第47話 動きだす十二賢者(敵視点)


「――“記憶人形”の噂、知ってる?」


 ぱら、ぱらぱらぱら……と。

 王都エンデの大通りに、本のページが舞っていた。


「捨てられた人形が人間を妬んで、幸せな記憶を食べていくんだって」

「えー、こわ~い」

「でね、その人形は、髪が真っ白で……って、あれ?」

「……私たち、なんの話してたんだっけ?」


 本をとじる紐がほどけたように、街行く人々の体からページがこぼれ落ちていく。

 そのことを誰も気にとめることなく。

 すぅぅぅ……と、ページたちは1冊の本へと吸い込まれていく。

 それは魔導書を思わせる重厚な装丁の本だった。

 そして、その本を両腕で抱きしめるように持っているのは――。


「…………………………」


 白い少女だった。

 その無表情な顔は作り物めいていて、エメラルドの瞳をはめ込まれた人形のようにも見える。

 少女はふらふらと迷子のような足取りで、街を歩いていく。


「いやぁ、美味かったな、ここのアイス。並んだかいあったな」

「そうだな――って、あれ? 俺たち、なに食べたんだっけ?」

「はぁ、なに言ってるんだ? なにも食べてなかっただろ?」

「あー、そうだったな。記憶違いだったみたいだ」


 白い少女を中心に、ぱらぱらと渦を巻くようにページが舞う。

 そのページの1つを手に取り、少女はぺろりと唇をなめた。


「……アイス、ごちそうさまなの」


 白い少女のことを気にとめる人は、誰もいない。

 少女が目に入っても、すぐに忘れてしまう。

 なにも読み取れず、誰の記憶にも残らない。

 まるで、ひとひらの白紙のように。


 あきらかに――異常。

 しかし、その異常こそが、少女にとっての日常だった。

 ただ、今日は少しだけ違った。

 ふと、白い少女は、先ほど出会った少年の顔を思い出す。


(……不思議な人だったの)


 少年はなぜか、少女を見つけた。見つけることができた。

 そのうえで――声をかけてきた。


(……初めてなの)


 あんなふうに声をかけられたことも。手を取られたことも。

 まっすぐに見つめられたことも。

 彼のことを思い出すと、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 だから、忘れたくないなと思ってしまった。

 もう彼と出会うことはないのだとしても。

 少女と少年の物語が交わることがないとしても――。



「――また迷子になっていたのか、メモリア」



 と、いつの間にか。

 白い少女の前に――死人のような男が立っていた。

 つぎはぎだらけの生白い皮膚の上から、喪服のような黒いロングコートをまとった男だ。眼窩は落ちくぼんで陰になっているが、その奥からは冷たい瞳の光がのぞいている。


「――“お父様”」


 メモリアと呼ばれた白い少女は、表情を変えずにとことこと“お父様”に近づく。


「報告をしろ。任務はどうなっている?」


「ん……」


 メモリアは手にしていた本を、もたもたと重たそうに開いた。


「……“お父様”の言う通り、みんなから魔術士協会とアルマナの地下迷宮に関する記憶を忘れさせてきたの。残りは、スカーレット家の人間と――クロム・クロノゲートだけなの」


「遅いな」


「……ごめんなさいなの」


「だが、まあいい。クロム・クロノゲートが王都に来たのだ。ここからは慎重にいこう――いったん、“リセット”だ」


“お父様”にそう言われた瞬間――。

 メモリアの瞳から、すぅっと光が抜け落ちた。


 ぱら、ぱらぱら、ぱらぱらぱらぱらぱら……っ! と。

 メモリアの体から、本のページが――記憶のページが一斉に舞い上がる。


「……ぁ」


 つい先ほどまで、覚えていた少年の顔が――。

 少女の頭の中から、白く薄れて消えていく。

 忘れたくなかったのに――止められない。

 そのまま、メモリアはしばらく立ち尽くしたあと。


「……?」


 ふいに、きょとんと首をかしげた。


「――ここはどこ? わたしは誰?」


 迷子のように。記憶喪失のように。

 メモリアは辺りをきょろきょろと見回す。


「ここは王都エンデだ。そして、お前の名前はメモリア――」


 まるで道具の調整でもするように、“お父様”は慣れた様子で答える。



「十二賢者・第10席――記憶の賢者メモリア・ロストメモリー。私の人形だ」



 記憶人形。

 記憶を操る魔女。

 魔術士協会の記憶処理係。

 この少女は名前よりも、そんな通称で呼ばれることが多い。

 なぜなら、この少女を覚えている者はほとんどいないから。

 少女本人でさえも――忘れてしまうから。


「……ん、記憶したの」

 

 メモリアは、かくんと人形みたいに頷く。


「それより、メモリア。任務だ」


「……任務?」


「ああ――クロム・クロノゲートの記憶を奪え」


「……クロム・クロノゲート……」


 メモリアがぼんやりと暗示にかけられたように言葉を反芻する。


「……悪いやつ、なの?」


「ああ、もちろんだとも。この世に悪くない人間などいない。そして――やつは、お前の敵だ」


「……メモリアの敵」


「やつは我らの計画の妨げになる。排除しないことには、むやみに魔王を作り出したところで無駄になるだけだ。それに――」


“お父様”はにたりと暗い笑みを浮かべる。


「クロム・クロノゲートの記憶は、ぜひとも欲しいからな」


 記憶を手に入れることができれば、クロム・クロノゲートを無力化することができる。

 さらには、その謎に包まれた知識や技術も、全て自分たちのものとなるのだ。アルマナの地下迷宮で多くの手駒を失ったが、彼の記憶を手に入れることができれば、充分にお釣りが来るだろう。


「メモリア――お前は、記憶を操る魔女だ。初見でお前を倒せる者はいない。たとえ、相手が魔王を倒した“英雄”だとしてもな」


 人は記憶でできている。

 魔術も、武術も、あらゆる知識や技術も……全ては記憶の産物でしかない。

 どれだけ力があろうと、記憶がなければ人間は無力だ。


「ん……わかったの。“お父様”がそう言うなら――」


 メモリアはこくりと頷く。

 白紙の少女に、今――命令が書き込まれた。



「――クロム・クロノゲートの記憶は、メモリアが奪うの」



 ぱらぱら、ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら――っ! と。

 少女の言葉に呼応して、記憶のページが紙吹雪のように乱れ舞う。


 そのページが晴れたとき。

 もうそこには、誰の姿もなかった――。


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