お盆の帰省 後編
同棲しているマンションに帰っても彼女はいませんでした。
結局その日は彼女と連絡はつかなかったのですが、翌日になって共通の友人から連絡が入りました。
友人の話では、友人の自宅に彼女がいるけど、とても混乱しているので今はそっとしてあげてほしい、というものでした。
ともかく居処がわかって安心できましたので。
落ち着いたら連絡をもらえるようお願いして、両親にも友人からの連絡内容を伝えて、その日は終わりました。
それから一週間後、友人から連絡がありました。
彼女が入院したというのです。
突然のことで驚きましたが、友人が事の経緯を説明してくれました。
実家を出ていった日に彼女は友人宅に突然押しかけて、泊めて欲しいと訴えたんだそうです。
驚いて理由を聞いても、分かったのは私の実家を飛び出してきたことくらいで、とにかく泊めて欲しいと泣きじゃくっているんですね。
その様子がただごとではなかったので、友人は泊めることにしたのですが、彼女は毎晩うなされて苦しんでいるんですね。
あまりにも苦しそうなので友人は事情を聞こうとしましたが、とにかく、ごめんなさいごめんなさいと泣きじゃくるばかりで、何も分からなかったそうなんです。
そして、友人宅に転がり込んで一週間後、友人が買い物に出かけている間に彼女が、ベランダから飛び降りてしまったんだそうです。
友人は低層マンションの三階に住んでいましたが、奇跡的に足の骨を骨折しただけにとどまり、後遺症も心配ないとのことでした。
私は病院にすぐにでも駆けつけたい気持ちでしたが、友人からは電話にしてほしいと言われました。
彼女は最初、私と接点を持ちたくないと抵抗していたそうなんですが。
友人が彼女を説得して、電話で話すところまでようやくこぎつけたということなので、会いたい気持ちを抑えて、まずは事情を聞こうと、友人の提案を受け入れました。
電話口に出た彼女は泣いていて、しきりに謝っていました。
何に、なぜ謝っているのかは分かりませんでしたが、私も彼女に謝罪しました。
あの晩、着物姿の祖母を見たことを話し、そうした実家でのことが今、彼女を苦しめているのだろうという思いからでした。
しかし、彼女は
「私がみたのはそんなんじゃない」と語気を強めたんです。
彼女は、息を整えながら少しずつ、あの晩のことを話してくれました。
彼女はあの床の間に泊まるたびに、怖い思いをしていました。
最初は、誰かに枕元で見られているような、ずっと視線を送られているような違和感を感じる程度でしたが、そのうち足や腕を掴まれてひっぱられる、胸の上に誰かがのしかかって苦しい思いをさせられる、次第に首を絞められるなど、実家に泊まる度に現象がエスカレートしていたらしく
あのお盆の夜にはとうとう 「鬼」 が現れたのだそうです。
長く乱れた髪、爛爛と光る見開かれた目、するどい牙や角、青白くひび割れた皮膚や指。
そして、大きな出刃包丁。
そんな昔話に出てくるような鬼が、動けなくなっている彼女のもとにゆらりと歩みよって馬乗りになると、左手に持った出刃包丁を胸に突き立て、ゆっくりと刺し入れたんだそうです。
痛みと苦しみから叫ぶこともできず喘いでいると、耳元に顔を近づけて
「わるいこだねぇ しつけがいるねぇ」と囁き、切り裂いた胸に手を突っ込んで、ぬらぬらと光る黒いものを引き摺り出していきました。
吹き出す血と、鬼がゆっくりと闇の中へ消えていくのを見ながら、夢の中の彼女もまた暗闇に包まれていったのですが、ハッとして我に返ると、汗まみれで床の間に寝ている自分に気付くことができたそうです。
しばらく呆然とした後、湧き上がる恐怖に耐えきれず彼女は、私の実家を飛び出して友人宅に転がり込んだのですが。
その鬼は友人宅にも現れ、夢の中で彼女を刺しては、黒いものを引きずりだしていきました。
そして飛び降りる前日、鬼は
髪の毛で束ねられた四人の男の首を持っていたそうです。
「がまんするんだよ これはしつけだからねぇ」
と鬼は囁いて、また包丁を突き立てていく。
鬼の恐怖に押しつぶされ、ベランダから飛びおりて楽になろうとしたのだと、泣きながら彼女は言いました。
ですが、落下している途中、体の向きがくるりと変わって。
地面に落ちる寸前では、体が浮くような感覚があったらしく。
それはおそらく、鬼の仕業だろうと。
「ちゃんと頭から落ちたのに…」と、電話口の彼女は泣きじゃくります。
それから彼女は、本当にごめんなさいと前置きした上で、話しを続けました。
実は多額の借金があること。
私と付き合い始める前にホスト通いで作った借金で、ヤミ金にまで手を出してしまい、利息を含めて相当な額になっていること。
その借金の返済に、私や私の実家のお金をあてにしていたこと。
私以外にも、複数の男性と関係を持っていたこと。
その男性たちとの交際に、結婚資金のほとんどを使いこんでしまったこと。
涙声でつっかかりながら彼女は、秘密を打ち明けました。
ショックのあまり、言葉になりませんでした。
彼女は、私の実家に泊まる度に起こる恐怖体験がそうした自分の不貞に対する罰ではないかと思ってはいたのですが、私と結婚することで変われるかもしれないという期待から、考えないようにしていたそうです。
しかし、あの鬼が、交際していた男性四人の首を持っていたのを見て、やはり罰だったのだという思いが強くなった。
性的に依存し、複数の男性を求める自分に対して長年抱えていた自己嫌悪もあり、汚い自分を消してしまいたいとずっと思っていた。
あの鬼は私に罰を与えるため、そうしろ、消えてしまえと言っているんだと思い、自殺を選んだのだそうです。
「でも、死ねなかった。死なせてもらえなかった」と、絞り出すように言うと、声をあげて泣き始めました。
話し終えた彼女はただ、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すばかりでした。
友人が電話を代わると
「どうする?」と聞いてきましたので、我ながら優柔不断だと思いましたが
「とりあえず距離をおいてみるよ」と答えると
「わかった、そう伝えるね。また話そ」と言って、友人は電話を切りました。
それから彼女とは、連絡を取っていません。
両親には彼女の一身上の都合で、理由は話せないけど別れることになった、つらいのは私も同じだから理解して欲しいと説得し、決して自分が浮気していたとかそういうことではないと力説しました。
私の話を聞き終えると、父の「分かった」の一言で、電話は終わりました。
少ししてから友人と会い、あれから彼女がうなされていないことや、無事退院して借金や身の回りのことを清算すべく頑張っていることを伝え聞きました。
友人が、彼女の秘密に気付けなかった自分を許して欲しいと謝ってきたので、気付けなかったのは私も同じなので、と自分を責めないようお願いしました。
それからしばらくして実家に帰った時に、あの床の間を眺めながら思ったんです。
あの日、彼女を苦しめた鬼は、祖母だったのではないかと。
私にとっての祖母は、にこにこしている優しい姿ばかりが思い起こされますが、母から聞いた祖母は、とても厳しい人でした。
夫(母からみれば父)を戦争で亡くし、おてんばだった母の父親替わりとして手をあげることも多かったそうで、その度に
「悪い子には仕付がいるね」
と、幼い頃の母は、祖母によくお灸を据えられていたそうです。
日本画を嗜んでいた父が掛け軸を書き遺していたのですが、その掛け軸に落書きをしようとして怒られたこともあったそうで
「これは仕付だからね、我慢するのよ」
と、ホントのお灸を据えられて、あまりの熱さにずいぶん泣いたと母は話してくれました。
あの晩に私が見た祖母と彼女が見た祖母は全く違う姿でしたが、彼女を仕付けるために、私を守るために、鬼の姿を借りて現れたのだろうと今では思っています。
有難いという思いから、何か祖母の遺品を身の回りに置きたいなと思い、あの晩に鳴った古時計を持ち帰りたいと母にお願いすると
時計はとっくの昔に壊れて処分したとのことでした。
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