健康志向の男
僕の友人で、ものすごい健康志向の男がいるんです。
とにかく健康健康のやつなんですよ。
健康のためなら病気になってもいいって感じで。
唐揚げや天ぷらの衣は外す、焼肉行ったら鶏肉か赤身の肉しか食べない、野菜は一日にボウルいっぱい食べる、コンビニ弁当は食べない、適度な運動だけじゃだめでマルチビタミンがどうちゃらってなんかよく分からない錠剤を持ち歩いてるなどなど、まあうるさい。
呑み会は自分から誘わない。
誘われてもほとんど飲まないし飲んでも蒸留酒だけ。
空き腹にいきなり酒を入れるなと言い出すわ、俺を誘うときはコンディション整える必要があるから遅くとも二週間前には連絡くれとかなんとか、な男です。
正直、周囲からは避けられてましたね。
みんなで行動するときも自分の健康習慣を押し付けてくるところがあったんで。
悪い奴じゃないし、僕はそういう変なところが面白かったんでなんとなく付き合いを続けてたんですけど。
まあ、そういうわけで彼女にフラれるんですよ。
大学入ってからって言ってたんで三年は付き合ってますかね。
その彼女は彼女なりに頑張ったとは思うんですけど、やっぱそういう健康オタクっぷりに耐えられなくなったみたいで。
フラれてすぐくらい、だったと思います。
その男から呑みの誘いが来たんですよ。
めずらし!と思って。
アイツから誘ってくるはずがないので、フツーは。
面白そうだったんで呼ばれた居酒屋に行ったらですよ、酔っ払ってるんですよ。
今までに見たことないくらい酔っぱらってるアイツが、ジョッキ片手に「おぅい」なんて言ってるんです。
どうしたどうした?って声かけたら、アイツ涙こぼしながら「もういいんだよ」なんて言って、体に悪いからって食べなかった豚バラとか、衣つけたままの唐揚げをガツガツ食べてるんです。
なるほど、と。
フラれた辛さは良く分かる。
今日はとことん付き合おうと思って、僕も呑み始めたんです。
僕が来てから一時間くらい。
たぶんアイツはプラス一時間半くらいだと思うんですけど。
べろんべろんになってるアイツがしばらく黙ったなぁと思ったら、急に
「お前、夢を見たら覚えてるタイプ?」
って聞いてきたんです。
は?とは思ったんですけど、夢はあんま見ないって返したら
「俺は、見たら、覚えてる」
って、ほぼ崩れてる頬杖ついて串入れを見つめながら言うんです。
なんのこと?って聞いたら
「最初にその夢を見たのは…あ〜…
幼稚園生の時にインフルエンザで救急搬送された時だ…」
と語り始めました。
夢の中でアイツは小雨が降る夜の山道を、長靴履いて黄色いカッパを着て一人で歩いているんだそうです。
鬱蒼とした山道をわずかな月明かりを頼りに歩いているんですが、何か目的地があるらしくて。
「迷いなく歩いているんだわ」と、アイツは呟くように言って話を続けます。
しばらく歩くと、入り口を街灯に照らされたトンネルが真っ黒い口を開けて現れる。
と、そこで意識を取り戻してその時はそれっきりだったと。
次は中学一年の時。
虫垂炎から腹膜炎を発症して死にかけて、また夢を見たそうで。
幼稚園の頃に見たトンネルの中を、今度は学ラン着た中学生の姿で歩いているんだそうです。
真っ暗なトンネルの中、入り口と同じように街灯に照らされた出口の灯りを頼りにまっすぐに歩き続ける。
トンネルを抜けると、所々寂しげに街灯が照らす棚田の風景が広がっている。
トンネルの正面に広がる田んぼに一人、農業用のレインウェアを着たおじさんが立っていて、こっちを指差しながら何事かを叫んでいる。
今度はそこで意識を取り戻した。
次は高校二年の時。
通学中に急性心不全を発症して救急搬送され、その時に夢の続きを見た。
レインウェアのおじさんと一緒に雨の中、田んぼ道を歩いている。
透明なビニール傘をさして高校のブレザー姿で歩いていると、やがて谷あいの登り道に入り、登り道のてっぺんから下りに差し掛かるところに何かの工場らしき施設が見え始める。
おじさんは少し後ろを歩きながら「まだ早いんじゃないか?」とか「引き返すなら今だぞ」とか、色々と声をかけてくれるそうなんですが、夢の中のアイツの決心は固く、早くその工場に行きたいらしい。
ようやく到着したその工場は屠殺場。
夢の中のアイツは、ここで自分も綺麗に処理してもらおうと思っているんだそうです。
施設内は清潔で隅々まで清掃と整理が行き届いていて、豚や牛と同じように綺麗に処理された、透明なくらいに白い人体が整然と吊るされている。
それを見てアイツは、こんなに綺麗にやってもらうのなら良いな、と思うんだそうです。
おじさんは一緒に施設内に入る所まで見送ってくれた後、「まあ、怖がることでもないしな」と声をかけて、元来た道を歩いていく。
アイツはそのおじさんに感謝を述べて、その後ろ姿を見送る。
そこで、当時のアイツは意識を取り戻したんだそうです。
頬杖をついたまま話し終え、どろんとした表情の中で串入れを見つめる目の、白目がやたらと光っているのが少し怖かったですね。
いつの間にか、串入れのもっと先を見つめるような視線を送りながらアイツは
「その時に思った。
あの夢をもう一、二度見たら、俺は死ぬ。
だから、健康に気を使おうと思ったんだ」
そうつぶやくと、その姿勢のまま眠ってしまいました。
周りからウザがられるほどの健康志向に奇妙な理由があることを知り、他人には到底理解できない苦しみを抱えたアイツの、苦労を想いました。
アイツが言う通り夢の続きが「死」なのかどうかは、僕にはわかりません。
もしかしたら別に、死なないかもしれない。
ただ、日頃の健康意識の高さや心がけの必死さ、夢の話をしているアイツの目の光に、ただならぬものを感じていたのも事実なんです。
ぼんやり感じた不安を洗い流す気持ちでジョッキの残りをあおって、アイツを抱えて店を出ました。
タクシーを待っている間、目をつぶったまま「わりぃな…」と言った後、呂律の回らない口でつぶやいていた言葉が印象的でした。
「一番怖いのはさ…
あの夢見るのが怖くなくなってきてることなんだよ…」
アイツにもっと、健康に気を使ってほしいなって思いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます