第66話 色づく世界


「あとは、お前だけだな――命の賢者クレイドル・デスター」


 崩壊していく記憶の城の中。

 俺とメモリアはゆっくりとふり返る。

 その先にいたのは、唖然としたように立ちすくむクレイドルだった。


「……ば、バカなッ……魔王化を解除だと……? あ、ありえん……ありえないだろッ! 魔王だぞッ!? 魔術を超越した――“魔法”へと至った存在なのだぞッ!? それに今の力――まさか、貴様も魔王に……ッ!? そんなの記憶データになかったぞ……ッ!?」


 クレイドルは俺の記憶を見て、いろいろと対策を練っていたみたいだが。

 その“俺の記憶”というのは、俺が魔術士ザコと戦っていたときのものだろう。


「お前は記憶を見て、俺を知った気になっていたみたいだけど――俺が魔術士ザコを倒すのに、本気の1割も使っていたと思うのか?」


「な、なにッ!?」


「さて……それより、あまり時間がないな」


 記憶の城はどんどん崩壊していく。

 もうあまり持たないだろう。

 だから、その前に――。 

 俺は剣を拾い上げて、クレイドルへと突きつけた。



「それじゃあ、始めようか――命の賢者クレイドル・デスター。お前の未来は、俺がここで否定させてもらう」



「く……来るなッ!」


 クレイドルが先ほどまでの余裕の表情から一転。

 焦りを顔に浮かべて後ずさる。


 この記憶の城には、クレイドルの武器となる使役魔獣はいない。

 俺が一歩近づくごとに、クレイドルもまた一歩退がっていき、そして――。


「……っ!?」


 がくっ、と。

 クレイドルが崩落した床から足を踏み外した。

 床を形作っていた記憶のページが、ひゅぉおお……っと地上に吸い込まれていく。


「ひっ!」


 クレイドルはとっさに床の縁にしがみつくが――。


「わ、私の記憶が……ッ!?」


 記憶を喰らう白紙のページに、触れてしまった。

 クレイドルの体から、記憶のページがこぼれ落ちていく。

 しかし、床から手を離せば――上空から生身で落下することになる。


「め、メモリアぁぁあ――ッ!! なにをしているぅうッ!! 私の記憶を奪うなと言っただろうがぁあッ! 早く私を助けろぉおッ!! この、のろまがぁあああ――ッ!!」


 クレイドルが命令をする。

 しかし――。



「……嫌なの」



 メモリアが頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向いた。


「は………………はぁあッ!?」


 あまりにも想定外だったのか、クレイドルが素っ頓狂な声を上げる。

 彼にとっては初めてだったのかもしれない。

 自分の作ったものに裏切られるというのは。

 そうしているうちにも、クレイドルの記憶はどんどんこぼれ落ちていく。


「ふ、ふざけるなぁあ――ッ! 誰が貴様を生み出したと思ってるんだぁあッ! 貴様は私のために生きる人形だろうがぁあっ!」



「……“人”にものを頼む態度じゃないの。態度が気に食わないの」



「な…………なぁあッ!?」


 クレイドルがまたもや素っ頓狂に叫ぶ。

 この記憶の城には、クレイドルが操れる使役魔獣は存在しない。

 誰も救わず、誰も守らず、誰とも友情や愛情を育まず――ただ支配だけをした彼を救う者は、もうここにはいなかった。


「な、なぜだ、なぜだぁあ――ッ!? こ、ここからなのだぞ――私の思い描いた未来は、ここから始まるのだッ! 全ては成功するはずだったッ! 魔王を完成させ、使役し――私は世界の覇者として君臨するはずだったッ! 世界は私の玩具になるはずだったッ! 史上最悪の大罪人として永遠に名を刻まれるはずだったッ!」


「……ああ、そうだな。たしかに、そんな未来が訪れるはずだった」


 俺はクレイドルを冷ややかに見下ろす。


「お前は本来、こんなところであっさり倒されるような小物じゃない。俺がいなければ、お前はこのまま魔王を生み出し続け、世界を破滅に導いていただろう。お前の魔王細胞の研究によって、この先ずっと魔王は生まれ続ける。そして、未来を破滅させた黒幕として、お前は永遠に名を刻むことになる。だけど、その未来は――もう終わった」



「ま、まだだぁあッ! まだ終わりではなぃいッ!」



 クレイドルがロングコートの懐から注射器を取り出した。

 それは、水色の液体――魔王細胞の入った注射器だ。


「魔王細胞の有効性については、貴様らで実証できたッ! ぁあ、そうだッ! かくなる上は――私が魔王になればいいッ! そして、全てを滅ぼせばいぃいッ!」


 そう叫びながら、クレイドルが首筋に注射器を刺す。

 それを、俺は――止めなかった。


「来たぞ――来た来た来たぁあ――ッ! 素晴らしい力ぁあッ!」


 クレイドルの肉体がびきびきと変形を始める。

 肉が削げ落ち、骨が長細く伸び、無数の肋骨が全身から脚のように生えてくる。

 そうして、クレイドルは禍々しい巨大な骨蛇へと変貌した。



「――滅べぇえぁあッ! クロム・クロノゲートぉおッ!」



 骨蛇がかま首をもたげて、飛びかかってくる。

 俺を食いちぎろうと迫りくる骨牙。

 しかし、それを目の前にしながら――俺は動かなかった。


「最期に、お前の死因を予言してやろう」


 俺はゆっくりと骨蛇に指を向ける。



「お前は――お前の作り出したものに殺される」



 その言葉とともに。


「……ぇ……ぁ?」


 ぴたり、と。

 俺の眼前で、骨蛇の牙が止まった。

 時間を停止させたわけではない。


 その証拠に――ばき、ばきばき、ばきばきばきばき……と。

 クレイドルの骨の体に亀裂が走り、砕け散っていく。


「ば、バカなッ!? な、なぜ……ッ!? なにをした、クロム・クロノゲートッ!?」


「俺はなにもしてないぞ」


「嘘をつくなッ! なら、どうしてッ!? 私の体が崩壊しているというのだッ!?」



「そんなの決まってるだろ――お前に魔王になれる素質がなかっただけだ」



 クレイドルは注射を打ってすぐに破裂こそしなかったものの……。

 魔王細胞に適合するところまではいかなかったのだ。


「う、嘘だッ! 嘘をつくなぁあッ! どうして私の人形が魔王になれて、私がなれないというのだッ!? あの人形のほうが――私よりも優れているとでもいうのかッ!?」


「ああ、その通りだよ」


 前回の人生でもそうだった。

 クレイドルは自分の作り出した魔王に追いつめられたすえに、自分の作り出した魔王細胞に手を出して――自壊する。


 クレイドルは人工的な魔王を生み出した天才魔術士だった。

 しかし皮肉にも、本人には魔王になれる素質がなかったのだ。

 自分が作り、人形だと蔑んでいた少女が魔王になれたというのに。


「お前はきっと……何度人生をくり返しても、自分の作り出したものに殺されるだろう。それが命をもてあそび続けた、お前の宿命だ」


「く、クソがぁあ――ッ!!」


 クレイドルが体をばらばらと瓦解させながら絶叫する。



「貴様が……貴様さぇえ――ッ!! クロム・クロノゲートぉお――ッ!!」



 その叫びを最後に、クレイドルの体がずるりと城からすべり落ちた。

 崩れゆく体では城にしがみつくことができなかったのだろう。

 空へと放り出されたクレイドルを見下ろしながら。

 俺は、最後に告げた。




「――――終われ」




 その言葉とともに。

 さらさらさらさら……と。

 骨蛇の体が塵と化し、青空に溶けて消えていく。


 天才魔術士にしては、あまりにもあっけない最期だったが……。

 魔王を生み出し、未来を破滅させた元凶は――今ここに消滅した。



   ◇



 クレイドル撃破後。

 俺とメモリアは、未来を破滅させた元凶の消滅を喜んでいる暇もなく。

 崩壊していく記憶の城から、急いで脱出した。


 記憶のページの時間を止めて、魔術士協会の塔までスロープ状の道を作ったのだ。

 そうして、半ば転がり落ちるように道をすべっていき――。


「……ひ、ひどい目にあった」


 俺は埃を払いながら、よろよろと立ち上がる。

 ただでなくても全身ぼろぼろで、魔王化の反動で弱体化しているというのに。

 少しは休ませてほしいものだ。

 しかし、メモリアは無表情のまま目をきらきらさせていた。


「……楽しかったの。もう1回やりたいの」


「お、俺はもう勘弁かな……」


「……そうなの?」


 案外、メモリアは好奇心旺盛なタイプなのかもしれない。

 それから、俺たちは青空に浮かぶ記憶の城へと目を向けた。


「あ……」


 もはや、記憶の城は原型が残されていなかった。

 俺たちが脱出したのは、かなり間一髪のタイミングだったのだろう。


 すぐに風に吹き消されるように、紙をまき散らしながら……。

 記憶な城は、青空に溶けるように完全に消滅した。


 ぱら、ぱらぱら、ぱらぱらぱら……と。

 抜けるような青空の下――王都へと降りそそぐ紙吹雪。

 春の陽光に白くきらめきながら、記憶のページが人々へと還っていく。


「…………わぁ」


 と、そんな塔からの景色に、メモリアは感嘆の吐息を漏らした。




「…………とっても、綺麗なの」



 空の抜けるような青さ。

 はるか彼方まで広がる草原の緑。

 王都の人々が織りなす雑多な色。

 遠くに見えるアルマナの町のカラフルな花畑の色。

 ここから見える景色には、数えきれないほどの色が満ちていた。


「……忘れてたの……世界には、こんなにたくさん色があるの」


 メモリアが目をきらきらさせて空へと手を伸ばす。

 まるで初めて世界を見た子供のように、無邪気な声を漏らしながら。


(ああ、そうだ……)


 前回の人生で、俺は君に――こんな未来を見せてあげたかったんだ。

 こんな、たくさんの色を見せてあげたかったんだ。


「…………わぁ……」


 白紙だった少女の瞳が、どんどん色を吸い込んでいく。

 これまでの記憶がない分、見たこともないものも多いはずだ。

 きっと、メモリア・ロストメモリーの本当の人生は、今から始まるのだろう。


「……これは幸せな記憶なの。もう忘れないの。全部、全部……」


 メモリアはこの始まりの景色を、エメラルドの瞳に焼きつける。

 いつまでも、いつまでも、飽きることなく……。


「……ありがとなの……メモリアの手を取ってくれて……こんな景色を見せてくれて……」


 やがて、ふり返ったメモリアは、涙の雫を光らせながら微笑んでいた。

 その顔はもう人形なんかではない。白紙なんかではない。

 俺はメモリアの頭に、ぽんっと手を置く。


「まだ、これからだよ」


「……え?」


「これから君の本当の人生は始まるんだ。これから君はもっともっと幸せになっていくんだ。こんな綺麗な景色も、これからはたくさん見られるよ」


「……そうなの?」


「ああ。君が幸せになれる記憶を、俺も一緒に探してあげるから。もしも君がまた迷子になっても、何度でも俺が見つけてみせるから」


 俺はメモリアに手を差しのべる。

 もう、二度とはぐれないように。

 もう、二度と彼女が迷子にならないように。



「だから、一緒に帰ろうか――メモリア」



 メモリアは目をぱちくりさせて、俺の手と顔を交互に見てから。


「…………ん」


 と、俺の手をうれしそうに取って。

 青空の下、輝くような笑顔を浮かべるのだった――――。


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