第54話 十二賢者襲撃

 ……月の明るい夜だった。

 夜でも騒がしい王都が、ようやく寝静まった深夜――。


 スカーレット邸の門前に、ふらりと白い少女が現れた。

 迷子のようにおぼつかない足取りで、しかし確実に屋敷のほうへと歩いてくる。


「止まりなさい。当家になにかご用ですか?」


 門番のメイドたちが少女に鋭い目線を向けるが。


「………………」


 白い少女はなにも答えない。その歩みも止まらない。

 ただ答えの代わりというように――。


 ぱら、ぱらぱら……と。

 少女の周囲に、白紙が雪のように静かに舞った。

 その紙にわずかな魔力の流れを感じて、メイドたちはとっさに斧槍をかまえる。


「――なるほど。当家との戦争をお望みですか」


 メイドたちが剣呑な声を出しながら魔力を練り上げていく。

 それは、ただの屋敷の門番にしては洗練された魔力だった。

 そして、ついにメイドたちの術式が完成し――。



「……人は、記憶でできてるの」



 白い少女が、ぽつりと声を漏らした。

 意思も、意味も、全てが漂白されたような真っ白な声だった。

 聞いているのに記憶に残らない。

 しかし、その声に反応するように――。


「……………………」


 ぴたり、と。

 門番のメイドたちの動きが、停止した。

 その視線はもう、白い少女に向けられていなかった。


「……人は、記憶の操り人形でしかないの」


 白い少女が両腕で抱えた本を開く。

 ぱら、ぱらぱら……ぱらぱらぱらぱら――ッ! と。

 本のページが一斉に舞う。


 その紙吹雪の中を、少女は歩みを進め……。

 固まっているメイドたちの横を通り過ぎた。


 ――記憶阻害ロストワン


 それは十二賢者メモリア・ロストメモリー固有の記憶魔術。

 この少女は記憶には残らない。見ている側から忘れられていく。

 彼女の前では、今戦っていることさえ――忘れてしまう。

 ゆえに、彼女とは文字通り、戦いにならない。


「……怖がらせて、ごめんなさいなの。でも、大丈夫なの。メモリアがみんな忘れさせてあげるの。忘れてしまえば、もうなにも怖くないの」


 そうして、紙吹雪が晴れたあと。

 その場には、ぽかんと口を開けたメイドたちが残された。


「…………あれ? 今、私たち……なにしてましたっけ?」


 メイドたちが首をかしげる。

 その視線の先には――誰もいない。

 と、そこで。


「……あら?」


 きぃ……きぃ……と。

 メイドたちの背後から、門が揺れる音が響いてきた。


「あっ、門の鍵をかけ忘れたみたいですね」


「そういえば……鍵をかけた記憶がないですね。どうして、今日にかぎって」


「でも、すぐに気づけてよかったですね」


「ええ、――」


 メイドたちの背中から、記憶のページがはらりはらりと宙に舞い上がる。

 そのページの1つを、屋敷の庭に入ったメモリアがつかみ取った。


「……クロム・クロノゲートの居場所、わかったの」


 屋敷の敷地内の地図が、メモリアの頭の中に浮かび上がる。

 警備の配置も、監視魔道具の場所も、今の彼女には全てがわかる。

 まるで、最初から知っていたかのように。

 そして、メモリアは屋敷の本邸へと歩みを進めていき――。


「……?」


 ふと、違和感を覚えた。


「……静かなの」


 そう、屋敷が静かなのだ――静かすぎるのだ。

 警備の人間がいるはずの場所に、いない。

 メモリアのとてとてという小さな足音だけが、夜闇に響く。


 彼女は首をこてんとかしげつつも、庭を進んでいき。

 そうして、屋敷の扉を開けて中に入った。

 そのときだった――。



「――――“時よ、戻れ”」



 ばたん――ッ! と。

 メモリアの背後の扉がひとりでに閉ざされた。

 まるで、獣を捕らえるための箱罠のように。


(……罠?)


 その言葉が、メモリアの脳裏をよぎる。

 しかし、もちろん罠の警戒はしていた。メイドたちの記憶を読んだのもそれが理由だ。

 それなのに……。


「やぁ、そろそろ来るころだと思ってたよ」


 金糸の刺繍が入った紅絨毯の先――。

 紅色の薔薇窓が透かす月光に、1人の少年が照らされていた。

 その全てを見透かすような静かな瞳は、まっすぐにメモリアへと向けられている。


「十二賢者メモリア・ロストメモリー。君はなにより探すのが大変だからね。こうしておびき出して、逃げられないように閉じ込めさせてもらったよ」


 見た目は平凡。魔力の気配は感じられない。

 それなのに、底知れない闇を思わせる黒い少年だった。

 この少年の名は、メモリアの記憶の中にある。


 ――クロム・クロノゲート。


 それは、メモリアが襲撃しようとしていたターゲットの名前。

 しかし、どうしてだろうか。

 メモリアには自分のほうが狩られる側に立っているような感覚があった。


「さて……君は、俺の記憶を奪いに来たんだろう? でも、俺は戦いが嫌いなんだ。戦争が、暴力が、脅迫が、殺戮が、軍隊が、武器が、略奪が嫌いだ。だから、どうか俺に戦わせないでくれないかな?」


「…………」


 メモリアはしばし、沈黙したまま少年と対峙し――。


「……不思議なの」


 やがて、ぽつりと声をこぼした。


「……どうして、メモリアの記憶があるの? 不思議なの。不思議なの。こんなの初めてなの」


 メモリアが人形みたいに、こてんと首をかしげる。


「でも……まあいいの。クロム・クロノゲートは悪いやつなの。“お父様”がそう言ってたの。だから、メモリアがやっつけるの」


 どうせ、やることは変わらないのだ。

 メモリアはただ“お父様”の命令に従うだけの人形なのだから。

 そのために作られ、そのために生き、そのために死ぬだけの存在なのだから。


「――全ては“お父様”のために」


 メモリアが重たそうに、抱えていた本を開いた。

 その瞬間――膨大な魔力が、メモリアから放出された。


 ぱら、ぱらぱら……ぱらぱらぱらぱらぱら――ッ! と。

 白い紙吹雪が渦を巻きながら屋敷のホールを満たす。


 まだなにも書き込まれていない白紙の記憶のページたち。

 もしも、この1枚にでも触れようものなら――すぐに記憶を吸われて記憶喪失になってしまうだろう。

 これが十二賢者メモリア・ロストメモリーの、世界最高峰の記憶魔術だ。


「……人は記憶でできてるの。夢も、希望も、絶望も、愛も、勇気も、友情も、憎しみも、知識も、技術も――みんな、みんな、メモリアが忘れさせてあげるの」


 冷ややかな月光に照らされた暗がりの中――。

 その人形のようなエメラルドの瞳が、煌々と輝きだす。


「……それが君の望む未来か。なら、仕方がない」


 少年は静かに抜いた剣を月光にかざした。


「それじゃあ、始めようか――十二賢者メモリア・ロストメモリー。君の未来は、俺が否定させてもらう」

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