第32話 勝つための手段
ラビリスを迷宮の外に逃したあと。
俺はこちらに迫ってくる巨大スライムと1人で対峙した。
「それじゃあ、始めようか――魔王アルティメルト」
俺のそんな声に応えたのか。
巨大スライムの体の上から、うねうねと人間の上半身らしきものが生えてきた。
それは――ラビリスを思わせる少女の形をしていた。
『……ねぇ、
スライムの体のあちらこちらから、赤子の声をつぎはぎしたような“音”が聞こえてくる。
人間を喰ったことで、人間性を獲得したのだろう。
『ねぇ、一緒に遊ぼ?』『
魔王アルティメルトの全身から、うじょうじょと無数の人間の腕が生えてきた。
触れただけで全てを溶かす腕たちが、まるで母親を求める赤子のように。
ゆっくりと、ねっとりと、ぐちゅぐちゅ……と。
水色の粘液を泡立たせながら、俺を喰らおうと伸びてくる。
「悪いけど……俺には帰らなきゃいけない場所があるんだ」
俺は剣の柄に手をかけ――鞘から抜き放った。
ひゅん――ッ! と剣閃がほとばしるとともに。
俺に迫っていた水色の腕たちが、ぼとぼとと床に落ちて痙攣する。
「そのために――お前はここで終わらせてもらう」
俺は溶けた剣を時間を戻して修復し、魔王アルティメルトへと突きつけた。
『……あれぇ?』『おかしいね?』『不思議だね?』『どうして拒むの?』『なんでぇ?』『そんなに弱いのに?』『無駄なのにねー?』『ねー?』
魔王アルティメルトが斬られた腕を見て、きょとんとするが。
腕はすぐにうじょうじょと再生する。
いや、再生しただけではない。
その腕の数は――先ほどの何倍にも増えていた。
『ねぇ、
その言葉とともに、スライムの腕が刺突槍のような勢いで伸びてきた。
「――“
とっさに口に仕込んでいた魔石を噛み砕き、倍速で腕の群れを回避していく。
ずどどどどどどどどどどどどど――ッ!
と、さっきまで背後にあった迷宮の制御盤や壁に、無数の腕が突き刺さる。
腕が突き刺さった場所から、全てがどろどろと溶けていく。
『あはははっ!』『
ずががががががが――ッ! と。
迷宮の床や壁を突き破って、水色の腕が生えてくる。
壁がめちゃくちゃに溶解し、すさまじい勢いで迷宮の崩落が進んでいく。
ばらばらと降りそそぐ瓦礫の雨――。
それを一瞬で溶かしながら、魔王アルティメルトの腕が全方向から迫る。
(やっぱり、こいつは……最悪の魔王だ)
子供のようにしゃべるからと油断してはいけない。
全てを溶かし喰らい、無限に成長していく生命体。
まだ未成熟の状態で、本気も出してないのにこれなのだ。
(もし、ここで俺が呑み込まれたら……)
この魔王は宣言通り、子供のような残酷な無邪気さで、世界を滅ぼそうとするだろう。
迷宮を喰らい、ラビリスを喰らい、エルを喰らい、アルマナの町を喰らい――いくつもの国が呑み込まれていく。
この時代に、この魔王を倒せる者はいない。
数十年後にやっと封印されるまで、この魔王は世界を溶かし続ける。
それが本来の正しい未来、あるべき未来の形――だとしても。
「――そんな未来は、俺が否定する」
俺は立ち止まり、魔王と距離を取って対峙した。
『あれれぇ?』『もう終わりぃ?』『ざぁこ、ざぁこ』『つまんなーい』
魔王アルティメルトが、きゃっきゃっと赤子のように笑う。
たしかに、
相性が悪すぎるのだ。
魔王アルティメルトには、物理攻撃でダメージを与えられない。
不老不死だから、時間を進めて老衰死させるのも難しい。
周囲にある魔力を喰らうせいで、俺が使える体外魔力もほとんどない。
さらに、この魔王を対象に時魔術を使えば――時魔術を獲得されてしまう。
この魔王が時魔術まで使うようになったら、悪夢だ。
それでも、勝たなくてはならない。
守りたい人たちがいる。守りたい時間がある。
だから――手段は選ばない。
「魔王アルティメルト……たしかに、お前は“最悪”の魔王だ。だけど、けっして“最強”の魔王ではない。もっと強い魔王がいることを、俺は知っている」
俺はマントの懐から
さっき魔術士から奪った“魔王細胞”の入った注射器。
俺はそれを迷わず、自分の首筋に――突き刺した。
「――見せてやるよ、“最強”を」
その瞬間――。
俺の全身から、膨大な雷が爆発するように膨れ上がった。
『……っ!?』『ダメ!』『させないっ!』
魔王アルティメルトがそこで初めて――声に警戒の色をにじませた。
無数のスライムの腕が波のように迫りくる。
しかし、俺から放たれた雷にたやすく蹴散らされていく。
世界がまたたく間に、雷光で染め上げられ、そして――。
「…………ッ! う、ぐぅ……ッ!」
この身を破裂させんばかりに流れ込む“力”。
俺はその全てを――支配する。
俺が魔王細胞のありかを聞きたかったのは、回収して処分するためだけではない。
力を得るためにあらゆる禁忌を犯してきた俺が、
だけど……本来、俺には魔王細胞に適合できるような素質はなかった。
この時代の俺が魔王細胞を取り込んだところで、一瞬で破裂して終わりだっただろう。
だから、1周目の俺は“時間をかける”ことにした。
一雫ずつ、魔王細胞を体に取り込んでいったのだ。
たったそれだけの量でも、適合していない俺の肉体には猛毒となった。
最初の10年間は、地獄だった。
全身がばらばらになりそうな激痛が絶え間なく襲ってきた。
いつも血を吐いていたし、痛みで涙を流していた。
激痛でまともに眠ることなどできなかった。
ようやく気絶するように眠れたとしても、毎晩悪夢にさいなまれる。
その状態でも執念で時魔術の研究をし、より強くなるために戦場を駆け抜けた。
そして、10年かけて、1滴分の魔王細胞を制御できるようになった。
次の10年は、さらに2滴の魔王細胞を取り込んだ。
その次の10年は、さらに――。
そうして、俺は少しずつ魔王細胞を取り込み、その力を完全に制御できるようになっていった。
いつしか、俺の肉体の成長は止まっていた。
髪の毛は白くなり、肌には黒い亀裂のような痣ができ、瞳には時計盤のような模様が現れていた。
そして気づけば、俺は“時間”に手で触れることができるようになっていた。
“時間”というものを完全に理解できるようになっていた。
全てを守れる力が手に入っていた。
しかし……時間がかかりすぎた。
その頃にはもう、守りたかったものはなにも残っていなかったのだ。
全てを救いたかったのに、なにも救うことができず。
みんなを守るために手に入れた力も、みんなから怯えられるだけで。
俺はただの人類の敵――“化け物”になりはてていた。
――これが、俺の100年間だ。
俺は子供の頃に夢に見ていた英雄にはなれなかった。
でも、それでいい。
地位も、名誉も、富も、なにもいらない。
大切な人たちを守るためなら、ここから全てを救うためなら……。
どんな化け物にだって身を堕とそう。
さて、それじゃあ誕生しようか。
俺の名は――。
第3の魔王――時空王クロノゲート
それは、けっして英雄の名ではなく。
未来でもっとも恐れられた“大災厄”の名前だった――。
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