第62話 未来記憶


(……なんだ、この記憶は?)


 雪のように静かに白紙が降りそそぐ、廃墟の町。

 そこに、白い翼を生やした少女が膝を抱えて泣いていた。


 ――白紙の天使ロストメモリー。


 俺の忘れていた彼女との記憶が、目の前に現れていた。


「……誰、なの?」


 白い少女がふっと顔を上げる。

 涙に濡れたエメラルドの瞳――そこに映っているのは、髪の半分が白くなっている俺だった。


 おそらくは、ラビリスを単独討伐した実力を買われて、十二賢者の末席になっていたころの俺だろう。

 俺は抜き身の剣を手に、少女に歩み寄る。


「……わたしを……殺してくれるの?」


「そのつもり、だったんだけどね」


 俺は自分の意思とは関係なく苦笑する。

 もはや、記憶の中の自分とほとんど同化してしまっているようだ。


「君は未来を破滅させてたくさんの人を不幸にした。だから、きっとここで殺すのが正しいことなんだろう」


「なら……」


「だけど――君が泣いていたから」


 自分の悪い癖だと思いつつも。

 俺は剣を鞘に収め、代わりに少女に手を差しのべた。


「一緒に来ないか? 2人なら、きっと寂しくない」


 たぶん、俺も寂しかったのだろう。

 大切な人たちを失って、みんなから化け物だと言われるようになって、それでも孤独に戦い続けて――。


「……変な人、なの」


 少女が目をぱちくりさせて、俺の手と顔を交互に見る。


「……でも、メモリアのことは……みんな、忘れちゃうの」


「そうだね、俺はたぶん君をすぐに忘れると思うし、君を幸せにできるって約束できるほど強くもない」


「……ダメダメなの」


「ああ。それでも……これだけは約束するよ」


「……約束?」


「何度忘れても、そのたびに君を思い出すから。何度でも君を見つけてみせるから。だから――俺と一緒に生きてくれ」


 そうして、1人と1人が手を取り合った。


 俺はメモリアを自分の研究室へと招き、温かい服や食べ物を与えた。

 彼女を忘れてもすぐに思い出せるように、部屋中のいたるところにメモを置いた。

 日記もこまめにつけるようにした。

 そのせいか、研究室はいつも紙だらけになっていた。


「記憶術って知ってるかな? “記憶の宮殿”ってやり方なんかが有名なんだけど……忘れるっていうのは多くの場合、思い出せないってことなんだ。でも、頭のどこかには残ってる。だから大切なのは、思い出すためのきっかけ作りなんだよ」


 メモリアがきっかけで、記憶術の訓練もよくするようになった。

 記憶というのは案外、才能が必要ない分野だったため、俺とは相性がよかったのかもしれない。

 俺は1冊の本を3分で暗記できるほどに記憶力を鍛えていった。

 そんな俺に、メモリアは一度だけ尋ねてきた。


「……なんで、なの?」


「え?」


「……なんで、そんなに頑張るの? わたしのことなんて、忘れてしまえばいいの。忘れたことも忘れてしまえば、つらくないの」


「君は……優しい子だね」


 そっと頭をなでる。


「でも、あきらめるのだけは嫌なんだ。俺が弱いことも、誰かを守れる力がないこともわかってる。それでも、君だけでも救うことができたら――俺は少しだけ、救われると思うから」


 メモリアとの日々を過ごしながらも、俺は戦場を駆けまわっていた。


「……大丈夫なの? ぼろぼろなの」


「ああ、これぐらいの怪我なら慣れてるから。それに……すぐに俺が全ての魔王を倒して、この戦いを終わらせてみせるよ。そうしたら、2人で静かに生きよう」


「……ん」


 しかし、その願いは叶わず……。

 戦いはどんどん激化するばかりだった。


 魔王も次々と誕生していく。

 未来は破滅へとまっしぐらに突き進んでいく。

 俺は少しずつ魔王細胞を取り込んでいって、立ちはだかる敵たちに対抗していった。


「……これ以上の魔王細胞は、危険です」


「でも、俺は……もっと、強くならないといけないんだ。もうなにも失わないように、もう誰も泣かないように――」


 未来は破滅に向かっていく。

 俺はどんどん強くなる――化け物になっていく。

 そうして次々と誕生する魔王たちと、俺は戦った。


 始祖竜ヴェルボロス、究極生命体アルティメルト、聖天使セレナーデ、黒死蝶ヒストリア、天空王スフィア=ノート、巨神要塞テゥルギア、終わりの天使フィーネ=ラム、百眼王アイ=ビー、絶対零姫フロストフィールド、夢幻回廊ナイトゲート、死喰蟲エウリノーム、蜃気竜トロイメライ、塵王カイオウ、九十九神ドールランド、毒裁女王ザリチェ、風廻鳥パズズ、強奪王クロウ、鍵守双子ル=ル、災厄姫デザイア、千変道化スケルツォ、宇宙竜バルフート、精霊王オラトリアス、石巨神アルマ=キナ、冥姫ハナハナ…………。


 戦った。

 戦った。戦った。戦った。

 戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った。戦った……。


 たくさん涙を流した。たくさん血を吐いた。たくさん禁忌を犯した。

 それでも、俺は――誰も守れなかった。


 強くなるのが間に合わなくて。助けるのが間に合わなくて。

 俺の伸ばした手は、いつも誰にも届かない。

 まるで――呪いのように。


「お前のせいだ……」「化け物……」「お前さえいなければ――化け物め」「お前が滅ぼしたんだ」「……化け物」


 助けた人たちからは、いつも怯えられた。

 憎まれて殺されかけたこともある。


 それでも、俺は誰かを救いたかった。

 子供のころに憧れた英雄のように。

 昔、俺に優しさを教えてくれた人たちのように。

 そして、強さを追い求めたすえに――。


 史上最強の大災厄――時空王クロノゲート。


 世界でもっとも恐れられる魔王に、俺はなっていた。

 ただ存在するだけで周囲に滅びをまき散らす存在になっていた。


 もともと魔王の力を制御できる素質はなかった。

 それなのに魔王細胞を取り込みすぎて、完全に制御できなくなったのだ。


「……なんのための力だ。こんなことのために、俺は……強くなったんじゃない」


 針の止まった時計塔の上から、俺は滅んだ世界を見下ろす。

 を見下ろす。


「ようやく、全てを守れる力が手に入ったんだ。それなのに、どうして……なにも残ってないんだ。どうして……俺が世界を滅ぼしてるんだ」


 俺は失敗した。失敗した。失敗し続けた。

 全てを救おうとして――誰も助けられなかった。


「メモリア、俺は……英雄にはなれなかったよ」


「……クロム様」


 この世界にはもう、俺とメモリアしか残っていなかった。

 メモリアはこんな俺にも、ずっとついて来てくれた。

 俺がまだ正気を保っていられたのも、彼女のおかげかもしれない。


 でも、こんな未来をメモリアに見せたかったわけじゃない。

 彼女にはもっと普通に生きてほしかった。

 もっと幸せな記憶をたくさんあげたかった。


「クロム様、まだ終わってませんよ。“過去戻りタイムリープ”があるじゃないですか」


 メモリアがつとめて明るい口調で言ってくるが。


「ああ、“過去戻りタイムリープ”か……」


 それはメモリアと共同で研究していた魔法だった。

 記憶を過去へと送る魔法。


 俺の魔力回路は、過去や未来につながっている。

 その魔力回路を通して、メモリアの記憶魔法を送り込むことができれば――この未来を変えられるかもしれない。


 それが俺たちに残された最後の希望だったが……。

 俺は力なく首を振った。


「……ダメだった。何度も計算したんだ。全てが始まった100年前に、戻るには……世界中の魔力をかき集めても足りない」


 世界中の迷宮核をかき集めた。

 魔王の魔力を吸収し、時間を超えてストックしてきた。

 それでも――届かなかった。


「もう他に魔力源はない。俺はまた……間に合わなかったんだ」


 力をつけるのがもっと早ければ、時間移動の距離も短く済んだ。それなら、ここまでの魔力は必要なかっただろう。

 俺の伸ばした手はいつも、あと一歩のところで空を切る。


「2人ではダメなら……1人ではどうですか?」


「……え?」


「もしかして、クロム様が1人で過去に戻るなら、魔力は足りるんじゃないですか?」


「……っ! それは絶対にダメだ!」


「やっぱり1人分の魔力はあるんですね?」


「…………だとしても、だ」


 未来をやり直すということは、『この時間をなかったことにする』ということだ。

 メモリアを過去につれて行けないのならば……。

 今ここにいるメモリアも、なかったことになってしまう。

 俺の手でメモリアを消してしまう。


「……もう、やめよう。こんなことは」


「あきらめるんですか?」


「ああ…………あきらめるよ」


 メモリアを消すことになるぐらいなら。

 そんな記憶を、過去に持っていくぐらいなら……。

 もうここで、全て終わってしまってもいい。


「どうせ、過去に戻ることができても……俺にはなにも救えないよ。きっと、もう心も耐えられない。もう……疲れたんだ」


 100年間戦い続けて、失い続けて、精神はもう限界だった。

 もともと俺は、心が強いわけじゃない。

 ここでメモリアまで消すことになれば、俺は確実に壊れてしまう。


「……過去戻りタイムリープの魔法陣は、もう壊す。これからは、2人で静かに生きよう。世界が終わるそのときまで……」


 俺はそう言って、メモリアに背を向けた。

 だから、俺は……彼女がどんな顔をしているのか見ることができなかった。


「クロム様」


 決意を込めたような声で、呼び止められる。

 そして、彼女は言った。



「――



 ……そこからの記憶は、おぼろげにしか残っていない。

 気がつけば、メモリアの姿は消えていて。


「……あれ、俺……誰としゃべってたんだ?」


 俺はメモリアのことを忘れていて。


「ああ、そうだ……過去戻りタイムリープをするんだ。たしか――世界中の魔力をかき集めれば、


 俺は1人で、過去戻りタイムリープの準備を始めた。

 必要な材料を集め、巨大魔法陣を描き、そして――。


 ――女神暦1300年、4月10日、17時58分。


 黄昏色に染まる大聖堂の廃墟。

 ステンドグラスの破片が散りばめられた地面には、いつか誰かが好きだと言っていた忘れな草の青い花が咲き乱れている。

 その中で、俺は1人――過去戻りタイムリープの魔法陣の上に立っていた。


「ついに、ここまでたどり着いた。全てを取り戻すんだ、“あの日”から――」


 集めた魔力を、魔法陣へと流し込んでいく。

 過去戻りタイムリープに必要な魔力は集まった。


 これで、100年前の“あの日”に戻ることができる。

 この救いようのない未来を、救いに行くことができる。

 今日はめでたい門出の日だ。

 それなのに、どうして……。


「どうして……俺、泣いてるんだ?」


 涙を抑えられない。

 ぬぐっても、ぬぐっても、あふれ出てくる。

 どうして泣いているのかもわからないまま、俺はただ子供のように泣きじゃくることしかできない。



「――もう、泣かないでくださいよ、クロム様……せっかくの門出なんですから」



 ふと、そんな声が聞こえてきた。

 気づけば、目の前に少女が立っていた。

 いや、違う――彼女はずっと俺の側にいたのだ。

 どうして、忘れていたのだろう。


「…………メモ……リア?」


 彼女の名を――思い出す。

 それが呼び水となったように、メモリアのことを一気に思い出していく。


「……思い出して、しまったのですね」


「な、なんで、俺……1人で過去に行こうとしてるんだ……? 俺が過去に戻ったら、この時間が――君が消えてしまうじゃないか」


 俺の手で、消してしまう。

 それだけは――絶対に嫌だったのに。


「ち、違う……俺は、こんな未来にたどり着きたかったんじゃない。俺はただ、君だけでも救いたかった……そ、そうだ、過去に行くなら2人で行こう……っ!」


「ダメですよ。過去には1人しか行けないって、クロム様が言ったじゃないですか」


「だ、だったら、この時間をずっと2人で生きればいいじゃないか……!」


「それも、ダメですよ」


「どうして……っ!」


「だって、クロム様が――泣いているじゃないですか」


 彼女がそう言った瞬間――。

 ぱらぱらぱら……と俺の体から記憶のページが舞い上がった。


「な、なんで……」


 魔力を過去戻りタイムリープのために全て注ぎ込んでいたせいで、抵抗ができない。

 記憶がふたたび白く塗りつぶされていく。


「い、いやだ――メモリア! や、やめてくれっ! 忘れたくないっ! ようやく、君を覚えていられるようになったんだ! ようやく、君が笑ってくれるようになったんだ!」


 地獄のような100年間だった。

 忘れたいと思うことも何度もあった。

 それでも、君と過ごした100年間だった。


「君が側にいてくれたから、俺は――」


 しかし、その言葉の先を、俺は忘れてしまう。

 俺の頭の中から、少女の名前が消えていく。

 少女との思い出が消えていく。

 少女の笑顔が――消えていく。


「い、いやだ……っ!」


 俺は少女へと手を伸ばす。

 しかし、その手が届く前に――。


 ――かッ! と。

 魔力の充填を終えた魔法陣から、青白い雷がほとばしった。



 ――過去戻りタイムリープが始まったのだ。



 世界が白い光で染まっていく。

 時空が崩壊していく。景色がガラスのようにひび割れ、砕け散っていく。


 この時間が“なかったこと”になっていく。

 目の前の少女が“なかったこと”になっていく。


 もう、後戻りはできない。

 この少女はもう――救えない。


「クロム様」


 そんな終わりゆく世界の中で――。

 少女は慈しむように微笑んで、俺を優しく抱きしめてきた。


「どうか、この未来を救ってください」


 やめてくれ。


「そして、幸せになってください」


 やめてくれ。


「クロム様はきっと、たくさんの人に愛されるでしょう。だけど、私はそこにいなくてもいい」


 やめてくれ。


「クロム様は優しいから――この記憶には、きっと耐えられない。だから……いつかどこかで、また私と出会ったら、そのときは……ちゃんと私のこと、忘れてくださいね」


 やめてくれ。


「私はもう、たくさんもらいましたから」


 やめてくれ。



「あなたに出会えて、私は――幸せでした」



 やめてくれ。

 そんな最後みたいなこと、言わないでくれ。


 ここからじゃないか。ここから始まるんじゃないか。

 ここから俺たちは幸せになるんじゃないか。


 君はまだ泣いているじゃないか。

 俺はまだ……君を救えていないじゃないか。


 君に言いたいことはたくさんあるんだ。

 それなのに、どんどん記憶からこぼれ落ちてしまい言葉にならない。


 そうしているうちに、世界が白い光で塗りつぶされる。

 もう、なにも見えない。なにも聞こえない。


(俺は……また救えなかった……)


 この人生で、俺は最後まで誰も救うことができなかった。

 それとも、俺なんかが誰かを救おうとしたことが間違いだったのか?

 あきらめていればよかったのか?


 弱いくせに、臆病なくせに、脇役のくせに……。

 英雄なんかに憧れて余計なことをしなければ。

 そうすれば、こんな未来にならなかったのか?

 それでも、俺は――。



「……あきらめて、たまるかっ!」



 白い世界の中、俺はやみくもに手を伸ばす。

 その手はなにもつかめないけれど。誰にも届かないけれど。

 この手の先に誰がいるのかも、もう思い出せないけれど。

 それでも――誓う。


「俺は……けっして忘れない。この地獄のような100年間を――君と過ごした大切な時間を」


 ――誓う。


「何度忘れても、そのたびに俺は君を思い出す。どんな時代に行っても、俺は必ず君を見つけてみせる」


 ――誓う。


「もう、絶対に……あきらめない」


 ――誓う。


「次こそは、きっと救ってみせる」


 最後の瞬間まで――俺は誓う。




「――俺がここから、全てを救ってみせるから」




 ……この誓いを、俺はけっして忘れない。

 忘れてしまっても忘れない。忘れてはならない。忘れてたまるか。



 ――――



 何度でも、何度でも、何度でも……。

 心の中でこの言葉を唱えろ。


 忘れるたびに思い出せ。この涙の意味を思い出せ。

 伸ばした手の意味を思い出せ。救うべき人がいることを思い出せ。

 そして――。



 ――――



 愚かでいい。間違いでもいい。

 それが弱みになってしまってもかまわない。

 その“全て”の中に、きっと君がいるから――。

 救いたいと思ったものを、けっして切り捨てるな。



「…………バカですね、クロム様は……」



 それは一瞬の幻だったのかもしれない。

 しかし、世界が終わる瞬間――俺はたしかに見た気がする。


 くしゃりと泣き笑いを浮かべる少女の顔を。

 その宝石のような瞳から弾け飛ぶ、透明な雫を。

 そして、最後に――少女は、笑って手を振った――――。



「――では――良い旅を、クロム様――――」



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