第64話 白紙の人形


 記憶の城の最上階――謁見の間。

 乱れ舞うページの渦の中心にある、白い玉座の上で。

 第4の魔王・白紙の天使ロストメモリーは膝を抱えていた。

 そんな彼女の側では――。


「愉快愉快愉快愉快愉快ぃいい――ッ!! 素晴らしいぞッ、メモリア――いや、魔王ロストメモリーッ! お前は、私の最高の作品だッ! 最高の――兵器だッ!」


 クレイドルが窓から王都を見下ろして、高笑いをぶちまけていた。


「あぁあッ! ああッ! ぁああ――見ろ、すごいぞッ! 世界がゴミのようだッ! 神になった気分だッ! 成功だ成功だ、大っ成功だッ! ついに私は魔王の使役に成功したッ! もはや、誰も私に逆らえまいッ! この世界は全て――私の玩具だッ!」


 初めて、お父様に褒めてもらったのに。喜んでもらえたのに。

 そのために、メモリアは生きていたはずなのに。



「……………………………………」



 どうしてか、メモリアの心は動かない。


「あのクロム・クロノゲートもここまでは来れまい! そのまま、世界中の記憶ごと、やつの記憶を吸い上げろ――魔王ロストメモリーッ!」


 メモリアは命令に逆らえない。

 命令に逆らうという考えは――忘れてしまった。


 ――命の賢者クレイドル・デスター。


 あらゆる生命を支配し、もてあそんできた彼による洗脳しつけは、魔王になっても有効だった。


 メモリアはうつろな瞳のまま、自分で望んでもいないのに――記憶のページを吸い上げる勢いをさらに上げていく。


 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら……っ、と。

 記憶のページを通して、王都の人々の記憶が流れ込んでくる。


 幸せな記憶、絶望の記憶、苦痛の記憶……。

 頭の中がごちゃごちゃになる。


(…………怖いの……暗いの……寒いの)


 だけど、自分の意思で力を制御することができない。

 どうしてこうなったんだろう、と少女は自問自答する。

 自分はただ――誰かに愛してほしかっただけなのに。


『……あの子供、生命人形ホムンクルスなんだってな』

天使姉妹エルマーナ計画の失敗例か……』

『記憶魔術の天才? 気味が悪い……』


 フラスコから生まれた少女は、生まれたときから忌み嫌われていた。

 命の賢者クレイドル・デスターの最高傑作――“生ける術式”。


 記憶魔術――“記憶迷子メモリア・ロストメモリー”。


 その人外レベルの記憶操作能力は、人々に恐怖を与えた。

 誰も少女を愛さなかった。創造主であるクレイドルも含めて。



『――お前はメモリア・ロストメモリー。私の人形だ』



 少女が生まれて初めて聞いた言葉が、それだった。


『お前は私のために生き、私のために死ね』

『私にとって必要のないことは全て忘れろ。返事は「はい」しか認めん』


 そう命令されたから。


 少女は夢を忘れた。

 少女は希望を忘れた。

 少女は絶望を忘れた。

 少女は愛を忘れた。

 少女は勇気を忘れた。

 少女は友情を忘れた。

 少女は憎しみを忘れた。

 少女は優しさを忘れた。

 少女は喜びを忘れた。

 少女は怒りを忘れた。

 少女は悲しみを忘れた。

 少女は楽しさを忘れた。

 少女は他の生き方を忘れた。




 そして、少女は――心を忘れた。




 白紙になった少女は、魔術士協会の記憶処理係となった。

 少女は命令に従って、人々の記憶を忘れさせた。


『――なんてことをしてくれたんだ! 記憶を書き換えるなど!』


 忘れさせた。


『記憶を操る魔女め! 返せ、俺たちの記憶を――!』


 忘れさせた。


『……ひっ!? や、やめてくれ! 記憶を奪わないでくれ!』


 忘れさせた。

 忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。

 忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた。忘れさせた……。

 そして――。



『――ここはどこ? わたしは誰?』



 必要のない自分の記憶も、忘れさせた。

 少女はいつも迷子だった。

 誰にも愛してもらえない。誰も手を取ってくれない。


 でも、怖くない。寂しくない。悲しくない。

 だって、そんなものは忘れてしまえばいいだけだから。

 今までは、ずっとそうしてきたから。

 それなのに――。



『――きっと、君は優しい子なんだね』



 不思議な少年と出会ってしまった。

 敵だったはずなのに、彼は温かい手で頭をなでてくれた。

 優しい笑顔を向けてくれた。優しい言葉をかけてくれた。優しい世界を教えてくれた。


 きっと彼はなんでもないことだと思っているのだろう。

 だけど、優しさも温かさも忘れていた少女にとっては、どれも初めてのことで。


 少女の白紙だった世界に、初めて――色がついた。


 忘れることだけが救いだったのに。

 忘れたくない、と思ってしまった。

 こんな感情は忘れていたはずなのに、思い出してしまった。

 だからこそ――。


(…………怖いの)


 少年のことを思い出すたびに、メモリアは弱くなる。

 思い出してしまった感情が、メモリアを苦しめる。

 こんな思いをするのなら、心なんて忘れたままでいたかった。


 人形は――人形らしく。

 最初から、心なんて持たなければよかった。


 それに、あの少年のことを忘れたくないと思っても……。

 どうせ、もう彼と会うことはないのだ。

 会ったとしても、きっと恨まれている。


 メモリアは彼を傷つけてしまったのだから。

 彼の大切にしている日常を壊してしまったのだから。

 みんなを不幸にする魔王になってしまったのだから。


 もう、あの優しい眼差しがメモリアに向けられることはないだろう

 だったら、もう……忘れてしまおう。

 彼の笑顔も、優しい言葉も、温かい手のひらの感触も。


 忘れて、忘れて、忘れて――また白紙の人形になってしまおう。

 そうすれば、もうなにも怖くない……。

 そう思ったときだった。




 ――ぎぃぃぃ……と。




 突然、広間の扉が開け放たれた。

 メモリアの前方から、光が射し込んでくる。

 ゆっくりと瞳を上げて、広間の入り口を見ると――。


「………………ぁ……」


 白紙の世界――。

 その中で、そこだけに色がついていた。


 少年が、立っていた。

 全身ぼろぼろになり、髪は半分が白く染まっている。

 それでも、その瞳はまっすぐにメモリアへと向けられていた。

 クレイドルの高笑いが――止まる。


「……今、とても愉快なところなんだ。邪魔をしないでくれるかね――“英雄”?」


 ぐにぃぃい……と。

 クレイドルが不愉快そうに顔を歪ませる。


「さて、標本にする前に聞いてやろう――ここになにをしに来た? 魔王を殺しに来たのか? それとも、世界を救うとでも言うつもりか?」


「そんなの……決まってるだろ」


 少年はふらふらと剣を抜き放ち、クレイドルへと突きつけた。




「――――女の子を、助けに来たんだ」


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