第53話 集団記憶喪失
「――さて、クロム殿とは2人で話をしたいと思っていたのだよ」
婚約の試練を終え、歓迎のための晩餐も済ませたあと。
俺はスカーレット公の執務室に呼び出されていた。
(……王国軍元帥ドラゴ・オブ・スカーレットか)
目の前に座っている人物を、俺は改めて見る。
ごごごごごごご……と。
なにもしていないのに、やたら威圧感を放っているように見える男。
この人こそが、ラビリスたちの父のスカーレット公だ。
彼に会うのは、今回の人生が初めてだった。
前回の人生では、スカーレット公は10日前の王都滅亡とともに命を落としていたからな。
軍を手足のように動かせるとも言われている大権力者だ。
相対しているだけで、自然と背筋が伸びてしまうが……。
「ここでは、礼儀作法など気にしなくてもよい」
俺の様子に気づいてか、スカーレット公が制するように言う。
「礼儀作法とは、それすなわち……己を守り、他者を攻撃するための貴族の武装だ。この場に、そんな無粋なものは……必要あるまい?」
「あ、はい」
貴族というよりは軍人的な考え方をする人なんだろう。
ラビリスがお嬢様という身分を嫌うのも、彼の影響があるのかもしれない。
「……さて、まずは礼を言おう。娘を救ってもらい感謝する、クロム殿」
やがて、スカーレット公はそう言って、深々と頭を下げてきた。
「い、いえ、頭を上げてください」
さすがに慌てる。
他に人がいないとはいえ、貴族の頭は軽いものじゃない。
それが四大名家の当主ともなればなおさらだ。
「俺は当然のことをしたまでですよ」
「謙遜しなくてもよい。クロム殿はたった1人で魔術士協会の隠し拠点を壊滅させ、複数の一級魔術士たちを倒し、十二賢者が進めていた魔王化計画を未然に阻止したのだ。娘の話では魔王らしき魔物を単独で相手取ったとも聞いている……いや、本当にわけがわからない活躍ぶりだな。なんだこれは……これで謙遜されると私の立つ瀬がなさすぎるぞ」
「す、すいません」
「できれば、騎士として今すぐにでもスカウトしたいところだが……」
「……それは」
「いや、わかっている。クロム殿には、まだなにか使命があるのだろう? 私は人の上に立つ者としていろいろな人間を見てきたが……ちょうどクロム殿は、そういう男の顔をしているからな」
スカーレット公はあっさりと引き下がり、紅いワインに口をつける。
やはり、貴族や軍人の上に立てるだけの人間だ。話しているとこちらの内面まで見透かされているような感覚になる。
「しかし、この働きに見合う褒美として、正直なにをわたせばいいのか思いつかん。なにか願いがあるのなら言うがいい。地位でも名誉でも富でもなんでもいい。どんな願いも1つだけ叶えてやろう」
「いえ、俺が欲しいのは平和な時間だけなので」
「くくっ、その歳にしては――強欲だな。その願いは、私の力を大きく超えている」
「す、すいません」
「とはいえ、我がスカーレット家が、できるかぎり君たちの平和を守ることを約束しよう」
「……っ! ありがとうございます」
スカーレット家が味方になるのは素直に心強い。
俺1人では守れるものの数が限られるからな。
「しかし、それとは別に褒美を出さないわけにもいくまい。“婚約の試練”もクリアしたことだし、騎士物語などでは『娘と結婚させよう』という展開になるところだが……」
「いえ、そういうのはお互いの気持ちが大切なので」
「……なるほど。娘たちは苦労しそうだな」
なぜか、スカーレット公が頭を押さえた。
「ともかく、報酬はひとまず保留ということにしよう。なにか思いついたら、いつでも言ってくれ」
「はい」
「それと、もう1つ。これは悪い知らせだが……クロム殿にも関係があると思うから話しておこう」
スカーレット公の表情が深刻なものへと変わる。
「先週、アルマナの地下迷宮で捕らえた魔術士たちが……全員、記憶を失った」
先週捕らえた魔術士というと、ラビリス誘拐や魔王化計画に関わっていた魔術士たちのことだろう。
たしか、彼らの尋問をスカーレット家が担当していると聞いていたが。
「……集団記憶喪失ってことですか」
「ああ。正確には、“アルマナでの事件に関する記憶”だけがなくなっているのだがな。また、その事件について知っている者たちの記憶も、次々と消されていっている」
あきらかに不自然な集団記憶喪失だ。
こんなことが自然に起こるはずがない。
とすると――。
(……やはり、
予想はできていた。
というより、これは俺がまいた種だからな。
「む? なにか知っているのかね?」
「はい。これは十二賢者の襲撃です」
「な、なに?」
俺があっさり答えると、スカーレット公がワイングラスを取り落しかけた。
まあ、前回の人生では、俺がまさに魔術士協会の人間だったからな。
協会のやり口については把握している。
「魔術士協会の中には、協会にとって不都合な記憶を処理する記憶魔術士たちがいますが……その中でも、抜きん出た魔術士がいます。今回の事件を起こせるとしたら、彼女だけでしょう」
「……その者の名は?」
「十二賢者・第10席――記憶の賢者メモリア・ロストメモリー」
それはあらゆることが謎に包まれた幻の賢者だ。
彼女は人々の記憶に残らず、わずかな記録にだけ残されている。
ただ魔王化計画の主要人物の1人として、この時代にこの国で活動していたことは未来の記録に残っていたからな。
俺はあえて、彼女が記憶処理をしなければならないように立ち回った。
アルマナの地下迷宮で魔術士たちをなるべく生かそうとしたのも、これが理由の1つだ。
「……十二賢者か。本当だとしたら、厳しいな」
「記憶が残っている人は、あとどれぐらいいますか?」
「……我々だけだ」
スカーレット公が顔に深いしわを刻む。
「下手に世間に公表すれば混乱を招く。そのため、まだ事情を知る者が少なかった……それも災いした。もうあの事件の記憶を持っている者は、この家にいる人間だけだろう」
「だとしたら――次に狙われるのは、この屋敷ということですね」
狙いがわかりやすくていい。
守るべきものも固まっているしな。
「しかし、この屋敷の結界は厳重だ。十二賢者とはいえ、記憶魔術士に突破できるとは思えないが」
「たしかに、この屋敷がこれまで狙われなかったのは、結界のおかげだと思います。ただ……だからといって、安心というわけではありません」
「……なに?」
「記憶を操れるということは、擬似的に精神を操れるということでもあります。とくにリズベルには記憶操作の兆候が見られました」
「なっ、リズベルがっ!?」
「おそらく、外出したときに魔術をかけられたのでしょう。試練によって俺の魔力を消耗させ、それから襲撃時間に合わせて、結界を内側から解除させるつもりなのだと思います」
「そ、そんな……だから、外に出るなと言っていたのに」
スカーレット公が目に見えてうろたえる。
見た目が怖いせいで誤解しそうになるが、なんだかんだで娘を大切に思っているのだろう。
こういう不器用だけど優しいところは、ラビリスとよく似ている。
「と、とにかく、まずはリズベルの保護を……っ! それから、すぐに結界の確認を――」
「いえ、待ってください。結界はむしろ解除させましょう」
「な、なに? それでは、むざむざ敵を屋敷に招き入れるようなものではないか」
「はい、招き入れるんです」
そう、これは俺が1週間前から用意してきた絶好の機会なのだ。
記憶の賢者メモリアは、記憶に残らない。
時魔術と未来知識をもってしても、こちらから探しに行くのはほぼ不可能だ。
だから、おびき寄せた。『メモリアがどこに来るのかわかる』という今の状況を作り上げるために。
「安心してください、俺に考えがあります」
「……まさか、君は十二賢者と戦うつもりかね?」
「はい」
頭の中の戦盤を動かしながら、俺はスカーレット公に告げた。
「――十二賢者メモリア・ロストメモリーは、俺が迎え撃ちます」
◇
スカーレット公との会話のあと。
夜も深まり、ラビリスの部屋で『お泊り会だよ!』とはしゃいでいたエルも、すぅすぅと安らかな寝息を立て始めた。
「……ウサちゃん……どこぉ……?」
「これか?」
「…………ん」
ラビリスもうつらうつらしていたが、ウサギのぬいぐるみをわたすと、安心したようにぎゅっと抱きしめて眠りに落ちる。
「おやすみ」
俺はそんなエルとラビリスに布団をかけ、そっと頭をなでてから部屋を後にした。
(…………さて)
夜の屋敷を歩きながら、俺はポケットに入っている鈴を確認する。
これは、『屋敷の門が開かれると鳴る』という呼び鈴だ。
まだ音は鳴っていないが――。
(……そろそろ時間だな)
スカーレット公との話のあと、リズベルとも話をしたのだが。
やはり、リズベルは屋敷の結界を解除しようとしていたようだ。
なんでも『毎晩の日課として結界の解除をしている』と思い込まされていたとか。
(でも、そのおかげで……メモリアの襲撃時間を知ることができた)
結界が張り直されることを考えると、『リズベルに結界を解除させる時間』と『メモリアが襲撃する時間』は合わせる必要があるだろうからな。
その予想が正しければ、そろそろメモリアが襲撃してくる頃合いというわけだ。
というわけで。
俺がメモリアを迎え撃つべく、屋敷の玄関ホールへと向かっていたところで。
「……ん?」
廊下の先にいた人影が目に入った。
「あ……お兄さん」
「リズベル?」
俺が来るのを待っていたのだろうか。
廊下の壁にもたれるようにリズベルが立っていた。
ただ、昼間に話したときのような元気はなく、そのサイドテールもしゅんと萎れている。
どうやら、この姉妹は髪に感情が現れるらしい。
「どうかしたのか? 俺になにか用かな?」
「いえ、あの……屋敷の結界を解除してきたので、その報告を」
「ああ、そうか。わざわざありがとな」
「それと、その……」
リズベルがうつむいて、まだなにか言いたそうに指をもじもじさせる。
俺が無言でリズベルの言葉の続きを待つと、やがて意を決したように口を開いた。
「あの、昼間は……ごめんなさい」
リズベルが肩を縮こませながら、バツの悪そうな顔をする。
「まだ、ちゃんと謝れてなかったので。本当は『ちょっと悪戯して、お兄さんの情けない姿をお姉さまに見せつけてやろう』って思っただけなんですけど……」
「それは記憶操作されてたんだから仕方ないよ。それともまだ、俺をこらしめたいって思う?」
「……いえ、お兄さんが強いのは事実ですし。それに、もしお兄さんがいなかったら、リズは今ごろこの屋敷を危険にさらしてるところでしたから。でも、まだお兄さんとの嫌な記憶が頭から離れなくて……怖い、です」
リズベルの手を見ると、少し震えている。
おそらく、リズベルはまだ、過去の俺に対する“憎悪の記憶”を無理やり思い出させられているのだろう。
トラウマをフラッシュバックするように、何度も、何度も、何度も……。
それがどれだけ苦しいことなのかは、俺にも少しはわかる気がする。
「心配しなくても大丈夫だよ」
俺はなるべく安心させるように微笑んで、リズベルの頭にぽんっと手を置いた。
「約束するよ。俺が必ずリズベルを元に戻すって。だから、そんな顔をしないで――笑ってくれ、リズベル」
「…………」
リズベルはなぜか黙ったまま、ジト目で俺を見てきた。
「……お兄さんって、女の子みんなに、こんなことしてるんですか?」
「え? こんなことって?」
「ま……リズはかわいいから仕方ないのはわかるんですけど? リズはお姉さまみたいにチョロくありませんし? リズ、お兄さんみたいに地味なのは全然タイプじゃないというか――って、いつまで髪なでてるかぁっ!」
「あ、ごめん」
リズベルが顔を真っ赤にしながら、じたばたしてきた。
「セクハラで訴えます」
「そんなに嫌だったか……?」
「なんか子供扱いされてるみたいでムカつきました」
「ご、ごめん」
「えぇ~? 誠意が感じられないんですけどぉ? こういうときはぁ、頭を下げて『ごめんなさい』ですよねぇ、お兄さん?」
「えっと……ごめんなさい」
「あはっ♪ お兄さん、ちょーみじめ♪ すぐに謝っちゃって弱すぎ♪ そんなにリズに許してほしいんですかぁ~?」
「俺をいじめるときは生き生きするよね、君……」
口元に手を当てて、にまにまと笑うリズベル。
メイドとかの前だと、やっぱりまだ“いい子”のままなのにな……。
俺に対してだけは、いろいろ開き直ったのか、素のままでいくことにしたらしい。
まあでも、少しでも元気を取り戻してくれたようでよかった。
「……なんですか、突然にやにやして? きっも……」
「うん。やっぱり、俺は”いい子”のリズベルより、そっちのリズベルが好きだよ」
「……………」
なぜか、またジト目で睨まれた。
「えっと、なにかな?」
「はぁぁ……お兄さんのこと、だんだんわかってきました。やっぱり、お兄さんはさいってーですね。悔い改めてください」
「な、なんで?」
「もう、ざこざこのお兄さんのくせに生意気……こんなの、お姉さまの応援できなくなっちゃうじゃないですか」
リズベルが顔を少し赤くして、もにょもにょと呟く。
なんて言ったのかよく聞こえなかったので、聞き返そうと思ったが――。
そのときだった。
「……っ」
――りん、と。
ポケットに入れていた鈴が鳴った。
屋敷の門が開かれたのを検知したのだ。
この時間帯には見張りの交代などもない。
とすると、可能性は1つしかない。
これは――ターゲットが釣れた合図だ。
「……行くんですか?」
リズベルは俺の態度からなにかを察したらしい。
少し心配そうな上目遣いをしてくる。
「ま、なにが起きてるのかリズにはわかんないですけど……こんなことは、とっとと笑い事にしてくださいね? 湿っぽいのは嫌いですから」
「……ああ、任せろ」
「だ、だから、気安く頭をなでるなぁっ!」
そんなやり取りのあと。
俺はリズベルに背を向けて、部屋を後にした。
(…………さて)
舞台はすでに整えてある。
それじゃあ、戦いを始めようか――。
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