恩人
就職してすぐだったと思うので、8年くらい前だと思います。
女の子を助けたんです。
覚えている範囲で、当時のことをそのままお話します。
マンションを出て少し歩いた所に小さな交差点があって、渡ろうと思ったんです。でも信号が赤だったので、横断歩道の手前で立ち止まってスマホでニュースを見ていました。
少しして横を女の子が駆け抜けて、私の前に立ちました。
赤いランドセルに黄色い帽子の女の子です。
白いブラウスに紺色のジャンパースカートって服装が今時珍しい感じがして、なんとなく後姿を眺めていました。
ランドセルの左側がキーホルダーでいっぱいで、そういえば私のランドセルもキーホルダーでいっぱいだったなぁ、お友達とかわいいキーホルダーを集めて交換したっけ、と昔を思い出していたら前の小学生が歩き出したので、あ、信号が青になったんだと思って前を見たんです。
で、青信号を確認して、スマホに視線を戻してアプリを閉じようとしたら、キーホルダーが一つ、落ちているのを見つけたんです。
絶対に女の子のだって思って、拾って追いかけたら
横断歩道に車が走り込んできたんです。
右折する車がタイヤを鳴らして、小学生目掛けて突っ込んできました。
その瞬間の私は、いわゆる「ゾーン」に入っていたんだと思います。
小学生がゆっくりと体を庇おうとする動きや運転手の表情、タイヤの回転や弾かれる小さな小石の動きまでもが全部、スローモーション。
当時父が乗っていたのと同じ白いクラウンだって、車種を見分けることもできていました。
凄く静かでゆっくりとした世界の中で、私だけが普通に動けてて。
前にいる女の子のランドセルを引っ張って。
そこを車が走り抜けて。
隣のガードレールに車体をぶつけて止まった所で、世界が動き出しました。
女の子は少しの間、私の側で座り込んでいましたが、怖くなったのか一目散に横断歩道を走っていってしまいました。
お礼も言わずに行ってしまったのが少し寂しかったのですが、元気に走っていく後ろ姿をみて、安堵しました。
キーホルダーを渡しそびれてしまいましたが、またここで会えるだろうと思ってカバンの中にしまって、通報しようとスマホを探したんですが見当たらなくて。
落としたのかなと思ってあたりを見渡していたら、あ、家の充電器に挿しっぱなしだというのを思い出して。
マンションに戻ってスマホをカバンにいれて、もう一度事故現場に戻って通報しようと思ったんですけど、そこで初めて気がついたんです。
そもそも、小さな交差点なんてないんです。
横断歩道のない片側3車線の大きな交差点なんです。
事態が飲み込めなくて、しばらく交差点を見つめて呆然としてしまいました。
突然現れた小さな交差点に、何の疑問も抱かなかったのはどうして?
スマホは確かに朝眺めていたのに忘れたって思ったのはなぜ?
マンションにあったのはどういうこと?
あの小学生は…?
その時急に、思い出したんです。
小学2年生の時、私は車に跳ねられそうになりました。
横断歩道を歩いていると、白のクラウンが私めがけて突っ込んできたんですが、誰かにランドセルを引っ張られて助かったんです。
その時の私は、怖くなってそのまま逃げてしまって。
当時助けてくれた人にお礼を言えなかったし、誰が助けてくれたかも分からないままだったんです。
カバンの中には、当時失くしたと思っていたキーホルダーが入っていました。
私が、私を助けたということになるんでしょうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます