第65話 思い出せ


「……はぁ……は……っ」


 俺は記憶の城を駆け抜け、最上階の広間へとたどり着いた。

 そこにいたのは――。


「…………ぅ……ぁ、くっ……」


 苦しげなうめき声を上げている、白い翼の天使。



 ――第4の魔王・白紙の天使ロストメモリー。



 王都から吸い上げられた記憶が、渦を巻きながら1人の少女のもとへと集まっていく。

 そのたびに、その白紙の翼がより大きく広がっていく。

 少女がより強大な魔王へと変貌していく。


「……メモリア」


 名前を呼ぶが反応がない。完全に暴走状態なのだろう。

 そして、そんなメモリアの前に立っていたのは――。


「くふふ……この魔王を助けに来た、だと? それは『世界を犠牲にしてでも少女を守りたい』というやつかね? ドラマチックなことを言うではないか」


 メモリアの創造主――命の賢者クレイドル・デスターだった。

 死人みたいな生白いつぎはぎだらけの顔。そのつぎはぎがぶちぶちと裂け、愉快そうに口が耳元近くまで大きくつり上がる。


「しかし、そんな――虫の息の貴様になにができるというのかね? もはや立っているのも、やっとのようではないか。それに――もうほとんど覚えていないのだろう? 自分がなにを助けようとしているのかも」


「…………」


 違うと言ってやりたいけれど……クレイドルの言う通りだ。

 すでに俺の肉体は限界を超えている。


 第2の試練――時空王クロノゲート戦。

 そこで、かなり苦戦させられたのだ。


 全身の骨が折れている。内臓が損傷している。激痛でまともに呼吸もできず、歩くだけで意識が飛びそうになる。

 かといって、傷を再生するだけの余裕もない。


 さらには――その試練で、魔王化のカードも切らされた。

 今はなんとか不完全な魔王化を維持している状態だ。


 そんな状態では、魔王ロストメモリーの力には耐えきれない。

 歩くたびに、体から記憶のページがこぼれ落ちていく。


「ああ、貴様は実に愉快な生き物だ。こんな魔王ばけものでさえも助けようとするなんて。そんなにも優しいから――貴様は誰も救えないのだ」


「……ああ、そうかもな」


 崖にぶら下がっている2人のどちらを助けるか?

 そう問われるたび、俺はいつも迷わず2人とも助けようとしてきた。

 でも力が足りなくて――どちらも落としてしまう。


 前回の人生では、100年間ずっと、そのくり返しだった。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も……。

 俺の手は届かなくて空を切る。


 誰かを切り捨てなければ、誰かを救うことはできない。

 それがわかっているのに……。

 たった1人の泣いている少女さえ、見捨てることができないから。

 だから、俺には――誰も救えなかった。


「……全てを救いたい。それは俺の致命的な弱点だ」


 俺は守るものが増えれば増えるほど弱くなっていく。

 そんなことは俺が一番よく知っている。


「それでも……俺はもう、絶対にあきらめない。何度だってこう言ってみせる」


 俺はメモリアを見すえたまま――誓う。



「――俺がここから、全てを救ってみせるから」



 手を伸ばしても届かないのなら、何度でも手を伸ばせばいい。

 より早く、より強く――手を伸ばせばいい。


 ここからなら、まだ間に合うから。まだ手が届くから。

 そのために、俺は過去に戻ってきたのだから。

 俺はメモリアへと歩みを進める。


「そうか……貴様は強いな。わかるぞ、それだけの強さを手に入れるのに、想像を絶するような努力をしてきたのだろう。とても素晴らしいことだ。その努力の果てに手に入れた力が――これから私のものになるなんて、考えただけでぞくぞくが止まらない」


 クレイドルが陶酔したように身を震わせてから、メモリアに向けて叫んだ。


「さあ、魔王ロストメモリー! その力を見せてみろ! やつの記憶を奪い、私をさらなる高みへと至らせるのだッ!」



「……ぅ……ぁぁ、あああァアア――ッ!」



 メモリアが苦悶の叫びとともに、ばさりと白紙の翼をはためかせた。

 その白い翼から、ぱらぱらぱらぱらぱら……っ! と。

 おびただしい数の白紙が舞い散り、俺へと襲いかかってくる。


 触れたら記憶を吸い取られる白紙のページ。

 その紙吹雪に向けて、俺は――駆けだした。


「……なっ!? 自殺志願か!?」


 クレイドルが驚愕の声を上げるが。



「――――“時間加速ヘイストⅦ倍速セブン・スピード”」



 俺は倍速術式を使い、迫りくる白紙のページを剣で斬り払っていく。

 そうしてできた紙吹雪の間隙へと、俺は前進する。


「ぅ……」


 白紙が体をかすめ、わずかに記憶が吸い取られるが。

 それでも、前へ――。


 魔術士協会の塔のときのように守りに入っては、身動きが取れなくなるだけだ。


(……魔王としての力を使えるのは、あと1回が限界か)


 今はその1回のために、なんとか魔王化を維持している状態だ。

 だから、その1回で勝負を決めなければならない。


 メモリアに近づいて、ゼロ距離で時間逆行の魔法を流し込む。

 そうすれば――メモリアの魔王化は解除できるはずだ。


 逆に失敗すれば、全てが終わりだ。

 魔王化の反動で弱体化すれば、もうメモリアの魔法には耐えられない。

 完全に記憶を失ってしまえば、もう戦うことはできない。


「…………ダメ……来ちゃダメなの……」


 メモリアが頭を押さえながら、いやいやするように首を左右に振る。


「……メモリアはいっぱい悪いことしてきたの……みんなを、いっぱい傷つけたの……」


 ばさり、と。

 白紙の翼がふたたび羽ばたき、さらに記憶のページが放たれる。

 紙吹雪の中を、俺は溺れるように進んでいく。


「……助けなんて、求めてないの……メモリアは人形なの……心なんて忘れちゃえば、つらくないの」


 白紙のページがどんどん体をかすめていく。

 呼吸ができない。意識が白くかすんでいく。


「……それなのに、どうして……そんなにぼろぼろになって……っ」


 記憶がどんどん剥がれ落ちていく。

 どうして、前に進もうとしているのか忘れそうになる。

 目の前の少女のことさえ、忘れそうになる。

 それでも――。




「だって――君が泣いてるじゃないか」




 俺が戦う理由は、それだけでいい。

 君の名前が思い出せなくなっても。君の顔が思い出せなくなっても。

 何度、忘れてしまっても。




 ――――




 心の中で、前回の俺が叫ぶ。

 まるで、暗示のように。呪いのように。血を吐くように。

 そのたびに――俺は、君を思い出す。


「君は人形なんかじゃない」


 思い出す。


「君はアイスクリームが好きだ。チーズが好きだ。ヨーグルトが好きだ。マシュマロが好きだ。ホットミルクが好きだ。トマトが嫌いだ。野菜粥が嫌いだ。セロリが嫌いだ。りんごが好きだけど、りんごの皮が嫌いだ」


 思い出す。


「君はひなたぼっこが好きで。古い本の匂いが好きで。機嫌がいいときは鼻歌を口ずさむ」


 思い出す。


「君が綺麗な花が好きで。ひとりぼっちが嫌いで」


 思い出す。


「うれしいときは笑って、誰かのために涙を流せる」


 思い出す。


「君はそんな、どこにでもいる――優しい女の子だよ」


 何度だって、思い出す。

 前回の人生で、俺はメモリアを救えなかった。

 でも、救おうとした努力までは無駄じゃなかった。


 メモリアを覚えるために、俺は100年近く努力した。

 日記をつけ続けた。たくさんメモを残した。記憶術の訓練も頑張った。


 そしてなにより――メモリアを覚えることを、あきらめなかった。


 だからこうして、何度でも君を思い出すことができる。

 ここから――君を救うことができる。


「あきらめろ、メモリア・ロストメモリー。君がまた心を忘れようというのなら、ひとりぼっちで泣き続けようとするのなら――そんな未来は、俺が何度でも否定してやる」


「……バカ……バカなの……」


 ぼろぼろになりながら前に進み続ける俺を見て。

 人形のようだった少女の顔が、初めて――。 

 くしゃり、と泣き笑いのように歪んだ。


 少女の宝石のような瞳から、ぽろぽろと大粒の雫がこぼれ落ちる。

 どうして、これで人形なんて言えるだろうか。


「……本当は……ずっと迷子で……ずっと暗くて……ずっと寒くて……」


 少女がぽつりぽつりと、嗚咽のような言葉をこぼす。


「……ずっと、寂しかった……ずっと、誰かに手を取ってほしかった……ずっと、助けてほしかった……」


 そして――。

 少女がおずおずと、こちらに手を伸ばしてきた。





「………………助……けて」





 それに対する答えは、100年後から決まっている。


「――任せろ」


 俺は剣を捨てると、紙吹雪の中へと生身で飛び込んだ。

 剣の振り方はもう忘れてしまった。

 しかし、それでもいい。

 女の子の手を取るのに、剣なんて必要ない。


「メモリア!」


 俺は手を伸ばす。

 メモリアはもう目前だ。

 しかし――ぱらぱらぱらぱらぱらっ! と。

 記憶のページが割れた卵殻のようにメモリアを覆い、俺の行く手をさえぎる。


「邪魔を……するなっ!」


 そそり立つ白紙の壁をぶち破るように、手を伸ばす。

 その紙吹雪の先にいるであろう少女へと。


 記憶が急速に吸われていく。

 この先に誰がいるのかを忘れる。

 どうして、手を伸ばしているのかを忘れる。


 それでも――手を伸ばす。

 忘れてしまっても、何度でも伸ばし続ける。


「ぅ……あぁああぁあああ――ッ!!」


 過去を超えて。記憶を超えて。さらに、その先へ――。

 そして、あの日つかめなかった手を……。




 ――――つかんだ。




 その瞬間――。

 俺は残された魔王の力を振りしぼって、心の中で唱えた。


(――“時よ、戻れ”!)


 ばちばちばち……ッ! と、俺の体から雷が放たれる。

 魔力回路の負荷で、口から血がこぼれ出る。

 魔王化が解け、俺の体から急速に力が失われていく。

 それでも、この手を離さない。


「――メモリア!」


 俺は白紙の中から、ぐいっと勢いよく手を引っ張り上げる。

 そして――。


「…………ぁ……」


 メモリアが白紙の中から飛び出てきた。

 その姿は、もう魔王ではない。

 ただの1人の女の子だった。


 ぱらぱらぱらぱらぱらぱら……と。

 メモリアをとらえていた白紙が剥がれ落ちていく。

 白紙の衣も、白紙の翼も、ただの紙に戻ったように風に舞っていき、そして――。


「……っ」


 ごごごごごご……と。

 記憶の城が、崩壊を始めた。

 壁や天井を形作っていた記憶のページたちが王都へと降りそそぎ、持ち主のもとへと還っていく。


 そうして、白紙だった世界に色がつくように。

 俺たちの視界いっぱいに――ぱぁっと青空が広がった。


「…………おかえり」


「…………ん」


 メモリアが目を潤ませながら、こくりと頷く。

 それから、俺たちはゆっくりとふり返った。


「あとは、お前だけだな――命の賢者クレイドル・デスター」


「……な……ななッ」


 そこにいたのは、唖然としたように立ちすくむクレイドルだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る