ホームビデオ

私の従兄弟が電気店を営んでおりまして。

その従兄弟との話です。



VHSのビデオデッキが録画機器として主流だった頃の話ですから、20年以上前になると思います。

従兄弟が一本のビデオテープを持ってやって来ました。

私の自宅と従兄弟の電気店は近いこともあり、よくお茶を飲みに来ていたので珍しいことではないのですが、その日はいつもと違いました。

「ちょっと見てくれ」

と言って、ビデオテープを渡してきました。

「なんだなんだ、掘り出し物か?(笑)」

「真面目な話だ。まず見てくれ」

と、いつもの軽口が通用しません。

茶色く日焼けしたラベルに「思い出 ④」とマジックで書かれたビデオテープを渡され、しょうがなく我が家のデッキに挿入し、再生ボタンを押しました。

真っ黒な画面にバリバリと音を立てながら激しくノイズが走り、画面下部や中央にも細い帯状のノイズが真横に流れています。

何度も再生された上に経年劣化が重なり、テープはかなり摩耗しているようです。


ほどなくブルースクリーンに切り替わり、横線のようなノイズが下から上へとゆっくり流れ始めます。

少し眺めていると、画面から何か聞こえてきました。

まだ画面はブルースクリーンのままですが、赤ちゃんの泣き声とお母さんらしき声でした。

カメラ近くに若い男性の声もあるので、おそらくは撮影している父親でしょう。

ノイズがひどく、どうにか聞き分けられる音質でした。

ザザッとノイズが入ったのをきっかけに画面に色が入り、ルーレットのように下から上に素早く流れる画面が静止し、すりガラス越しのようなぼやけた輪郭が浮かびあがってきました。


ようやく見えてきたのは、お母さんが赤ちゃんをあやしている映像でした。長い髪、白いシャツを腕まくりしたお母さんが赤ちゃんを抱いています。

ピンク色のベビー服を着た赤ちゃんに向かって、顔を近づけて声をかけていました。

画面左下に

AM 9:37

AUG 14 1987

と、表示されていたと記憶しています。

やはりそれなりに古いビデオでした。


ノイズ混じりの画像はとても不鮮明でした。

カメラは赤ちゃんとお母さん全体が画面に収まるように合わせてありますが、赤ちゃんの顔も母親の顔も、はっきりとは分かりません。

部屋の中で赤ちゃんを抱いて、体を揺らしながら歩いているお母さんを、お父さんが手持ちカメラで追っています。

映像ではお父さんもお母さんも愉快な声を出しながら、一生懸命子供を泣き止まそうと笑います。

ゆきちゃん? ゆみちゃん?

よく聞き取れませんが、そのような名前の女の子なのでしょう。

夫婦力を合わせてあやしている微笑ましい映像です。

「これがどうした?」と尋ねると

「まだ」とぶっきらぼうに従兄弟は答えます。

しばらく見続けました。


歩くお母さんの後ろをついていったり、窓際で外を見させようとするお母さんを横から撮ったりと、ゆったりながらもお母さんもお父さんも忙しく動いています。

泣き止まない子供と若い夫婦の奮闘。

でもそこには、子供の成長を映像に収めておこうという親の愛も感じられます。

昔の自分の苦労も思い起こされました。

この女の子はどんな顔なんだろう、美人さんかな、などと孫を見守るように感情移入すらし始めたときに異変に気付きました。


赤ちゃんの泣き声に変化がないのです。


ある程度泣いたら息継ぎや泣き疲れでおさまるときもあれば、機嫌がなおらずより激しく声をあげたりするなど、普通は波があるものです。

しかし、この映像の女の子はある程度泣いてはまた同じように泣くを繰り返しているのです。

首をひねっていると従兄弟が

「たぶんカセット」

と、訝しる私を察して言いました。

どうやら、録音した赤ちゃんの泣き声をカセットテープで流しながら、撮影しているようなのです。

どういうことだ?

そう思っていると、ふとカメラが赤ちゃんの顔にズームしていきます。



人形でした。



体を傾けると目を閉じる、昔よく見かけた赤ちゃんの人形でした。



赤ちゃんの泣き声を流しながら、人形を本物の赤ちゃんのようにあやしているビデオ。

なんとなく気味の悪いものを感じました。

ですが、もしかすると子供に恵まれない夫婦の遊びなのかもしれません。

「思い出」と書かれたラベルのビデオテープは、誰かのプライベートなものなのでしょう。

赤の他人がとやかく言う筋合いはありませんので、これはこういうものだと割り切りました。

しかし従兄弟は「まだ先」と言います。

正直、こんな薄気味悪いものを見たくないという気持ちもありましたが、従兄弟の声に従い、見続けました。


あやしている映像はブツッと音を立ててブルースクリーンに切り替わりました。

今度は人形を、テーブルの足を支えにして立たせています。

撮影しているお父さんが「頑張れ!」と声をかけます。

お母さんが人形からそーっと手を離します。

静止し、立ち姿を維持する人形に対して拍手をしながら

「たっちができるようになったね〜」と囃し立てました。

お父さんも「えらいね〜頑張ったね〜」と喜びます。

夫婦で喜びあいながら立っている人形をしばらく映していましたが、場面が切り替わりました。

今度は絵本を読み聞かせている映像でした。

カメラをお母さんが持ち、人形を左手で抱いて上から見下ろす様に撮影しています。

人形の前に”マッチ売りの少女”の絵本をひろげ、人形と会話しながらお母さんが読んであげています。

読み聞かせの映像がしばらく続いて、また場面が切り替わりました。

今度は閑散とした公園です。

黄色いコの字型の車止めの間を通り、砂場やブランコが見えてきます。

撮影しているお母さんが「いい天気だね〜」と話しかけながらカメラを下に向けると、乳母車に乗った人形が見えます。

何かカチャッと音がしたあと、赤ちゃんの笑い声が流れて来ました。

さっきの泣き声と同様、録音された赤ちゃんの笑い声を再生しているようです。


ビデオはこうした、人形を相手にした記録映像でした。

公園の映像から今度はお風呂の映像。

切り替わって、布団に入れて頭を撫でながら子守唄を唄っている映像。

両手を持って歩かせている映像などが延々と続きます。

精神的にも疲れを感じ始めました。

また今度にしよう、と続きを先送りにしようと考えだした頃でした。


テーブルでの食事の映像になりました。

AM 11:46

NOV 22 1987

と、表示されていたと思います。

ベビーチェアに座らされた人形の前に離乳食が置かれています。

人形を画面の中央にすえて、カメラを置いて撮影しているようです。

画面の左側から腕が現れ、離乳食をすくったスプーンを、人形の口元に持っていって「あ〜おいしいでちゅね〜」とお母さんが笑います。

子供の笑い声をBGMに、お母さんが離乳食を人形の口元に運び、笑いかけるといった所作が繰り返されました。

10分ほど、そうした食事ごっこが続いたあたりでした。

遠くから…どすどすどすどすどす!と足音が聞こえました。

突然画面の上から手が伸びて、人形の頭を鷲掴みにして持ち上げました。

お母さんの悲鳴、乱れる画面、テーブルや天井、床などがぐるぐると写り込み、ドゴゴゴッとマイクが何かにぶつかってこすられ、画面に大きなノイズが走ります。

タンスやテレビ台、テーブルの足が映り込み、カメラが横倒しになっていることがわかります。


カメラからお父さんとお母さんの口論が遠ざかっていきます。


「いつまでこんなことやってんだよ!」

「ちょっと!ゆ…をかえして!」


い……げんにしろ

もう……はか………いんだ………だろ

やめ…

た!



ふー

ふー

ふーっすー

ふーっ!すーっ!

ふーっ!すーっ!ふーっ!すーっ!


床を踏み鳴らしながら荒い息遣いのお母さんがカメラに近づいてきます。

激しく揺れる画面に一瞬、左手で首根っこをもたれた人形がうつり、ブッという音ともに画面は暗転します。

それから20秒ほどブルースクリーンが続いた後、そのまま音声が入り始めました。



聞こえて来たのは、お母さんの歌声でした。



「幸せなら手を叩こう」を楽しげに歌っています。



しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ


「はぁい、上手にうたえましたぁ〜」

「ね〜」

「楽しいね〜」

「また歌おうね〜さんはぁい」


ノイズも画質もよりひどいのですが、徐々に何がどう映っているかが分かるくらいには鮮明になってきます。

画面が完全に静止しているので、テーブル上に置いて撮影しているようです。

ベビーチェアに座らせた人形を撮影しています。

人形の向きと声の方向から、カメラの左側にお母さんがいるものと思われます。

画面外から楽しげな歌声と手叩きが鳴り響きます。

手叩きをしたあと、人形の肩をぽんぽんと優しく叩くお母さんの手が映ったりしています。


しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ


「上手に歌えたね〜」

「もういっかい歌おうか〜」


「さんはぁい」


しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ

「上手に歌えたね〜」

「もういっかい歌おうか〜」

「ね〜歌おうね〜」

「さんはいっ」

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ


何か聞こえたような気がします。

従兄弟が「巻き戻して」と言います。

映像を巻き戻し、もう一度聞いてみます。


しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ


「上手に歌えたね〜」

「もういっかい歌おうか〜」


「さんはぁい」


しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ

い…よぉ

「上手に歌えたね〜」

「もういっかい歌おうか〜」

「ね〜歌おうね〜」

…子ぉ

「さんはいっ」

…いん

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ


もう一度巻き戻します。

音量を上げました。


しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ


「上手に歌えたね〜」

「もういっかい歌おうか〜」


「さんはぁい」


しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ

いたいよぉ

「上手に歌えたね〜」

「もういっかい歌おうか〜」

「ね〜歌おうね〜」

…み子ぉ

「さんはいっ」

びょういん

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらてぇをたったこっ♪

パチ パチ

しっあっわっせなぁらたぁいどでしぃめそぉうよっ♪

ほぅらみんなぁでてぇをたったこっ♪

パチ パチ



鳥肌がたちました。



男性の声なのでおそらくお父さんだと思われます。

怪我をしているのでしょうか。

お母さんに病院に連れていってもらうよう訴えていますが、お母さんは意に介さず唄を唄い続けています。



そして、何度目かの「幸せなら手を叩こう」のあと



しんじゃうよぉ と声が聞こえてきます。



お母さんは ふーっ と深いため息をついて



「ツッ」と舌打ちをしたあと、画面はブルースクリーンに戻りました。



するとバリバリバリと激しいノイズが入り、デッキからキュウーという音がした後、自動停止されてビデオが排出されました。

「そこから先が巻き込まれていたからだろう」と従兄弟がいいます。


これはお客さんの依頼で取り出したビデオテープだそうです。


女性のお客さんから、テレビデオ(テレビとビデオデッキが一体になったもの)にテープが巻き込まれてしまったけど、大切なビデオだからなるべくテープを切らずに取り出してほしいという依頼があったそうです。

切らずに取り出せたものの大切なビデオテープということなので、良かれと思って損傷具合を確認するために再生し、内容が内容だけにこうして相談に来たというのが、私に見せた理由だそうです。

「こういうのって警察に届けたほうがいいのかな?と思ってな」と、従兄弟が真剣な面持ちで尋ねます。

しかし、これだけではどの程度の怪我なのか、その後どうなったかまでは不明です。随分と昔の映像でもあり、事件として扱われるかどうかも分かりませんでした。

それに

「本当だったらお客さんのビデオは勝手に見ちゃだめだろ。みなかったことにしよう」と返答しました。


後日、納品予定日に女性は店舗を訪れ

「あのぅ…見てないですよね? その…プライベートなことも映っているので…」と、苦笑いしながら尋ねてきたので従兄弟は

「もちろんですよ。なので、映像の損傷具合や再生可能かどうかについては分かりかねますので、ご了承ください」とお答えしたと言っていました。

ええ構いませんと修理代金を支払い、丁寧にお礼を述べて女性は帰ったそうです。

依頼票の名前は「○○江」で、”子”で終わる方ではなかったそうですが、従兄弟は

「苦笑いした後の、こっちの返答を待つ一瞬の目がこわかったなぁ。蛇だね、蛇」と言っていました。

現在も従兄弟とは交流があってビデオを見た時の話になり、本当にあの対応で良かったのかが、今でも気になっています。



当時、従兄弟が念のためダビングしたビデオテープは、私の家に保管してあります。


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