第13話 第1の魔王・始祖竜ヴェルボロス


「それじゃあ、始めようか――第1の魔王・始祖竜ヴェルボロス」


 俺の目の前にいるのは、純白の鎧鱗に包まれた神々しい六翼の竜。

 魔物の軍勢を率いていた、この大災厄の元凶の“魔王”だった。


 ――女神暦1200年、4月10日、18時00分。

 この日、この瞬間から、世界中に次々と“魔王”が誕生するようになった。

 “魔王”とは数百年に1度現れるだけでも、人類史に大きな変革をもたらす大災厄の化身だ。

 国すらたやすく滅ぼせるほどの力を持っている“魔王”たちは、平和な時代を完膚なきまでに破壊し、大災厄の時代の幕開けを告げた。

 その中でも、第1の魔王とされているのが――今、俺の目の前にいる始祖竜ヴェルボロスだった。


『……なんだ……貴様は?』


 始祖竜が低い地鳴りのような声で問う。


『なぜ、その小さき体で、我が前に立ちはだかる? どうも、不可思議な術を使うようだが……まさか、貴様が“勇者”とやらか?』


「いや、俺はただの勇者の幼馴染だ」


『………………は?』


 想定外の答えだったのか、始祖竜は一瞬固まったあと。


『ぐ、ぐぐぐ……ぐォッはははッ! これは傑作――傑作傑作傑作なりッ! 勇者でもない身でッ! ろくに魔力も持たぬ脆弱な身でッ! 貴様は魔王と戦おうというのかッ!』


「ああ、そうだ」


 俺はためらいなく頷く。



「――俺が全ての魔王を終わらせる」



 これから先、どんな魔王が誕生しようとも、どれだけ魔王が誕生しようとも。

 全ての魔王を倒せば、世界は平和なままだ。

 エルが勇者になる必要もなくなる。


『終わらせる、だと? 小さな小さな人間ごときが、魔王を?』


 始祖竜はぐつぐつと笑う。


『愚か――愚か愚か愚かなりッ! 貴様は魔王を知らないのだッ! 魔王とは全ての“魔”を従える存在ッ! “魔法”へと到達した存在ッ! この世界の法則そのものなりッ!』


 始祖竜が周囲の魔力を、こぉぉぉ……と口から吸い込んだ。

 その胸部がぶわっと膨らんでいく。


『――見せてやろう、これが魔王の力だ』


 そして、始祖竜の口から放たれたのは、雷のような白光だった。

 ごぉぉオォオオ――ッ! と、光が世界を白く染め上げる。

 

 ――滅びの息吹。


 触れたものを消滅させる始祖竜のブレス。

 息吹に呑まれたものが、光と熱の中で消滅していく。

 崩壊する大地。蒸発する魔物の死骸。そして、光は俺の体をも呑み込み――。

 やがて光がやんだとき、周囲はぼごぼごと赤熱しながら沸騰する大地と化していた。


『ぐォッはははははッ! 見よ――見よ見よ見よッ! これだこれだ、これが魔王の――』


 始祖竜が勝利の咆哮を上げ――固まった。

 その目がぎょっと見開かれる。



「――どうした? そんな、化け物でも見るような顔をして」



 始祖竜のブレスでえぐれ飛んだ大地の中。

 ブレスの直撃を食らった俺は、何事もなかったかのように立っていた。


『…………き、貴様は…………?』


 始祖竜が、後ずさる。


『な……なぜ、ろくに魔力を持たぬ貴様が……まだ立っている? なぜ、傷1つない? あ、ありえぬ……直撃したはずだ。この目でしかと見た。あの攻撃を防ぐ手段など……あ、あるはずがない』


 始祖竜はよほど自分の力に自信があったのだろう。

 だけど――。


「悪いけど……お前程度の魔王とは、いくらでも殺り合ってきたんだ。そんな攻撃じゃ、俺は殺せない」


 俺がしたことは単純だ。

 ただブレスが来た瞬間、自分の体の時間を停止させただけ。

 停止した物体は、絶対に変形しない。

 ゆえに、絶対の防御手段となる。


『ざ、戯言をッ!』


 始祖竜がふたたびブレスを吐くが、攻撃タイミングがわかりやすいため対処は容易い。

 また自分の時間を止めて防御すればいいだけだ。


 ただ、防戦一方になるつもりはない。

 俺は懐にしまっていた果樹の種をいくつか取り出し、始祖竜の足元へと倍速で投げつけた。


「――“時よ、進め”」


 めきめきめきめきめき……ッ! と。

 地面に落ちた種から、爆発するように樹木が成長する。


『なんだ? このゴミは――ぁぁあッ!?』


 樹木の幹や枝が、始祖竜の巨体にからみつき――縛り上げる。

 始祖竜がとっさにもがいて逃れようとするが。


「――“止まれ”」


 樹木の時間を止める。

 時間停止している物体は絶対に変形しない。

 ゆえに、始祖竜がどれだけもがこうが、停止した樹木の拘束からは抜けられない。


『ぐォォッ!? なぜだ――なぜだなぜだなぜだッ!? たかが木ごときが……ッ! なぜ動かん!? なんだ、この力はッ!?』


 始祖竜がやけになったようにブレスを吐きまくる。

 何度も、何度も、何度も……その1発1発が、都市1つを滅ぼすほどの力を持っているが。

 その全てを、俺は正面から受け止める。


「さて――始まるはずだった未来の話をしようか」


 俺は始祖竜に歩み寄りながら、静かに語りかけた。


「第1の魔王として誕生したお前は、勇者を殺し、俺の故郷を滅ぼし、暗黒の時代の幕開けを飾る。誰もお前を倒すことができず、多くの国が滅ぼされていく。そんな破滅の未来が、これから始まる――はずだった」


 それが本来の正しい未来だ。あるべき未来の形だ。

 だけど。


「そんな未来は――俺が否定する」


 未来を変えることが罪なのだとしても。赦されざる禁忌なのだとしても。

 そのために、俺はここまで長い旅をしてきたのだから。


『……ぐ、ふ……ッ』


 やがて、始祖竜のブレスが止まった。

 代わりに口から出てきたものは、大量の血だ。

 自らの喉が焼けただれるほどのブレスを吐いたのだろう。

 しかし、それを全て正面から受け止めた俺は――無傷だった。


「もう終わりか? なら――ここから先は、俺の時間だ」


 始祖竜を倒すための機は熟した。

 周囲の大気に意識を向けると、膨大な魔力が満ちているのがわかる。

 始祖竜が何度もブレスを吐いてくれたおかげだ。

 そして、俺は――その全ての“体外魔力”を利用して、魔術を行使することができる。


「集え――」


 俺が手のひらを胸の前へとかざして、術式の構築を始めると。

 ひゅぉおお……と、周囲の魔力が風を渦巻かせながら、俺の手のひらへと集まってくる。

 俺の全身から、ばちばちばち……ッ! と膨大な魔力が放電する。

 無才だったがゆえに、100年かけてたどり着くことができた極地――。


『……な、なんだ……その力は……』


 始祖竜の顔が絶望に歪んでいく。

 知能があるからこそ――理解してしまったのだろう。

 俺との圧倒的なまでの実力差を。


『……あ、ありえぬッ! ありえぬありえぬありえぬッ! わ、我は魔王だッ! 魔王ッ! 魔王ッ! 魔王なのだぞッ!? 勇者でもない矮小な人間ごときに負けるはずがないッ! わ、我はこんなところで終わるはずではないッ!』


「そうだな、お前の言うことは正しいよ」


 俺は始祖竜の眼前へと歩み寄り、その鼻先にそっと触れた。


「この時代に、お前を終わらせられる人間はいなかった」


 1周目において、始祖竜の討伐記録は存在しない。

 ただ敗北の記録だけが積み重なっているのみ。

 最後まで、人間には始祖竜を倒すことはできなかった。


「だから、俺は――100年間ずっと、お前をどうすれば殺せるか考えてきた」


 その答えは、シンプルだった。




「――――“時よ、進め”」




 この魔王を終わらせるには、その一言で事足りる。


『な、なにを――ッ!?』


 始祖竜の足元の大地に巨大な魔法陣が光りだすとともに、その体が激しく震動を始めた。

 始祖竜の肉体の時間を――老化を早める。


「時は力だ――どれだけ強くても、全ての生命は“時間”には逆らえない」


 始祖竜の肉体の時間が、高速で流れていく。

 めきめきめき……と竜の巨体がみるみるしおれていく。

 停止した樹木に拘束されている始祖竜は、この時魔術からは逃れられない。


『貴様――貴様貴様貴様ァッ! その力は“時間”か、“時間”なのかッ!? バカな――バカなバカなバカなバカなバカなバカなバカな――ッ! いったい、どれほどの禁忌を犯せば――――――ッ!』


 始祖竜の怨嗟の絶叫がとどろく。

 自分の逃れられぬ死を理解したのだろう。

 その地獄のような憎悪の瞳に、俺は最後にふっと微笑みかけた。


「ありがとう。お前のおかげで、俺はこんなにも強くなることができた」


 だから、もう――。


 


「――――終われ」




 その呟きとともに。

 始祖竜の肉が朽ち、骨と化し――塵となった。

 さらさらさら……と、風化した竜の骨が、夕日にきらめきながら空へと舞っていく。

 始祖竜が跡形もなく消滅し――やがて、俺以外に戦場に動くものはなくなった。



 ――第1の魔王、討伐完了だ。



「…………はっ」


 そこで、俺はようやく息を吐き出した。

 なんだかんだで、緊張していたのだろう。


「……ぐっ……ごほっ」


 咳き込むと、口から血がこぼれ出る。


(……さすがに、無理をしすぎたか)


 まだ魔術に慣れていない身で、大魔術を乱発しすぎた。

 この時代の肉体にかなりの負荷をかけてしまったようだ。

 頭痛と目眩がひどい。全身から嫌な汗がどばどばと流れてくる。筋肉に力が入らずふらついてしまう。

 それでも――。


(終わった、んだな……)


 かつて俺の故郷を滅ぼした魔王は、ここに消滅した。

 俺の周囲に転がっているのは、えぐれた大地とおびただしいほどの魔物の死骸の山。

 この場で動いているものは、俺しかいない。


 少年時代には、あれほど絶望した魔物の軍勢だというのに。

 どうやら、今の俺はそれ以上の“化け物”になったらしい。


 ――おめでとう。あなたは世界最強の化け物へと成り上がった。


 未来で言われた言葉を思い出す。

 最後に始祖竜に向けられた怯え顔を思い出す。


(……化け物でいいさ)


 守りたかったものを、ようやく守ることができたのだから。

 故郷の町も、幼馴染の少女も、みんな救うことができた。

 俺の手で悲劇の未来を変えられた。

 だから。


(…………帰ろうか)


 かつて失った故郷の町に。大切な人たちのもとに。

 みんなと笑っていられた平和な時間に――。


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