第15話 小さな墓地
闇が薄まった早朝。
とっさに時計を確認すると、午前六時を指していた。最近は夜が明けるのが早くなってきてはいるのだが、それでも昨日から続く雨のお陰で、外には夜が残っている。
少女の首なし遺体が発見された。その一報はまるで、つい先日に眞仁の友人たちから寄せられたものとそっくりで。
寝ぼけた脳味噌だけが、まだ夢の中に残っているのではないか。そんな印象を浩一に与えた。
むしろ夢であって欲しい。もし夢でないならば、それはとてつもなく悪い報せだ。
◇◆◇◇
現場は警察署からもそう遠くはない。まだ空いている幹線道路を北に向かい十五分。住宅街を抜けた先、丘上の団地へと続く狭い生活道路だった。
初老の
普段は車両の通行が禁止されているらしい道の左右は、森というほど濃くはないが、立ち並んだ杉や竹が視界を遮っていた。
一つ目のカーブを過ぎると、すぐに警ら車に阻まれる。初動の警官が立ち働いているのが見えた。
しっかりとサイドブレーキをかけて車を降りると、現場はすぐに見当がついた。ここから続くカーブの先、雨に濡れた舗装路から外れた脇だ。
「お疲れさん。状況は?」
「遺体発見現場はこの先です。第一発見者は上の団地に住む老人。まだ車内に留まってもらっています。散歩の途中で発見したそうで。それと昨夜、少女の捜索願が一件。団地に住む
十一歳。事前にわかってはいたものの、子供の犠牲ほど痛ましいものはない。改めて聞く年齢にやるせない思いが湧き上がった。発見された状況よりも、指令に聞いた遺体の状況が気になる。
雨の中でビニルカバーを靴に付け、カッパを羽織って赴いた現場は墓地だった。
この辺りの古い墓地は、霊園のような広さのある場所は少なく、山間や平地に小規模の墓石が点在する形式を持つ。ここもそうした小規模のもので、五基ばかりの墓石が竹藪に挟まれて、僅かに開けた木々の隙間から見晴しのいい眼下を眺めていた。
狭い墓前のスペースに、鑑識課員がかしずくように這っていた。
雨に濡れる枯れ草に、新芽の緑も映える中、再奥の墓石の辺りだけが、どす黒く染まっている。
その黒く変色した地面の上。墓石の間に挟まれて眠るように、小さな足が仰向けに横たわっていた。
二人に気づいた鑑識課の係長が手招きをする。
横たわる少女に近づくと、墓石の陰から全身が現われた。その姿はいかにも不自然で… 本来あるべき場所に頭がないことに、わかっていながらも混乱を覚えた。
輝きをなくした赤いランドセルが、雨に打たれて転がっている。何とも場違いでおぞましい光景。
「首を切った現場はここだよ。半日くらいだろうと思うぜ。昨日の夕方から夜にかけてって所だ。周辺の草の踏まれ具合からだが、争った形跡はない。気を失うか殺された後か、意識のない状態でここに連れてこられたんじゃねえかとは思うが、確実なことはこれからだ。何で子供にこんな非道いことが出来るんだ、ちくしょうめ」
係長は怒りを顕わにしていた。確か彼にも子供がいるはずだ。普段から悲惨な遺体を見慣れている彼らにとっても、小さな遺体には特別な感情を禁じ得ないのだろう。
「廃屋のと同じヤツだと思うかい」
眼光を鋭く尖らせた米島は、努めて冷静な声で問うが、それでも滲む怒りまでは隠せていなかった。
「断定はしねえが、見た感じ同じ凶器だと思うぜ。目の違うノコギリと包丁だ。ただし随分と手際がよくなっている。忌々しいことにこの雨だ、他に何か出てくりゃいいが…」
雨に濡れるのもお構いなしに地面に顔を寄せ、あるいは写真を撮っている鑑識課員に目を移した後、あれ、もう触って良いぜとランドセルを指さした。
ランドセルに近づいた浩一は、手袋をした手で慎重に中身を覗く。ランドセルなんて、決して墓場にあっていいもんじゃない。そのことを思うと、怒りよりもムカムカとした嫌悪感が浩一を襲った。
中身も雨に浸食されてビショビショだ。中にあるのは教科書と、ノートに筆箱。濡れたノートの表紙には、拙い文字で《高島愛結》と書かれていた。
◇◆◇◇
「ええ、毎朝この坂道を往復するんです。だから今朝も。いえ大雨じゃあ歩きませんよ、でもこのくらいの雨じゃあね。普段は墓には立ち入りません。もう少しでワシも墓には入るが、ここじゃあないからね」
遺体発見者の老人は、協力的でよく喋る男だったが、有力な証言は持っていなかった。
彼女は学校帰りに襲われたと推察されることから、不審な人物も目撃していないだろう。事実、今朝は誰の姿も見ていないという。
この道は車道としては使われず、普段から坂の上下に車両進入禁止のサインが置かれているということだった。通学路であるための措置だろうが、ならば犯人は土地勘を持つ人間だろう。
遺体の損壊現場は墓地で間違いないと思う。確実な時間はわからないが、墓地の周辺で少女は襲われ、時を置かずに首を切られたのだ。しかし。
墓場の様子を伺うためには、通りから踏み込まなければならない。それでもここは通学路のすぐ脇なのだ。雨が降っていたとはいえ、人通りがすぐそこにある。その場で解体作業をするなんて、正気ではない。
「いかれていますね」
浩一は帰りの車内で、米島に愚痴った。車内は冷えているだけでなく、充満する湿気で不快だ。握るハンドルもネットリとしている。
米島はタオルで顔を入念に拭いながら、浩一に頷いた。
「解剖待ちだが、同じヤツだろうなあ。こんな田舎でいかれた犯人が、そうそう何人もいてたまるかい」
「犯人には隠す気がないんでしょうか。いつ首が落とされたかはわかりませんが、こう、音はするでしょう。覗かれたら終わりだ」
「ありゃあ通学路だろ、覗くにしても子供だなあ。あるいは被害者が増えていたかもしれねえよ」
「…そうですね。被害者の持ち物はそのまま。首を持ち去ったのも、身元隠しってわけじゃあなかった。何か意味があるんですかね」
「わざわざ切って持ち去っているんだから意味はあるんだろうが、とっ捕まえて聞くしかあるまいよ。最近はどうも乱暴な事件が増えてる気がしていけねえな」
米島はため息と共に吐き出した。それは浩一も感じていることだった。
悲惨な事件を見ることが仕事のようなものだが、前に比べて件数が多くなったか、と問われれば確かにそれもある。件数自体が十分に多いのだが、動機が希薄だったり、手口が杜撰だったり。いたずらに乱暴な事件が、ここ数年で増えている気がするのだ。
「俺たちが言っていても仕方がねえが、何かこう、社会のシステムみたいなものが崩れているのかもしれねえなあ」
長年現場で刑事をやっている人間までもが危惧している。浩一は娘のことを思う。環奈の生きる未来はどうなってしまうのだろうか。それ以前にこんな事件が続くとすれば、無事に成長してくれるかどうかも怪しくて。
そのために自分ができることは、あまりに小さく限られている。今回の犯人確保が先決だが、無事解決できたところで次から次へと凶悪犯罪が起きれば気が休まる暇がない。
「環奈ちゃんとは上手くいっているのかい」
米島は人の心を読むことに長けている。本当に浩一の考えを読んだわけではないだろうが、米島の目が覗き込むのがわかった。
「大丈夫… だとは思います。姉に預けっぱなしで父親らしいことはできていませんがね。この間も、帰ったら臭いと言われちゃって」
「何日も同じスーツじゃ匂うわな。雨に濡れればなお匂う。もう少し帰ってやらないと、俺のように嫌われるぞ。独身連中に少し頑張ってもらって、俺たちはなるべくちゃんと帰ることにしようや」
米島はぼやくだけぼやいて、再び刑事の目に戻った。
「今回は犯行時間が大分絞られるはずだ。目撃者が居りゃ話は早いが、先ずは地取りだ。環奈ちゃんのためにも、一刻も早く捕まえねえとな」
犯人の目的がわからなければ、いつ犯行が止むかもわからない。しかし新たな犠牲者を生み出すわけにいかないのだ。
米島の発破に浩一は頷き、ハンドルを握る手に力を込めた。
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