第12話 コックリさん

 終業を前に、生徒の心はすでに春休みだ。授業こそストップはしていないが、身が入らないことは先生もわかっている。

 適当に流す午後の授業はあっという間に去り、すぐに放課後がやってきた。


 昼間と違って、生徒会室も人が来るということで、人払いがしやすい久咲の部室、写真部の部室に集まることとなっていた。


 今にも降り出しそうな空の下、久咲は眞仁と智蔵太を従えて部室棟へと渡り、二階の隅にある写真部の扉を開けた。


 すると部屋にはメガネをかけた小柄な女生徒がいて、久咲の顔を見るなり勢い良く頭を下げる。


「初めまして先輩方。藤井佐久良ふじいさくらと申します。本日はご指名いただきありがとうございます!」


「ご指名?」 

 いぶかしげな智蔵太だが、なぜか久咲は満足そうに頷いている。


「来てもらったのは他でもないわ。今こそあなたの力が必要なの。こちらは佐久良ちゃん。我が部が誇るオカルトマニアよ」

「なんで写真部がそんなもの誇っているんだよ」

「ウチの学校、オカルト研究会とかないじゃない。彼女も行くところがなくて困っていたから拾ったの。可愛いでしょう」

「意味がわからねえ。久咲、お前何やってるの?」


 智蔵太の言い分はもっともだと眞仁は思う。そんな二人に慌てて入ったのは佐久良だった。


「いえいえ、私も助かっています。久咲先輩はお美しいばかりか優しくて、そんなに好きなら心霊写真の一枚くらい、モノにしてみろと発破をかけてくださいました。更に私の話をいつも楽しそうに聞いてくれます。こんな先輩他にはいないです」


 ふふん、とドヤ顔をする久咲。あれほど心霊写真を恐れていたのに、他人には撮れと命令までしているとは。

 一方、メガネの奥から信頼を込めた目でドヤ顔を見つめる佐久良。この後輩は、人一倍怖がりな久咲の本性を知っているのだろうか。


 久咲は智蔵太を紹介する。次いで眞仁が紹介されると、メガネの奥がキラリと光った。


「ほほう、眞仁先輩は幽霊が視えると。そのような奇特な方とお近づきになれる時がくるとは、流石は久咲先輩です」


 何が流石なのかはさっぱりだが、奇特呼ばわりされた眞仁はショックが大きい。


「えっと、藤井さんも幽霊が視えるとか」

「いいえ、さっぱりです。でもそういう能力を持つ方がいることは存じていますので、羨ましい限りです」


 羨ましがられるとは思ってもいなかった眞仁は驚いてしまう。眞仁としては忌むばかりだった能力なのだが、特別だと羨む人間もいるのか。

 小柄で臆病そうな外見とは違い、初対面でも物怖じをしない様子の佐久良は、少し変わり者なのかもしれない。


「佐久良ちゃん、だったか。君も噂の廃屋に行ったことはあるのかな」

「はい。心霊写真が撮れるかと思い行ってみましたが、写真に写ったのはオーブだけでした。残念ながら、あれでは久咲先輩に満足してもらえません」


 オーブとは写真に映り込む未確認の光の玉を指す。一般的には心霊写真の範疇に入るのだろうが、久咲にはフラッシュの乱反射だと即時に切り捨てられたのだという。

 こうした物理的理由付けのできない現象が撮れてこそ、心霊写真と認められるのだと語る久咲。おそらく久咲は怖いから適当な話をしているだけなのだが、純粋な後輩にはそんな久咲が頼もしく感じるらしい。


「ところで、先ほども言ったとおりにあなたの力が必要なの。コックリさんよ」


 一通りの挨拶が終わると、さっさとパイプ椅子に座った久咲が本題に入る。頷く佐久良は目がキラキラしていた。智蔵太が眞仁を押し出して、補足説明を始める。


「実は、この眞仁には幽霊が憑いている。佐久良ちゃんもよく知るあの廃屋からやってきた幽霊だ。そいつと話ができるだろうか」

「コックリさんは昔試したことがありますが、その時は満足に動きませんでした。ですのでちゃんとお話ができるかはわかりませんが」


 佐久良は事前に用意したという紙をテーブルに広げた。A3ほどの大きさの紙には五十音のひらがなが羅列され、続いて一から十までの数字が記載されていた。上部に(はい)(いいえ)と囲い書きがあり、中央には眞仁にも馴染みが深い鳥居のイラストが配置されている。やはり神道だったのかと眞仁は感心する。


「幽霊が視えるという先輩なら成功するかもしれません。こうして実際に憑いているという人を迎え、コックリさんを試せる日が来るとは感激です」


 何やら妙に感動している。すると突然部室が開かれ、遅れていた久志が入ってきた。


「悪い。居残り命じられて… って佐久良、やっぱりお前かよ!」

 久志は佐久良を目にするなり嫌な顔をする。二人はすでに知り合っているらしい。


「久志先輩、なんですかその顔は。確かにこないだのゾンビはB級でしたが、すごいの見つけましたから楽しみにしていてください」


 眞仁にも大方の事情を察することができた。

 あれだ。この後輩がいろいろな話を久咲に吹き込み、ホラー映画まで見せた挙げ句に、夜中に久志が迷惑を被っているのだ。きっとそういうことに違いない。


 気を取り直した佐久良の指示で全員が座り、狭いテーブルを取り囲んだ。


 写真部の部室は広くない。窓を背にした佐久良を中心に、右手に智蔵太、左手に久咲、正面に眞仁。テーブルから外れた位置には久志が座ると、手狭な部室にはあまり余裕がなくなった。


 佐久良はテーブルの中央に鳥居の書かれた紙を置き、十円玉をその上に置いた。蝋燭を取り出して灯すと、自身の左手に設置する。


 薄暗かった部室は蝋燭の明かりに照らされた。

 しかし蝋燭一本では暗さを取り去ることが叶わず、むしろ照らされる場所と届かない場所、その明暗をはっきりと区別する。

 智蔵太がゴクリと唾を飲み込むと、すでに部室は怪しい雰囲気に支配される未知の空間へと変わった。


「人数が多いので、申し訳ありませんが久志先輩は見ていてください。良いですか、他の皆さんは人差し指をコインに置いてください。そうです。全員です」


 互いの指が重ならないように手を伸ばし、十円玉に触れる。四人分の指は十分に乗り切らす、僅かにコインに触れる程度。


 眞仁が触れた久咲の指先からは、彼女の緊張が伝わってきた。蝋燭で影が作られた横顔は唇を噛み、緊迫した表情を湛えている。


「コインを押さえつけないように、指先を乗せるだけで結構です。優しくコインに触れていてください。そのまま、そのまま。なるべく頭を空っぽに、余計な事は考えないようにしてください。成功したら十円玉が動き出します。驚かずに落ち着いて、何があっても手を離さないように。大きな声を出すのも禁止です。いいですね」


 狭い空間に、皆の神経が研ぎ澄まされていくのがわかる。

 十円玉に意識が集中する。揺らぐ炎の小さな明かりが、明暗を繰り返す。ともすれば馬鹿らしいこの行為に、誰かが笑い出してもおかしくない雰囲気に、しかし誰もが飲まれてしまったかのように声を出さない。


 室内から音が去ると、外の音が微かに聞こえる。陸上部がグラウンドを走る足音。野球部員の掛け合う気合い。しばらくしてそうした雑音も気にならなくなった頃。佐久良の静かな声が始まった。


「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいますか。もしいらっしゃったら(はい)の位置にお進みください」


 静かな声が空間に飲み込まれても、何も変化が見られない。


 …やはり動かないか。眞仁がそう諦めかけた時、不意に指先が引かれる感覚があった。皆が息を飲むが、言い付け通りに誰一人として声を出さない。

 ゆっくりと紙の上を滑り始めた十円玉は、やがて(はい)と書かれた囲みに入って静止した。


「ホントに… 動いたの?」

「久咲先輩、お静かに。来てくださったようです。どなたかご質問をどうぞ」


 佐久良は落ち着き払った声で言う。それに乗ったのは智蔵太だった。


「あんたはあの幽霊なのか?」


 十円玉は動かない。真偽の判断は後にするとして、もう少し質問を変える必要があるだろう。次は眞仁が質問をした。


「君の名前を教えてほしい」


 時を挟んで、再び指先が滑り出す。ノートの下方、五十音のひらがなが羅列された位置へと移動すると、その中の一カ所で静止した。


 (み)


 コインは更に、ノートの上を走り出す。


 (や)


 次いで指した言葉を最後に、十円玉の滑りは止まった。


 (こ)


 みやこ。幽霊の名前はミヤコということなのだろう。その名前を心の中で反芻しながら、眞仁は小さくない感動を覚えた。霊とのコミュニケーション。本当に出来るかどうか不安だったそれが、今正に成功したのだ。


「ミヤコさんと言うんだな。じゃあ、あんたは山崎二亜… あの殺された子じゃあない?」


 智蔵太の質問に十円玉が滑り出し、(はい)の位置で静止する。


「何故、僕についてきたの?」


 眞仁の質問にはしばらく動かなかった十円玉だが、ようやく文字を繋ぎ始める。


 (た)(す)(け)(て)


 コインが指し示した四文字に、全員が息を飲んだ。幽霊が助けを求めている。予想していたことだが、この世のものではない死者が、生者に助けを乞うという異常事態を目の当たりにして目を疑う。


「何を… 何をすればいい」

 震える智蔵太の声を受けて、十円玉が再び動く。


 (く)(ひ) 


 そこで十円玉の動きは止まった。くひ?


「くひって何だ、わからねえ。句碑? 何か書かれた碑のことか」

「杭じゃね? ドラキュラに刺すやつ」

 久志も覗き込むが、意味が汲み取れないことに迷っていると、久咲が囁いた。


「もしかして、首って言いたいのかしら」


 するとコインが動き出す。(はい)へと移動した後、ようやく次の言葉を紡ぎ出した。


 (ひ)(つ)(よ)(う)


「助けて、首、必要。首ってなんだ。あんたの願いは成仏じゃないのか?」


 (いいえ)

 (あ)(の)(こ)(を)(た)(す)(け)(て)


「あの子って、殺された子のこと?」

 (はい)


 久咲の質問に答えた途端、窓の外では耐えきれなくなった雨が落ちだした。屋根を打つ音が大きくなり、室内が陰る。彼女が言わんとしていることがようやくわかった。あの子の首を探して欲しい。そう幽霊は訴えているが――何故だ。


「助けが必要なのは殺された子なんだね。でもなぜ… なぜ首が必要なの」


 眞仁は聞く。しかしこの質問に彼女が答えることはなかった。それどころか、その後の質問にも十円玉は動く気配を見せない。


 ふと、眞仁は違和感を覚える。今までのやり取りを覗き込んでいた久志の背後。その背後に誰かが立っていた。

 眞仁。智蔵太。久咲。久志。佐久良。五人の他に誰がいるというのか。


 …あの少女だった。黒い服を着た少女。白い襟の少女が、久志の影からじっと眞仁を覗いていた。眞仁は今日初めて、知ったばかりの彼女の名前を心の中に唱える。


 ――ミヤコ…。僕は力になりたい。僕はどうすればいい?


 少女から放たれる視線が一瞬、柔らんだ気がした。隣では、智蔵太もこの世のものではない存在に気づいたのか、息を飲む気配がする。彼にも幽霊が見えているのだろうか。


 するとミヤコの肩が震えた。少女の目の中に射し込んだ柔らかな光。その光を遮るかのように、黒髪が目元を隠し。慣性にふわりと髪をなびかせて——。


 彼女の頭が、床に転がった。


 ひくっと智蔵太の悲鳴が上がる。智蔵太が何に驚いたか、それを知る眞仁以外の皆はその声に驚いた。しかし指は十円玉から離さないでいることに、眞仁は場違いにも感心する。


「コックリさん、コックリさん、ありがとうございました。どうぞお戻りください…」


 佐久良が場を収めようと務めている。もう十円玉は動かないだろうという眞仁の予想に反して、思い出したように十円玉が滑り始めた。

 鳥居のマークで静止すると、佐久良が大きくため息をついた。


「何ですか先輩、急に変な声ださないでくださいよ。途中で失敗したら大事になるところですよ。ビックリさせんなですよ!」


「いや悪い、今久志の後ろに…」

「うわ、何かいるのか!?」


 まるでゴキブリが出たような反応を見せる久志。


「いや、もういない。驚かせて悪いな。気のせい… か?」


 智蔵太の目が、恐る恐る眞仁を探る。事情がわかる眞仁だけは智蔵太に頷いた。やはり彼にもミヤコの姿が見えていたのだった。

 固まっている久咲とは対照的に、元気な後輩は嬉しそうにガッツボーズを作っていた。


「うおおおお、いよっしゃあ、ですよ。成功しちゃいましたよ。幽霊と会話できちゃいましたよ。しかもそこに居たんですね。今まさに、久志先輩の背後に!」


 久志の顔を、ワナワナと指さしている。

 テンションが振り切った様子の佐久良に嫌な顔をする久志は、やはり何度も背後を振り向きながら。


「よしよし。今夜もオシッコ付き合ってやるからな、サキ」


 未だ動きを停止したまま涙目になっている、久咲の頭をくしゃくしゃに撫でた。

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