第34話 襲撃

 バスに揺られて学校に戻りついた頃には、日は大きく傾いていた。


 犠牲者が増えたのにも係わらず、今日も眞仁たちには成果がない。まだ動き始めて日が経っていないという事実はこの際、問題にならないだろう。子供の命がまた一つ潰え、犯人は野放しなのだ。

 警察も同じように歯痒い思いをしているのだろうか。捜査手段と権力を持った大人でも同じなら、自分たち高校生にできることは何もないのか。

 電線に降り立つカラスが、ガアと野太い声で消沈した面々を迎える。成果のない眞仁をあざ笑うかの様だった。


「写真部に寄るだろ。先行っててくれ」


 智蔵太と久志が飲み物の調達を買って出て、自販機へと向かう。二人を欠いて部室に収まると、久咲が重い口を開いた。


「…写真はおじさんの刑事さんに渡したのよね。本気にしてくれるかしら」

「どうだろう。正式に流せないと言っていたけど、仕方ないと思う。浩一兄はともかく、警察が本気にしてくれる可能性は薄いんじゃないかな」

「だよね。あのフリーライターと上手く連携できないかしら」


 普段に増して疲れたかのように薄くなっていた美耶子は、久咲の提案に興味を持った様子だった。下手をすると捜査撹乱になるのではないか。そう懸念する眞仁に対し、久咲の考えは少し異なっていた。


「例えばよ。雑誌じゃないにしても、この人を探してるって掲載してもらうとか。不審者情報として流すとか」

「声かけ事案みたいにですか。確かに多いですものね」


 久咲のアイデアに元気を貰ったのか、佐久良も頭を回し始める。


「そうよ。犯罪者としては無理でも、私たちで事案をでっち上げるの。その似顔絵がこちらです、って情報を流すのはどう?」

「それなら警察を通じて注意喚起ができるかもしれませんね」


 犯人確保も大切だが、次の被害者を生み出さないことが喫緊きっきんだ。浩一には怒られるかもしれないが、その方法ならアリかもしれない。もう少しアイデアを練るのも悪くないかも。


「写真だとアレですから、イラストにして…」

 その時、何やら興奮した久志の声が表から聞こえてきた。


「あのバカ、今度は何やっているのかしら」

 しかし席を立つ間もなく扉が開く。嬉しそうな顔で覗き込んだ久志が、見てみろよと声を掛けた。


「なあ、これカラスだよな。こいつ逃げないんだぜ」


 表を見れば、通路の手すりに黒い影が見える。確かにカラスだ。それも大きい。

 手が届く距離に久志と智蔵太がいるのに、人の存在を気にする素振りもなく。大きな羽を二度三度と羽ばたかせながら、黒い体を揺すっていた。太く湾曲した嘴を傾けて、感情の見えない漆黒の目が部屋を伺っているようにも思える。


 漆黒の目は、僅かに濁って見えた。

 それを見た眞仁はすごく… すごく嫌な予感がした。


「うわっ」


 その場から動かないかと思われたカラスは、しかし首を下げると甲高い音を立てて手すりを蹴った。大きな羽を器用に操り、狭い室内へと飛び込んでくる。

 久咲の悲鳴が上がる。黒い羽が室内に舞って、眞仁も思わず身を低くした。


 バサリ。バサリ。


 大きな羽音が室内の空気をかき乱すと、遂にカラスは椅子の背に体を収めた。


「サキ、大丈夫か!」


 目の前で、カラスは室内を睥睨へいげいしている。王者のように悠然とした姿は、とても野生の動物には思えなかった。…いや、この黒い動物は野生ではない。野生のカラスが目的もなく、狭い室内に飛び込むなんてありえない。

 それだけではなかった。この突然の賓客に、眞仁は足が萎える感覚を覚える。禍々しい何かが動物から発揮されていたのだ。今まで感じたことのない、怖気すら覚えるプレッシャー。それは事件現場で感じたよりもはるかに重い、害意を伴う黒いオーラ。


 漆黒の目がこの場にいる顔を一つ一つ渡り、遂に美耶子のいる場所を見据えた。霊を射貫く視線を感じ取った眞仁は、ハッとして美耶子を振り返る。美耶子は…。


 表情のないはずの顔を恐ろしく歪め、黒い鳥を睨んでいた。


「おいおい、この部屋に食い物なんて何も…」

『控エロ、下等ナ者ドモ』


 目の前の動物が漆黒の翼を広げると、突然、眞仁の耳に声が響いた。


「わ、カラスが喋った!?」


 驚く久志。ということは、カラスの声が聞こえたのは眞仁だけではい。

 いや、カラスは何も喋っていない。言語など操っていないのだ。語るように嘴を開けても、しかし声までは発していない。なのに。

 眞仁たちの鼓膜を何者かの意思が、空気を介して震わしているのだった。


『取ルニタラナイ霊カトオモエバ、見逃シテヤッタモノヲ』


「こいつは…」

「鬼です。悪鬼です!」


 呆気に取られる智蔵太に返したのは、驚愕に目を開いた佐久良だった。


「あいつは、あの男はどうしたのよ!」


 悪鬼だと聞いて目の色を変えた久咲は、気丈にカラスを睨んだ。

 そうだ。本当にこのカラスが悪鬼ならば、悪鬼がここにいるということは。憑いていた殺人犯はどうしたのか。それよりも何故、この場所を知っている。


『ニンゲンゴトキガ調子ニノルナ!』


 久咲の言葉に激高したかのように、カラスは両の羽を広げた。纏う漆黒のオーラが膨れ上がったように眞仁には見えた。


「人間ごときですって?」

『ワレヲ追ッテイタツモリダロウガ、気ヅカヌトデモ思ッタカ』


 失笑するかのような声音。しかし発音は硬く、聞き取り難い。カラスが喋っているのでなければ、この声はどこから聞こえるのだろう。


『何モシラヌ者ドモヨ。今回ハソノ愚昧ぐまいサニメンジテ、ココデ手ヲ引ケバ見逃シテヤロウ』


 しかし悪鬼が持ち出したのは交渉だった。それを聞いて落ち着きを取り戻したのは智蔵太だ。挑発するような言葉を投げ掛ける。


って偉そうにしてても、人間には手出しできねえ。ノコノコ現われたが、確かそうだったな」


『舐メルデナイワ、ニンゲンガッ!』

「きゃあ!」


 バサリ。再びカラスが激高すると、同時に甲高い音が鼓膜を打つ。窓ガラスが割れ飛んだのだ。

 突然の音に身を構えた眞仁は言葉を失う。悪鬼は物理的な影響を与えることはできないと、美耶子の話では確かそうだったはずだ。殺人犯だけが直接的な脅威だったはずなのに。


『ニンゲン。次ニ現ワレレバ、キサマラヲ殺ス』


 悪鬼は無慈悲に宣言する。しかしその意図はあくまで脅迫。

 何故だ。この場所を知っていて、どうして今さら脅迫なのか。ハッとした眞仁は一つの可能性に思い至った。霊が集まるというスポットが、もしそれが罠だったのだとしたら。


『ソコノ霊』


 カラスは幽霊に目を移す。それを受けて美耶子は嘴の前に、皆の前に歩み出た。怒りを身に宿したままに、小さな体で皆を庇うように前へ。


『矮小ナ存在ガ。ワレノチカヲ知ラヌト見エル』


 傲慢な物言いに、美耶子は左足を出して半身になった。細い左腕がスッと上がる。それを見て、嘲るような悪鬼の声が鼓膜を震わした。


『タカガ幽霊ガ、歯向ウ気カ。ナラバ、チカラノ差ヲ知ルガ良イ!』


 カラスが翼を羽ばたかせた。それだけだった。


『…散レ』


 たったそれだけで、美耶子の体は崩れ始めた。波打ち際の城のように、カップに落ちた砂糖のように。カラスに向けた半身から、生じた風に塵となる。


「美耶子さん!」


 瞬間、身を翻した美耶子が眞仁に向かって手を伸ばしていた。眞仁も美耶子に手を伸ばす。朧な腕を掴もうとして、しかし眞仁は何も掴めずに。


 美耶子は大きな羽から生まれた風に、存在を掻き消されてしまった。


 何が起こったのか。皆に美耶子の姿は見えなくとも、幽霊の声は聞こえなくとも、眞仁の様子で事態は察知するだろう。彼女が悪鬼の手に掛ったのだと。

 眞仁にしても幽霊の声は聞こえない。美耶子の声を聞くことはできない。幽霊である彼女の指には、触れることすらできなかった。

 なのに眞仁は彼女の口が、悲鳴に固まるのを見た。体が崩れる瞬間を見てしまった。


 …それでも彼女の声は届かなかった。悲鳴すら誰にも届けられずに。たった十二歳にして死んだ少女は、再び悪鬼の犠牲になった。

 眞仁はその事実に凍りつく。彼女は必死に腕を伸ばしていたのに。最後の瞬間まで助けを期待していたのに。なのに声すら届かなかったなんて、そんなこと…。


 ――ねえ、さっきのガラスが割れた音だよね?

 ――たぶん部室棟だぜ、二階。


 呆然とする眞仁の耳に、バタバタと外の気配が飛び込んでくる。音を聞きつけた誰かが駆けつけたのだろう。


『クハハハハハハハ…』


 カラスは再び大きく羽ばたいた。悠々と割れた窓から去っていく。

 室内に勝ち誇る笑い声と、呆然とする顔を残して。

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