白い手

会社から歩いて15分ほどの所にあるスーパーに来た時でした。



夕飯のおかず兼おつまみを買って帰るのが日課で、肉やお刺身、お惣菜などが安くなる19時半くらいの時間帯をいつも狙っています。

ですがその日は到着した時点で20時を回っていて、もう肉じゃがもポテトサラダも、お刺身も残ってはいないだろうと予測がつきましたので、適当に野菜や肉を買って炒め物にでもしようと、野菜コーナーを眺め始めたのですが


手、が見えたんです。


きゅうりやトマトがバラ売りされている区画の、ダンボールの箱と箱の間くらいから真っ白い手が伸びていたんです。

肘から先、蛍光灯に手のひらをかざすように。

なんであんなところにマネキンの手が置かれているのか。

従業員の誰かが置き忘れたにしても場所がひどいなあなんて思って。

不思議な光景でしたけど、そんなことより今日の晩飯だと、もやしをカゴに放り込む為に視線を動かしたときでした。


視界の端で手が動くのが見えたんです。


二度見して確認。


やっぱり手が動いている。


その手は、通りがかる主婦やスーツの女性に手招きをしていました。


どういうことだ。

棚の下に誰かがいて右手だけを出してやっているのだろうか。

いや、そんなはずはない。

あんなことが起こっているのに誰も見向きもしないのはおかしい。

それぞれ物思いにふけるように歩く、買い物客の日常が流れているだけです。

どうやら ”見えている” のは自分だけのようでした。

白い手はゆっくりとした動きで、通るお客さんに向けて手招きを続けていたのですが、ちょうどその手の前に一人の男性が止まりました。

男性はトマトを見下ろしながら何かを考えているようですが、白い手はゆっくりとした所作で、トマトの一つを指差し始めました。

しばらくするとその男性は斜め上の方を見るともなく見て、何も取らずにその場を離れていきましたが、その手は男性を追うように向きを変え、背中に向けて手招きをしていました。


お客さんを呼び込もうとしているのだろうか。


怖かったのですが、興味が勝ちました。

少しずつその手の方へ移動してみたんです。

手が見えていると相手(?)に気付かれたら何か悪いことが起こるかもしれないので。

さっきの男性のように見えていない人を装いつつ手との距離を詰めてみたら、自分にも手招きを始めました。

トマトを見ながら手を視界の端に置くようにして観察すると、やはり一つのトマトをゆっくりと指差し始めたんです。

至近距離でその手を見ると、色は異常なくらい白いんですが、とても細く、若々しい手だということがわかりました。

女性の手、なのかもしれない。

もしかしてと思い、売り場に表示されている生産者の写真を見ました。


おじいさんでした。


両手にトマトを持ったおじいさんが人の良さそうな笑顔をこちらに向けているだけで、この手が何なのかは分かりません。

でも、手はさっきからトマトを指差しています。

他に並んでいるトマトと特に変わりはないようですが、消費期限か産地か、何かが違うのだろうと思い、他のトマトを手に取ってみたときでした。


手が小さく、メリハリのついた動きでトマトを指差したんです。


「こ、れ」

「こ、れ!」


とでも言うように。

そんなにそのトマトを推すのはなぜなんだろう。

指差されたトマトを手に取ると手のひらを上に向けて、下から上にすくうようにゆっくりと動き出しました。


「どうぞ、どうぞ」

「遠慮なさらずに」


と言っているかのようでした。

トマトをカゴに入れ、何も見えていない風で売り場を離れて、遠間からもう一度手を見てみると、同じように通りすがる買い物客に手招きをして他のトマトを指差していました。


不思議なものをみてしまったという妙な高揚感を覚えながら家路につき、トマトを一時間ほど冷凍庫で冷やして晩酌のおつまみにしました。

輪切りにして塩、コショウ、オリーブオイルをかけるいつもの食べ方です。



さて一口。



うまい!  …のか?



強いて言うなら、すこし酸味が抑えられていて甘みが強い、かも。

でも、普通のトマト、という感想になってしまいます。

それもそうです。

いつものスーパーの、いつものトマトの、いつもの食べ方。

違うのは、白い手が売っていたということだけ。

二口三口、食べてみても残念ながら、それほど感動するようなことは特にありませんでした。

それからもそのスーパーを利用してますが、手はたまに見かけるようになりました。




手が生える場所はその都度変わり、お肉のコーナーや冷凍食品売り場に生えては通りがかるお客さんに手招きをして、一生懸命に売り子をしていました。





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