第59話 流転


「終わったわね」

「うん、終わったと思う」


 眞仁は真っ白い空間にいた。右も左も、天も地も。全てが白い空間に再び。

 今回は一人ではなかった。美しい少女が目の前に立っていたから。


「これで良かったのかな」

「ええ、鬼の気配は消えた。子供たちは解放されたわ」


 年若い少女らしく上気した頬は、どう見ても幽霊には思えない。それはきっと眞仁も幽霊だからだろう。姿は年下なのに紡ぐ言葉は大人っぽくて、逆に自分がとても幼く感じてしまう。


 あの炎の中で見た、美耶子の最後は何だったのだろうかと、改めて疑問に思う。時を遡ったとも思えないのだが、確かに彼女も見ていたのだろう。鬼を退けた眞仁の姿を。

 だから助けを求めたはずなのだ。ならば眞仁の生まれる前、過去に体験したことかもしれない。聞いたところできっと、美耶子にもわからないのだろうが。


 そもそもどうして自分が悪鬼を倒せたのか、それがわからない。奇妙な森の中では何かが心にカッチリと嵌って、正解を与えてくれた気分がしていた。夢の中で真理に辿り着いた時の感覚に似ている。覚めれば筋道めいたものはどこにもなく、手掛かりは霧散してしまう。


「あなたもありがとう。危険な目に遭わせてしまったけれど、お陰で助かったわ」


 眞仁の疑問が形になる前に、美耶子は猫を抱き上げた。考えている間にクルミがすり寄って来ていたようだ。


「美耶子さんは、クルミのことを…」


 知っているのだろうか。クルミが何かしたのだろうかと、眞仁は首を傾げた。しかしこの疑問も他の声に遮られてしまう。


「あ、猫ちゃん!」


 忽然と現われた子供は山崎二亜だった。悪鬼と殺人鬼によって理不尽に殺された少女。二亜は美耶子からクルミを受け取り、白い毛並みに頬ずりした。クルミキックを心配する眞仁をよそに、子猫は嬉しそうにゴロゴロと咽を鳴らす。


「あなたクルミって名前なのね。かわいい!」


 ひとしきり毛並みを堪能すると、二亜はクルミを腕に収めて美耶子を見上げた。


「ねえお姉ちゃん。私って死んじゃったんだよね。これからどうなるの?」

「あなたはこれから転生するの。嫌なら幽霊になってもいいけど、退屈よ?」


「てんせいって、生まれ変わるって事だよね。赤ちゃんになって新しいお家に行くって事だよね」

「そうね。転生すると全部忘れちゃうけど、両親はきっと別。お別れは寂しいかしら」


「…ううん、平気」


 眞仁はその答えに驚いた。親と突然別れたはずなのに会わなくてもいいなんて、あまりに悲しくないだろうか。しかし考えてみれば彼女のことを何も知らない。両親の人柄だって当然知らない。ニュースで報道されただけの、歪んだ姿しか知らないのだ。もしかすると彼女にとって現世とは、生き辛いものだったのかもしれなくて。


 人生は確かに一つだが、生き方を選べない人生だってある。その中で翻弄されて選択を迫られた彼女に、結局眞仁は掛ける言葉を持てないのだ。

 …だとしても死ぬ方が良いとは思わないし、次が幸せになれるとは限らない。それでも時が戻らないのなら。ただ彼女の来世がもっとずっと、幸せになるように。そう願わずにはいられない。


「…少しだけ思い出したの。前にも私、生まれ変わったのかなって」

「ええ、魂は流転するの。何度も繰り返して努力して、強く幸せになるの。転生を止めちゃった魂もあるけれど、あなたなら次はきっと幸せだから」


 美耶子の言葉を信じるならば、仏教で言うように魂は輪廻するのだろう。その行き着くところの先を思うと、眞仁は少し不安になる。

 悪鬼の言葉を全て信用することなどできないが。いずれ魂は鬼と化し、神へと向かう。どこまで行っても弱い存在が虐げられる世界だ。でも。


「美耶子さんがそう言うのなら、きっと幸せになるよ。僕もそう願う」


「うん、あいつはお兄ちゃんがやっつけてくれたもんね。次は私も、あんなのに負けないように、誰にも負けないように頑張る。絶対幸せになるんだから」


「…あなたを信じて正解だった。助けてくれてありがとう。私はこの子たちを連れていくわ」


 美耶子の言葉に気がつけば、いつの間にか子供が二人増えていた。魂を解放され、悲惨な死のループから抜け出した少女たち。彼女たちもまた幽霊とはとても思えない、今は穏やかな表情で。


「嬉しかったんだ。ずーっと一人だったけれど、最後は助けに来てくれたから。勇者みたいだったよ」


「えと、あ、ありがと。お、おにいちゃん」

「クルミちゃんもね。バイバイ!」


 死んでも抗った魂たちは、互いに手を取り合って。光となって消えていった。


 


 ◇◆◇◇◇



「お兄ちゃん! もう、ちゃんと寝てなきゃダメでしょ」


 怒られた。目の前には環奈の顔が。というか、簡素な部屋に見知らぬベッド。眞仁は目をしばたいた。ここは… 一体どこ?


「もしかして、病院?」


「おいおい寝ぼけてるのか。随分ぼーっとしているから心配したが、今ようやく意識が戻ったと、まさかそういうことか?」


「意識…」


「気を失ったまま返事してたのかよ。それスゲー能力だぜ。授業で使うからコツ教えてくれね?」


 呆れた声に目を向けると、無精ヒゲと綺麗な顔が並んでいる。智蔵太と久志だ。ひょいと眞仁の上から環奈を掴み上げた女性は、久咲だった。


「んにゃ?」


「環奈ちゃんも飛び乗ったりしたらダメでしょ。眞仁くんだってケガ人なんだから。それにしても頭は大丈夫かしら?」


 何やらひどい言われようだ。病院という推測は当たっていた様子だけれど。


「先ほどまで割と普通に挨拶してたんですが。本当に無意識だったんですか?」


 首を傾げるのは佐久良である。聞けば眞仁は丸一日、意識が戻らなかったそうだ。今日になってようやく目が醒めたからと面会を許されたらしい。直前まで看護師もいて、軽く会話もしていたという。ところが看護師が退室すると、途端に身を起したそうだ。


「ひょっとして僕、まだ生きてる?」

「…もう一度検査してもらった方が良いかもしれません」


「いや大丈夫だから。いてて」


 真剣な目をする佐久良に笑って誤魔化すと、全身の筋肉が悲鳴を上げた。体が錆びたブリキのようだ。今まで経験したこともない全身の痛みに、ようやく生きている実感を得る。


「お兄ちゃん痛いの?」

「たぶんこれ、筋肉痛だから」


 あれはやはり幽体離脱みたいなもので、抜け出た霊体が体に戻れたと、そんなところだろう。今まで勝手に体が動いていたというのは解せないが。


 眞仁は直前の記憶、白い空間での出来事に思いを馳せる。思い起こせば少女が急に現われたり、いつの間にかクルミがいたり。どうも意識が細切れだった気がする。そこで丸一日を過ごしたとも思えないが、そもそも時間の経つ感覚すら生身と違うかもしれないのだ。

 例えあの空間が夢だとしても、判別する術はないだろう。来世へと旅立った少女たちのために、現実だったことだけを祈りたい。


「あれだけ戦えば体が痛いのは当然よ。それにしても驚いちゃった。眞仁くんが格闘技をやっていたなんて知らなかったけど、強かったもんね。あの化け物相手に、えいって」


「眞仁が格闘技って、そうだっけ?」

「いや、あれは僕じゃあなくて。…いてててて」


 目を輝かせる久咲に、はてなマークの智蔵太。大いに誤解されているようで眞仁はとても恥ずかしい。それよりも。


「みんなが無事で良かったよ。アンナちゃんも無事… だよね?」


「頭は打ったけど全然平気、異常なし。私たちはかすり傷よ。大勢亡くなっちゃったけどね」


 久咲の笑顔が、少し曇った。


 

 ◇◇◇◆◇



 柔らかな風が頬を撫でる。日差しが芯に染み渡り、季節は一気に春へと傾いたようだった。陽光は心の中まで明るくする。体の痛みを押して屋上まで来て良かったと、眞仁は心から思った。


 守調文はその場で死亡していたという。死因は外傷ではなかったために調査中らしいのだが、真実はどうあれ、格闘の末に死亡した事となる。これから警察による取り調べもあるだろうし、いろいろと大変だと思うと憂鬱だったのだが。


 薄着でも心地良い空気に、暗い気分は一気に晴れてしまった。申し訳ないけれど、調書は浩一兄に頑張ってもらいたい。いろいろと協力してもらった古賀さんのインタビューだって受けなきゃいけないし。


「じゃあお前、今まで殺された子たちと会ってたってことか?」


「夢かもしれないから、本当のところはわからないけれど。子供たちは解放されたって美耶子さんが」


「しかし転生、ねえ。本当かよ」


 病室でワイワイ騒いでいるのも何だからと、屋上に出た一行が気にしていたのは、もちろん事の顛末だった。美耶子はどうしたのか、悪鬼は本当に滅んだのか。

 夢かもしれない事柄を語るのは気が引けたのだが、支えてくれた皆に対して、眞仁は伝える義務がある。


「きっと夢じゃないです。魂は転生するんだって、私も美耶子さんから聞いていますから」


 訝しがる智蔵太の反面、佐久良は現実のことだと考えたようだ。


「ねえ、少しだけ気になっていたんだけど、佐久良ちゃんて随分と詳しいわよね。そんな事まで幽霊と話していたっけ?」


 首を傾げる久咲。そう言えば、実際に幽霊を見ている眞仁よりも詳しいと思われる節がある。怪しいオカルト知識もあるし、頭も良いのだと言ってしまえばそれまでなのだが、ふと気になって眞仁はスマホを確認した。

 メールの送信履歴を見ると、そこには覚えのない大量のメールがごっそり。


 佐久良に目を向ければ、さっと視線を逸らされた。


「…実は美耶子さんとメル友になっちゃって」


 確かに、佐久良にはメールアドレスを聞かれていた。今どきメルアドもどうかと思ったのだが、そういうことだったのか。それで佐久良は美耶子から様々な情報を仕入れていたということだろう、勝手に眞仁のスマホを使って。

 道理で美耶子がスムーズに文字を打っていた訳である。何せ眞仁よりも、随分扱い馴れていたのだから。


「だからって子供が亡くなったのは事実です。とても喜べるものじゃないですが、私は本当にあるんだと思いますよ、転生」


「じゃあさ、幽霊ちゃんも、もういないんだ」


 納得する眞仁を他所に、話を戻したのは久志だった。フェンスに身を預けて遠くを眺める横顔が、不思議と透明に見えた。



「あら随分と残念そうじゃない」

 祈るように目を閉じた久志を訝しむのは久咲だ。


「だって俺、結局何も見てないもん。一目会いたかったじゃん美少女」

「ユウデレやめろ。…でも向こうに行ったって事は、彼女だってきっと次は幸せになる。なあ眞仁、そういうことだろ?」


「そうだね。うん、そうだよ」


 うららかな春の日差しに幽霊は似合わない。いつかどこかで、陽光の下で。彼女には笑顔を咲かせて貰いたいと、眞仁は思った。


「ねえ眞仁くん。退院したら遊びに行こっか」


 久咲が耳元で囁いた。思わせぶりな発言に少しだけ、寂しく感じた気持ちは吹き飛ばされる。そんな二人の間に身を乗り出したのは環奈だった。


「環奈は?」

「もちろん環奈ちゃんもよ。どこいきたい?」


「えっとね、環奈はね…」


 嬉しそうに行き先を考える環奈。そんな幼女に忖度することもなく、手を挙げたのは久志だった。


「俺、いい心霊スポット知ってるぜ」

「そういうのはもういいわよ。そもそも、本当に幽霊なんて居るの」


「お前、今更それ言うか?」

「それはそれ。美耶子さんにしたって、私見ていないもの」


 口を曲げた久咲の言葉に眞仁は違和感を覚えた。

 いや違う。きっと言葉にではない。心の奥に爪を立てたような、この騒めきは。


 抗議する皆を他所に、しれっとした態度の久咲。その久咲の目の前に違和感の正体があった。微かな違和感は次第に濃く、一つに凝って人影を作っていく。






 長い黒髪にワンピース。襟元だけが浮いているように白い。

 朧な姿であっても、羽ばたく蝶が一匹。日差しの下に輝いている。

 肌は白く透明で。柔らかい素足はしかし、コンクリートに傷付くことはない。


 黒と白とで構成された、生気のない儚い姿。

 爽やかな春の陽光の中に幽霊が。

 少女が一人、立っていた。


 …ふと、少女の細い肩が震えた。


 するとお辞儀をするように、少女の頭が下がって。

 深く深く。下がって、下がって。肩から外れて、転がった。






「…あれだけの思いをしといて、どの口が言うんだ?」


 智蔵太の呆れ声に眞仁の意識は戻された。今見たはずの美耶子は、もういない。


「やっぱり心霊写真、頑張って撮らないとですね。ねえ先輩、心霊スポットってどこですか」


「おいおい、二人とも勘弁しろよ…」


 そういえば、何故美耶子は首を落とすのだろう。ひょっとして幽霊渾身の冗談のつもりだったのだろうか。地縛霊ならぬ、自爆芸?


「…あら、どうかしたの? 眞仁くん」

「いや、何でもないよ」


 ふと綻んだ口元に、久咲が訝しんだ。

 フェンスの向こうに目を移すと、緑の中にふっくらとした淡い蕾が色付いている。


「環奈ね、みんなで公園に行きたい。アンナちゃんも、エルちゃんも一緒に!」


 目を輝かせる環奈に頷いた。眞仁的には、このメンバーならどこだっていいのだ。どこに遊びに出かけても、きっと楽しいだろうと思う。


「そうね。お弁当持ってお花見もいいわね」


 公園は近く満開になるだろう。

 そうだ、助けてくれた幽霊たちにもお礼をしに行かないと。


 一難去って終わっても、まだまだ随分と忙しい。

 桜の季節はすぐそこだった。





(一部完)

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さにわの杜に破邪の霊 冬野いろは @tonoiroha

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