんにゃん。ケットシーは匂いを嗅げば、その人のことが無料でよ~くわかるにゃんね。エルルーにゃ様は、悪い男に無料でだまされるタイプにゃんね」
「むぅぅ……」
「ま、まあ、エル。俺は気にしてないから」
エルの頬がぷくぅと膨れてきたので、慌てて仲裁に入る。
(まあ……ある意味、ネココさんの感覚は正しいしな)
俺にはあくまで未来の記憶があるだけで、肉体は落ちこぼれ時代のままだ。
魔力回路が歪んでいるせいで、魔力もゼロで普通の魔術は使えない。
体の匂いを嗅ぐだけでは、弱く感じるのも無理はない。
(……とはいえ、面白い能力だな)
もしかしたら、ネココさんの嗅覚は――。
――
少しだけ記憶の片隅に置いておこう。
「それより、ネココさん。なにか困ってるみたいでしたが」
とりあえず、俺の話題で空気が悪くなっても複雑なので、話題を変えることにした。
もとより気になっていたことでもある。
「にゃー、それが……」
と、ネココさんは少し言いにくそうに、猫耳をぺたんと伏せた。
「……馬車の車輪が壊れちゃったにゃんね」
そう言って指さす先にあるのは、馬車の側に転がっている割れた車輪だった。
馬車につながれている巨大猫のインパクトで、今まで荷台のほうは見ていなかったが……今は木箱を下に置いて、荷台を支えている状態らしい。
「これじゃあ、馬車を動かせないね……」
「にゃんねー」
ネココさんが溜息交じりに鳴き声を出す。
「ここんとこ、雨が多かったにゃんね。車輪がぬかるみにはまって、ぐにゃあってなったにゃんね。お花は鮮度が命なのに、これじゃあ運べないにゃんね」
『4月の雨はパンとワインをもたらす』なんて言葉があるように、この時期の雨はみんなから歓迎されるものだが。
行商人にとっては、やはり雨は天敵らしい。
土の道では馬車がぬかるみにはまり、石畳の道では馬の蹄鉄や車輪がよくすべる。そして、馬車というのは、けっこう壊れやすいものだ。
「にゃー、約束を守れないとはネココ一生の不覚にゃんね。エルルーにゃ様たちは別の馬車に乗せてってもらうといいにゃんね」
と、ネココさんがちょっと涙目になるが。
「え? いや、このぐらいなら普通に直せますよ」
「うん、クロムくんがいれば大丈夫だよ」
「にゃんね?」
俺は馬車の前にしゃがみ込んで、状態をチェックする。
車輪は割れてるし、
しかし――。
「やっぱ、直せないにゃんね?」
不安そうな目で見てくるネココさんに、俺は微笑んで応えた。
「いえ、大丈夫ですよ。それより、なにか部品の欠けはありませんか?」
「ないにゃんね」
「ちなみに、この馬車が壊れたのは?」
「……? 1時間ぐらい前にゃんね。それがどうかしたにゃんね?」
「それなら、問題ありませんね」
「にゃんね?」
時魔術でなにかを修理するときに大事なのは、『部品の欠けがないこと』と『壊れてからの時間が短いこと』だ。
逆にこの2つさえクリアしていれば、どんな複雑な壊れ方をしていようが簡単に直すことができる。
「――“時よ、戻れ”」
俺がそう小声で唱えた瞬間――。
時計盤を模したような魔法陣が現れた。
これは対象の時間を巻き戻す“時間逆行”の術式だ。
かちかちかち……と。
その針の模様が反時計回りに動くとともに――。
壊れていた車輪が元通りに直り、ひとりでに車軸へと戻っていった。
そうして、かちりと歯車が噛み合うような音とともに、“壊れる前の時点”の馬車がそこに現れる。
「えっと、こんな感じでどうですかね?」
「にゃんね!?」
ネココさんが尻尾をぴんっと上げた。
馬車をくるくる周りながら、さっそく部品を指さし確認していく。
「よしにゃんね! こっちも、よしにゃんね! にゃんねにゃんね~! すごいにゃんね! 馬車が新品みたいにゃんね!」
まあ、馬車そのものを新品に近い状態まで戻しておいたからな。
これから俺やエルも乗る馬車だし、これぐらいはサービスだ。
「な、なにしたにゃんね? こんなすぐに直す魔術なんて、見たことないにゃんね。というか、さっきまで魔力の匂いがしなかったのに、どうして魔術使えるにゃんね?」
「ふふんっ。よくわからないけど、これがクロムくんの力だよ!」
「わ、わけがわからないにゃんね」
ネココさんが尻尾でクエスチョンマークを作る。
「でも、能ある猫は爪を隠すって言うにゃんね。さっきは弱そうとか年収低そうとか言って、悪かったにゃんね」
「いえ、気にしてませんから」
「ともかく、これからは無料で仲良くしようにゃんね♪ 一緒に商売とかもするにゃんね♪ クロムにゃんと一緒にいると、お金がっぽがっぽな匂いにゃんね♪」
「は、はい」
鮮やかな手のひら返しだった。
すごい現金というか、なんというか……でも、逆にいさぎよすぎて嫌な気にはならない。
「クロムくん、さっそく仲良くなれてよかったねー」
「仲良くなれたでいいのかな……」
まあ、良好な関係を築けそうではあるけれど。
「でにゃ……馬車の修理代はいくらにゃんね?」
ネココさんがおそるおそる尋ねてくる。
「やっぱり、お高いにゃんね?」
「いえ、お代なんていらないですよ」
「にゃんね!?」
「その代わり、これからもエルと仲良くしてあげてください」
「……なんか、おじいちゃんみたいにゃんね?」
「お、おじいちゃん……」
「じゃあ、お礼に、にゃーの手を1日無料でぷにぷにさせてあげるにゃんね」
「普段はお金取るんですか」
「もちろんにゃんね♪ お金様は神様にゃんね♪」
なんとなく、このネココという少女のことがわかってきた気がした。
そんなこんなで一騒動あったが……。
俺たちはネココさんの馬車に乗って、王都に向けて出発したのだった。
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