第61話 記憶の試練
記憶の城に入ると、白い画廊のような空間がどこまでも広がっていた。
白い床、白い壁、白い天井……。
壁にぽつぽつと飾られている額縁の中には、誰かの記憶が映し出されている。
おそらくは、異空間になっているのだろう。
外から見たのと広さが違うし、空気もあきらかに異質だった。
(床も、壁も、天井も……全部が記憶のページか)
この城の全てが、触れたら記憶を吸われてしまう即死罠みたいなものだ。
数歩も歩けば、それだけで記憶喪失になってしまう。
ある意味で迷宮らしいのかもしれない。
入ったが最後、記憶を城に喰われて死ぬまで迷い続けることになるのだから。
だが、俺には対策がある。
「――“時よ、止まれ”」
床の時間を停止させ、俺は城の奥へと進んでいく。
あまり悠長にしていられる時間はない。
(今ならまだ、俺が魔王化すれば……みんなの記憶も、メモリアの魔王化も、元に戻せるはずだ)
魔王化――未来の俺の姿に、一時的になること。
地上で魔王化するのは力の余波で街を滅ぼすリスクがあるため、うかつにできないが……上空にあるこの城の中でなら大丈夫だろう。
そして、魔王の力があれば、メモリアの魔王化を解除することができるはずだ。奪われた王都民の記憶も、元の場所に還すこともできる。
(……ただし、魔王化は切り札だ)
この前使ったときの感じからして、魔王化は数分維持できればいいといったところだろう。
それ以上は力が制御できず、魔王のまま戻れなくなるリスクもある。
それに、何度も連続で魔王化することもできないし、魔王化のあとは反動で数日は弱体化してしまう。
(……とすると、ここでいきなり魔王化するのはリスキーだな)
この記憶の城を丸ごと消滅させるのは簡単だが。
他者の魔王化を戻そうというのは、かなり難易度が高い。
やるとしたら、ゼロ距離から魔法をぶつけるしかないだろう。
そのためにも、まずメモリアを見つける必要がある。
ここで魔王化したところで、メモリアを探しているうちに時間切れで弱体化し、そのまま記憶喪失になるのがオチだ。
(……どのみち、今はとにかく進むしかないか)
そうして、俺は足を進めていき……。
やがて、廊下の突き当りまでやって来た。
(……扉?)
そこには、2つの扉があった。
いや、扉というよりは、扉サイズの本の革表紙が壁に埋まっているという感じか。
本のタイトルのように、扉には金で箔押しされた言葉が刻まれていた。
それぞれ――『天国』『地獄』、と。
(天国のような記憶か、地獄のような記憶か、選べってことか)
これは迷宮の試練みたいなものなんだろう。
天国か、地獄か。
(……この2択なら、どっちを選ぶかなんて決まっているな)
俺は迷わず――『地獄』の扉に手をかけた。
苦痛には慣れている。しかし、快楽には慣れていない。
そして、人を破滅させるのは快楽だ。苦痛は耐えるだけでいいが、快楽には中毒性があり抜け出せなくなる。
「……っ」
俺が『地獄』の扉を開けると、その奥からまばゆい光が襲いかかってきた。
白い光が世界を包み、思わず目を閉じる。
そうして、次に目を開けたとき、そこに広がっていたのは――。
もう白い空間ではなかった。
「………………え?」
そこは、夕焼けに染まる花畑の丘だった。
花びらを舞わせる風が、さぁぁぁ……と頬をなでる。
夢や幻とは思えない現実感だ。
視線を移すと、丘の下にはアルマナの町があった。
そして、俺の側には――。
「――どうしたの、クロムくん?」
エルがいる。
こんな光景を、俺はつい最近見たことがあった。
(……まさか)
とっさに町の時計塔を見る。
ちょうど時刻は、18時00分を示したところだった。
からん、からん……と、町の時計塔の鐘が高らかに鳴りだす。
春の風がやわらかく俺たちを包み込み、ふわりと渦を巻くように花びらが舞う。
まるで、どこにでもある平和な日常の1ページ。
間違いない。忘れようもない。
(……そういうことか)
ここは俺の記憶から作られた世界だ。
だから、これから起こることは――。
「きゃっ!?」
突然、ごごごごごごごごご――ッ! と。
いきなり地面が爆発したように、大きく震動した。
地響きとともに花びらが散り、小鳥たちが逃げ惑いだす。
そして、どぉぉオォオオ――ッ! と。
数千もの魔物の大群が現れ、アルマナの町へ向けて進撃を開始した。
「ま、町が……このままじゃ……」
世界の終わりみたいな光景の中――。
立ち尽くしていたエルが、はっとしたように声を上げる。
「町のみんなを、助けに行かないと!」
そして、エルが1人で走りだす。
俺はとっさに手を伸ばすが――届かない。
エルの背中がどんどん小さくなっていく。
そして、赤く染まった黄昏の世界の中――。
ぞろぞろと黒くうごめく影たちが、その少女の小さな背中を呑み込んだ。アルマナの町を呑み込んだ。
俺は――戦わなかった。
だって、見てしまったのだ。
――魔王、を。
膝が震えて立ち上がれない。手が震えて剣が握れない。
燃えさかる町。火の粉のように舞い散る花びら。
思い出がつまったムーンハート邸が踏み潰され、町のシンボルであった時計塔は炎を上げながらゆっくりと倒壊していく。
憧れていた物語の英雄のように、秘められた力が覚醒することもなく。
俺はただ、その様子を花畑の丘から見続けることしかできなくて――。
「……はっ……んく……っ」
込み上げてくる吐き気に、思わず口元を押さえてうずくまる。
ぶわっと冷や汗がふき出す。うまく息が吸えない。目眩がひどい。頭がどうにかなりそうだ。
苦しい。きつい。怖い。逃げたい……。
(……ああ、そうか)
これは、そういう試練なのか。
何度もこのときの夢を見てきたが、生々しさが違う。
ただ当時の状況が再現されているだけじゃないのだ。
あのときの絶望が、あのときの悲しみが、あのときの痛みが……。
――全て、再現されている。
忘れてしまっていた感情さえも、全て。
そのうえで……なにもできない。
記憶の中の行動を変えることも、この記憶の中から逃れることも。
これはそういう――記憶による攻撃だ。
(これは、思ってたより……きつい、な)
過去が地獄であればあるほどに、この攻撃のダメージは増す。
俺とはあまりにも、相性が悪すぎる。
「……っ」
やがて、世界がふたたび白い光に包まれた。
本のページがめくれるように、ぱらぱらと景色が切り替わる。
そして、次に現れたのは――燃えさかる町だった。
ひらり、ひらり……と、空から花吹雪のように舞い散る炎。
その美しい花びらに触れたものは全て、消えない炎に包まれ灰と化していく。
そんな美しい地獄の中で。
俺は魔王の胸に――剣を突き刺していた。
「…………ラビリス」
助けると約束した幼馴染の少女を――俺は殺していた。
俺の腕の中でだんだんと失われていくラビリスの体温も、むせ返るようなラビリスの血の匂いも、ラビリスの胸を刺し貫いた感触も――全てが生々しく再現されている。
熱気に喉が焼かれて、ごほっと口から血がこぼれ出る。
全身の火傷がじくじくと激痛を発する。
そして――。
「……なにを、してるの」
後ろをふり返ると、そこには“スカーレット騎士団”の不死鳥の旗がひるがえっていた。
ヒストリア王国滅亡後、未来世界で人類のために戦っていた騎士たち。
その先頭にいたリズベルが、ふらふらと呆然としたように前に進み出てくる。
その視線の先にあるのは、血溜まりの中に倒れるラビリスと……。
ぽたぽたと剣から血をしたたらせる俺だった。
「――よくもッ! よくも、ラビリスお姉さまをッ!」
いずれ人類の英雄の一角となるリズベルが、不死鳥の旗をつけた槍をこちらに向けてくる。
「殺してやるッ! 貴様はこの手で――化け物めッ!」
人類を守るための騎士たちが、俺に武器を向けてくる。
(……どうして)
俺はただ、みんなを守りたかっただけなのに。
それなのに、俺に向けられるのは人々の恐怖と憎悪の瞳だけで。
(あ……)
そこでふと、血溜まりに映る自分の姿が目に入った。
この戦闘の直前に、魔王細胞を追加で取り込んでいたためだろうか。
俺の姿はすでに、異形になりかけていた。
これは……俺が人類の敵としての道を歩み始めた、最初の記憶だ。
そして、ふたたび記憶のページが切り替わり――。
「…………え?」
次に現れたのは、知らない記憶だった。
(……なんだ、この記憶は?)
思い出せない。
雪のように静かに白紙が降りそそぐ、廃墟の都市。
その中で、白い翼を生やした少女が膝を抱えて泣いていた。
その姿は、間違いない。
――白紙の天使ロストメモリー。
俺の忘れていた彼女との記憶が、目の前に現れていた。
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