第3章 王都エンデ
第37話 アルマナの収穫期
『――……きて……起……て……』
『――起きてください、クロム様……クロム・クロノゲート様』
これは、未来の俺の記憶だ。
文明が崩壊し、世界そのものが廃墟となったような、100年後の未来。
誰よりも弱かった俺は、みんなを守るために強くなろうと必死に努力をした。
力を得るために戦場を駆け抜け、あらゆる禁忌を犯し、故郷や幼馴染たちの仇であった魔術士協会にも所属した。
次々と現れる魔王を討伐して、自らも魔王の力を手に入れた。
そうして100年かけて、俺は世界最強の時魔術士となり――。
……しかし、間に合わなかった。
俺が強くなったときには、もう守りたかったものは残っていなかった。
なにも救うことができなかった。
幼馴染の少女たちも、俺を育ててくれた故郷の町も、ずっと側にいてくれた少女さえも――。
だから、俺は決めたのだ。
100年前から、人生をやり直すと。
過去に戻って、今度こそ全てを救ってみせると――。
『――もう、泣かないでくださいよ――クロム様』
『――せっかくの門出なんですから』
黄昏色に染まった都市の廃墟の中で、俺に1人の少女が寄り添っていた。
少女は慈しむように、俺を正面から抱きしめる。
『――どうか、この未来を救ってください』
『そして――幸せになってください』
『クロム様はきっと――たくさんの人に愛されるでしょう――』
『だけど――私はそこにいなくてもいい』
『あなたに出会えて、私は――幸せでした』
俺は少女へと手を伸ばす。
しかし、伸ばした手はなにもつかめなくて。
魔法陣から青白い雷が放たれ、世界が白い光で塗りつぶされていく。
――“
時空が崩壊していく。
景色がガラスのようにひび割れ、砕け散っていく。
この時間が“なかったこと”になっていく。
目の前の少女が“なかったこと”になっていく。
もう、後戻りはできない。
この少女はもう、救えない。
だから、俺は終わりゆく世界の中で。
――次こそは、きっと救ってみせる。
そう、誓ったのだった――――。
◇
「……きて……起きて……クロムくん」
――ゆさゆさ……と。
体が揺さぶられる感覚とともに、俺の意識は浮上した。
まぶたの向こう側から射し込む白光が、目の奥を鈍く刺激してくる。
「……ん」
目をゆっくりと開くと……。
もうそこは廃墟と化した未来ではなかった。
血飛沫の舞い散る戦場でも、無数の紙が散らばる研究室でもない。
(……ここは)
視界いっぱいの青空と、さぁぁぁ……と爽やかな風に揺れる花々。
少し視線を移すと、丘の下には平和そうな町が見える。
ここは――花畑の丘だ。
少年時代によく遊びに来ていた場所。
どうやら、俺は外でうたた寝していたらしい。
「あっ! クロムくん、やっと起きた!」
と、そこで。
俺の視界の中に、ひょこっと少女の顔が現れた。
「もう、こんなとこで寝てたら、風邪引いちゃうよ?」
少女が心配そうに俺の顔をのぞき込んでくる。
どこか春の陽だまりを思わせる少女だ。
陽光を溶かしたような淡い金色の髪。青空のような明るい瞳。
頭には今作ったのか花冠を乗せている。
その姿は間違いようもない。
「……エル、か」
「うん、エルだよー」
エルはなにがうれしいのか、ぱぁっと無邪気な笑顔を浮かべた。
――勇者エルルーナ・ムーンハート。
俺の少年時代に死んだはずの幼馴染の少女。
本来ならば、今はもう生きているはずのない少女だが――。
こうして、ちゃんと生きている。
(……ああ、そうだったな)
俺は寝ぼけ頭を振ってから、町のシンボルである時計塔にちらりと視線を向けた。
――女神暦1200年、4月20日、13時01分。
ここは、100年前の――少年時代の故郷の町だ。
過去に戻ってから10日が経ったが、いまだに寝て覚めると全てが夢なんじゃないかと思えてくる。
「……すっかり寝ちゃってたみたいだな。起こしてくれてありがとう、エル」
「ううん、いいよ~? クロムくんのかわいい寝顔、いっぱい見ちゃったもんね~」
「それ、楽しいのか……?」
「すごく楽しい!」
「あ、ああ」
これがわたしの生きがいです、とばかりにエルが力を込めて言う。
「寝てるときのクロムくんって、なんだか子供みたいでかわいいんだよ? ほっぺつんつんするとむずがったり、手を握るとぎゅっと握り返してくれたり」
「う……」
エルがちょっと悪戯っぽく言ってくる。
寝ている間にいろいろ遊ばれていたようだ。
なんとなく気恥ずかしい。
エルが殺気でも放ってくれていたら、すぐに起きることができるだろうけど……邪気がなさすぎて、近づかれても安心して眠り続けてしまったようだ。
「でも、ちょっとうなされてたけど大丈夫? また怖い夢でも見たの?」
「えっ、そうだったか?」
エルに心配そうに言われるが……思い出せない。
また未来の夢でも見ていたのだろうか。
なにか大事な夢を見ていた気もするが――。
――――
「……っ」
突然、頭の中でそんな声が鳴り響く。
まるで、暗示のように。呪いのように。血を吐くように。
(……なんだ? 今のは、俺の声?)
記憶をたどってみても、こんな声を発した覚えがない。
救わなければいけない人がいる気がするけれど――思い出せない。
「……? どうかしたの、クロムくん?」
「ああ、いや……なんでもないよ」
俺は取りつくろうように笑ってみせた。
「でも、心配してくれてありがとな」
そう言って、エルの頭にぽんっと手を置くと。
「…………」
エルがぴたりとフリーズした。
「ん、どうかしたのか?」
「ふぇっ!? あ、いや……な、なんでもないけど……なんか、最近のクロムくんって、たまにすごく大人っぽくなるよね……」
「え? そ、そうかな……?」
「ちょっと前まで、そんなふうに頭ぽんぽんとかもしなかったもん……」
「あ、ああ……そうだったかもな」
未来から帰ってきたことは、エルたちには秘密にしている。
そのため、できるだけ不自然にならないように気をつけているが……。
(……やっぱり、100年間のブランクは大きいな)
この時代の記憶は細かい部分が抜けていたりするし、どうしても未来の癖が出てしまうこともある。
しかし、エルはそれほど気になったわけではないらしく。
「と、とにかく、休憩はおしまい! みんなのお手伝いに戻らないと!」
エルがわたわたと言うと、顔を隠すように俺に背を向けた。
「ああ、そうだな」
そういえば、今は作業の途中だった。
俺も立ち上がり、エルについて行こうとして――。
「……ん?」
ふと、足元に咲いていた小さな青い花に気づいた。
「……忘れな草の花か」
4月の風物詩ともいえる、ありふれた野の花だ。
水辺に咲いているのをよく見るが、こんなところにも群生しているらしい。
その花言葉は、たしか――。
「――“私を忘れないで”、か」
見慣れた花のはずなのに……なぜだろうか。
どうしてか気になった。
「クロムくん、どうかしたの?」
「あ……いや、なんでもない。すぐに行くよ」
俺は思考を振り払って、今度こそエルについて行ったのだった。
◇
4月も下旬に差しかかり、アルマナの町は繁忙期に入っていた。
春といえば、花のシーズン。
他の町では春小麦を育て始める時期だが、麦の代わりに花を育てている“花の町アルマナ”にとっては、今がまさに
「今日もお祭りみたいだねー」
エルとともに町に下りると、町民が一丸となって花の収穫や選別をおこなっている真っ最中だった。
町のいたるところから花の香りが漂い、町娘たちの陽気な花編みの歌が聞こえてくる。
アルマナの町が花畑で囲まれているのは、ただ風光明媚だからという理由ではない。
花というのは、貴族から平民まで需要がかなりあるのだ。
冠婚葬祭などのイベント用の花飾りはもちろん、香水・ドライフラワー・押し花・
とくに春は、貴族の社交界がもっとも盛んなシーズンであり、庶民にとっても婚約・結婚のシーズンでもある。さらに5月の始めには、王都で大きな花祭りも催され、花の需要も一気に増える。
そんな王都の花需要を一手に引き受けているのは、王都から近いこのアルマナの町だ。
そして、その花の収穫から加工までの指揮をとるのが――。
この町の領主家――つまり、エルたちムーンハート家だったりする。
「それじゃあ、みんなーっ! 張り切っていこーっ!」
「「「おおーっ!」」」
エルのかけ声で、花を編んでいた町娘たちが一斉に花を突き上げる。
(……平和だな)
しみじみとそんなことを思う。
前回の人生では、10日前にこの町は滅んでいた。
今でも、そのときのことを夢に見る。
魔物に踏み潰された町並み、むせ返りそうな血の匂い、火に包まれながら舞う花びら……。
しかし――未来は変わった。
俺が変えたのだ。
第1の魔王・始祖竜ヴェルボロス。
第2の魔王・究極生命体アルティメルト。
過去に戻ってから、この2体の魔王を討伐した。
1週間前にラビリスが魔術士協会にさらわれてからというもの、大きな事件も起きていない。
未来は大きく変わり始めている。
それも、確実に良い方向へと――。
「クロムくーん、こっちの人手が足りないからお手伝いお願い~!」
エルの声で、思考が現実に引き戻される。
ともかく、今すべきことは――この町の一員として仕事をすることか。
「ああ、わかったよ」
俺も腕まくりをして、町民たちの輪の中へと入った。
居候とはいえ、俺もムーンハート家の一員だ。
寝ていた分を挽回するためにも頑張ろう。
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