第52話 ドラゴ・オブ・スカーレット
「勝者――クロム・クロノゲート様!」
その一言で……。
わっ、と歓声が上がった。
「やったね、クロムくん」
「ま、当然でしょ」
真っ先にクロムに駆け寄ったのは、エルとラビリスだった。
それに続いて。
「負けました~!」
「対戦ありがとうございました! 学ばせていただきました!」
「クロム様の流派はムーンハート流ですか?」
「普段どんな訓練をしてるんですか?」
さっきまで戦っていたメイドたちも、続々とクロムの側へと集まっていく。
そして――。
「…………見事だ」
ぱち、ぱち、ぱち……と。
背後から、拍手の音が聞こえてきた。
ふり返ると、そこにいたのは――ここにいないはずの人間だった。
「……お父……さま?」
さぁぁぁ……と。
リズベルの顔が、一気に青ざめる。
けっして、見られてはいけない人に――見られていた。
赤髪を後ろになでつけた、厳格そうな壮年の男。
リズベルたちの父であり、王国四大名家・軍事のスカーレット家の当主。
――王国軍元帥ドラゴ・オブ・スカーレット。
彼は名乗らない。名乗る必要もないからだ。
その顔が、その存在が、彼の名刺のようなものだった。
クロムがとっさに居住まいを正して、敬礼をする。
「お目にかかれて光栄です、スカーレット公。その武勇の噂はかねがね……このたびはご招待いただき……」
「私は社交辞令が嫌いだ」
父はその一声で、クロムの言葉の続きを制する。
「貴卿の力は見せてもらった。シリウスからも話は聞いていたが、恐ろしいとしか言いようがない剣だな。その年齢でどうして、そのような境地に達したのか想像もつかん」
「あ、ありがとうございます」
何気ない称賛の言葉。
それは、事情を知らない者から見たら、普通のことに見えるかもしれないが……。
リズベルもメイドたちも唖然としていた。
(あの父が、他人を……褒めてる?)
そんなところは初めて見た。
社交辞令なんて言わない人だ。自分と同等かそれ以上に強い相手しか、けっして褒めることはない。
だとすれば……それほどのレベルに、この少年がいるということなのだろうか。
「それに比べて――リズベル」
「……っ」
父はそれから、ぎょろりとリズベルを睨んだ。
ただそれだけで、リズベルの全身からぶわぁっと冷や汗がふき出す。
まるで巨竜を前にしているような――威圧感。
「クロム殿は私の客人だ。彼に武器を向けるのは……私に武器を向けるのと同義だが?」
「……っ! ご、ごめんなさい……っ」
リズベルが、がくがくと震える。
怖くて、みじめで、涙がぽろぽろとこぼれ落ちてくる。
と、そのときだった。
「待ってください」
「……え?」
リズベルをかばうように、前に進み出てくる人影があった。
顔を上げると、そこにいたのはクロムだった。
「……我が家の事情に介入しようというのかね?」
父の鋭い眼光が、じろりとクロムを射抜く。
四大名家のスカーレット家の当主――それは、ただの平民である少年が口答えしていい相手ではない。
父がその気になれば、この国でまともに生きられなくなるのだ。
それなのに、彼はまったく動じている様子がなかった。
「彼女には、俺の訓練に付き合ってもらってたんです」
「……え?」
リズベルの口から、ぽかんと間の抜けた声が出る。
「……本当かね?」
「はい。毎日剣を振らないと気持ち悪くて。それで訓練相手になってくれるよう、俺から頼んだんです――そうだろ、リズベル?」
「…………」
思わず、かくかくと頷く。
でも、わけがわからない。この男のことが全部わからない。
「……どう、して?」
思わず、小声で尋ねていた。
「……どうして、リズを助けるの?」
けっして友好的な関係ではない。
戦ってるときもリズベルの心配をして。
リズベルが本当は“いい子”じゃないことなんて、とっくに知っているはずなのに。
どうして、そんなに優しくするのか――わからない。
「いや、どうしてって……」
クロムは困ったように頬をかくと。
「なにか理由が必要なのか、それ……?」
まるで、それが当たり前だというように答えるのだった。
(……ああ、そっか)
ようやく、この少年のことがわかってきた。
強いからとか、弱いからとか、関係ないのだ。
この少年のこういうところに、みんな惹きつけられているのだ。
(……リズとは、違う)
リズベルは、自分のことしか考えていなかった。
しかし、この少年は――他人のことしか考えていない。
昔、罠にはめて姉と引き離したときもそうだった。
『……ごめんね。君に寂しい思いをさせて』
『でも、俺は君からラビリスを取ったりしないよ』
『俺がいることで君やラビリスが笑えなくなるなら、もう近づかないから』
自分は悪くないのに謝って、自分のせいだと抱え込んで。
だから、悔しかった。『ずるい』だなんて思えないぐらい負けた気がして。
(ああ……そうだ)
本当はわかっていた。
この少年が悪意をもって誰かをだませる人間じゃないことは。
それなのに――なんで忘れていたんだろう。
なんで、昔みたいに『ずるい』だなんて思っていたんだろう。
「……大丈夫だよ、リズベル。俺に任せろ」
クロムが小声で言って、リズベルの頭にぽんっと手を置く。
その笑顔を見ていると――敵のはずなのに安心してしまう。
「……っ? ……っ!?」
なぜか、顔が熱くなってくる。
よくわからない感情が、胸の内に膨らんでくる。
その感情の名前を、リズベルはまだ知らなかった。
ただ今の顔を見られたくなくて。
「…………お兄さんのくせに、生意気」
リズベルはぷいっとそっぽを向く。
ちょうど、姉と同じような仕草で。
「………………なるほど、な」
父はしばらく品定めするように、クロムを見ていたが。
やがて、くくっと口の中で低く笑った。
「……シリウスに聞いていた通りだ。やつはいい弟子を持ったな」
「え?」
「気に入ったぞ、クロム・クロノゲート殿」
そして、父が高らかに指を鳴らすと。
その後ろにメイドたちがびしっと整列して、一斉に斧槍を胸の前に掲げた。
「――我がスカーレット家は、貴卿と娘の婚約を歓迎しよう」
「……へ?」
「あ……」
クロムがぽかんとし、リズベルがはっとする。
そういえば、“婚約の試練”のことを話していなかった……。
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