第17話 スマホと幽霊

 狭いテーブルを囲み、十円玉に指を置く。昨日は雨のお陰であれだけ暗かった部室も、今は明るい日光が反射して、午後の長閑な明るさがあった。


 場違いに揺らめく蝋燭の光だけが、チラチラと顔を照らす程度だ。ハッキリ言って雰囲気不足である。本当に大丈夫だろうか。


「心穏やかに、コインを注視してください。昨日も言った通り、大声を慌てるのは厳禁です。何があっても最後まで、決してコインから手を離さないでください」


 穏やかな声が去ると、室内から音が消える。


 途端に窓の外から運動部の大声が響いてきた。遠くに聞こえるホーンは吹奏楽部のものだ。部室棟を上り下りする足音。遠く響く笑い声。ざわめく校内の、実に多くの音が入ってくる。

 風に揺れる梢。自動車のクラクション。響く重低音は飛行機か。


 そしてふと、眞仁は違和感を覚えた。自身の左手、佐久良の対面。今誰もいないはずの左側に、誰かが座っている。そう知覚して顔を向けると… そこには幽霊がいた。


 大きな襟だけが白く浮いた黒い姿。今にも羽ばたきそうな蝶の刺繍。腰は黒いリボンで絞られ、形良く伸びた足は素足だった。小さい体でパイプ椅子に姿勢良く座り、手を膝の上に揃えている。


 内心の動揺を隠しながら、眞仁は横目で観察する。肩を割って流れる黒髪。整った白い横顔。確かに存在しているのに、気を抜くと見失いそうなほど希薄な姿。その目だけが、存在を主張するかのような異様な光を湛えている。


 ミヤコはじっとコックリさんを見つめていた。その姿はまるで…



 ——職員室に呼ばれた小学生のようじゃないか。



 場違いな感想を胸にすると、キッと睨まれたような気がして眞仁は慌てて目を反らす。そうとも知らず、佐久良の穏やかな呼びかけが始まった。


「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいますか。もしいらっしゃったら(はい)の位置にお進みください」


 眞仁の隣で、コインを見つめるコックリさん。手は伸ばす様子はない。答える気がないのだろうかと訝しがると、(はい)の位置へ向かってゆっくりとコインが動き出した。


 幽霊の手が伸びることを予想していた眞仁は、逆に驚いてしまう。幽霊は、ミヤコは手を触れずにコインを動かしているのだった。眞仁の反応を敏感に察知して訝しげな佐久良だが、流石の進行役を務める。


「コックリさんがいらっしゃったようです。ご質問をどうぞ」


 昨日もこの不思議な体験している久咲は、しかし息を飲んで顔を強ばらせていた。そして眞仁は困っている。

 この場合、いらっしゃったコックリさんの顔を見て質問をした方がいいのだろうか。それとも知らない振りをするべきだろうか?


「…ミヤコさんは昨日、首が必要だと言いました。どういう意味ですか」


 とりあえず無視をすることに決めた眞仁は、紙を見ながら質問を開始した。ミヤコが見つめる前でコインが動き出す。


(く)(ひ)(な)(い)(と)(さ)(む)(い)


「首がないと寒いとは、可哀想ってこと?」

(お)(そ)(ろ)(し)(い)(せ)(か)(い)(に)(い)(る)


 眞仁はゾッとした。それは殺されてなお、恐ろしい世界に捕らわれているということだろうか。


(と)(り)(か)(え)(す)(の)(た)(す)(け)(て)


「僕もできることなら協力したい。でもこれは警察の仕事だよ」

(あ)(な)(た)(ひ)(つ)(よ)(う)


「あなたって、眞仁くんのことね」

(はい)


「僕は何をしたらいい?」

(わ)(か)(ら)(な)(い)


 ちょっとまて。眞仁にできることがあると幽霊は言いながら、何が出来るかわからないと、そう言うのか。それではあまりに無責任すぎないだろうか。見かねた佐久良も質問をする。


「眞仁先輩があなたに必要なのですね?」

(はい)


「幽霊が見えることが重要なのですか?」

(いいえ)


「あなたにはできないことが眞仁先輩にできる?」

(はい)


「何ができるんですか?」

(た)(す)(け)(る)


「どうやって助けるんです」


 コインの動きが止まる。幽霊はまだそこに座ったままだ。ミヤコは困っているいるのだろうと、眞仁には感じられた。おそらくは彼女にも説明し難い事柄なのだ。


「あなた、ミヤコさんでしたね。犯人の顔は見たの?」

 久咲が方向性を変えた。これはいい質問かもしれない。


(はい)


「名前はわかる?」

(いいえ)


「特徴は言える?」

(め)(か)


「めか?」

(め)(か)(ね)


「…今ひとつ使えないわね」


 久咲のぼやきにムッとするミヤコ… を感じる眞仁。目の付け所は良いと期待したが、肝心の幽霊が少々残念だった。


「でも首がないと恐ろしい世界にずっといて、成仏できないのね?」

(はい)


 幽霊の世界や仕組みがどうなっているのかはわからない。しかし首が見つからない事には二亜にあちゃん――あの殺された女の子は、ずっと辛い思いをしたままなのだろう。


「犯人は警察が探しています。首もきっと見つかるでしょう。眞仁先輩が必要なのは、その後ですか?」

(はい)


 少々迷った様子のミヤコだが、結局は(はい)でコインを止めた。ついでコインは走り出し、ミヤコは疲れたと訴える。


「ああ、お疲れなのですね。コックリさん、ありがとうございました。どうぞお帰りください」


 佐久良が礼を言って終了を宣言すると、鳥居のマークへとコインが移動する。それを確認して緊張を解く佐久良。久咲も息を大きく吐き出した。




 だがしかし眞仁には見えている。コックリさんは帰っていない。ミヤコは消えずに、肩の力を抜いて同じくホッとしている様子だった。


「これだとらちが明かないわね。他に方法はないのかしら」

「コックリさんの盤面に濁音も必要なのですね。盲点でした」


 それは眞仁も気になった。昨日もそうだったが、濁点を表現できずにミヤコは困っていたのだった。眞仁はスマホを取り出すと、アプリ版コックリさんを立ち上げてみた。


 妙なおどろおどろしい音楽が鳴り、画面に怪しい演出が流れ始める。


「どうしましたか、先輩」

「いや、アプリのコックリさんにも濁点がないのかなと思って」


 するとミヤコもスマホを覗き込んできた。不思議なことだが眞仁には、無表情のままの幽霊の心情がわかる気がしてきている。今彼女は興味深そうに眞仁の手元を眺めていた。


 スタートを押してコックリさんの盤面を表示すると、少々レイアウトは異なるが、内容は佐久良が描いたコックリさんと同じだった。丁重にもリアルな十円玉が表示されていて、指で動かせるようになっている。しかしこちらにも濁点の文字はなく、やり取りには苦労しそうだ。


 そう眞仁が考えていると、突然画面の十円玉が動き出す。眞仁の指を介すことなく、好き勝手に動いている。呼んでもいないコックリさんが、今動かしているのだった。


(らく)


「あ、もしかしてこっちの方が楽なの?」

(はい)


「あら眞仁くん、電話?」

 久咲はスマホを見ながら急に話し声を上げた眞仁を訝しむが、眞仁はすぐさま否定した。


「いや、コックリさんがこっちの方が楽なんだって」

「はいい?」


 奇妙な声を上げた佐久良が眞仁の手からスマホをガバリと取り上げた。スマホ画面では十円玉が勢い良く動き回っている。


(かみより こつちのほうか らくにうこく しゆうえんあるのに ここにない とうなつているの)


 画面の上をコインが滑りながら、一瞬止まって再始動を繰り返している。


「えっと、十円玉は画像です。画面の静電気が指を感知して動いているはずですが…」


(よくわからないけと すこい これほしい)


「いや、それは眞仁先輩に頼んでください」

「ちょっと佐久良ちゃん、誰と喋っているの?」


 堪らず久咲が佐久良の手元を覗き込んだ。困惑が隠せない佐久良は、スマホから顔を上げて眞仁を見る。


「…えっと、コックリさんはもしかして」

「…うん、ここに座ってる。まだ帰っていないよ」


 空いた席を指し示すと、佐久良だけでなく久咲も息を飲んだ。じっと佐久良は正面の席を見つめるが、その目は少し悲しそうだ。


「やっぱり私には見えないんですねえ」

(かわいそうに さんねんね)

「慰めてくれるんですか?」

「ちょっと、何普通に会話してるのよ!?」


 どうやら幽霊は、スマホとの相性が良い様子だ。どういう作用で動かしているのかは不明だが、物理的な接触よりもタッチパネルの方が容易く動かせるのだろう。


 すると佐久良の手の中で、眞仁のスマホが通話の着信を知らせてきた。慌ててスマホを手に取ると、相手は智蔵太だった。


『ニュース見たか?』


 慌てた様子の智蔵太。開口一番ニュースを見たかとは言うが、ここは写真部の部室でテレビなどはない。


「いや、写真部だから見ていないよ」

『新しい犠牲者が出たんだ。ハッキリとは言わなかったが、連続殺人かもしれねえ』


 連続殺人。その言葉に眞仁の心臓が跳ねる。


「また誰か殺されたっていうこと?」

 不穏な眞仁の言葉を聞いて、久咲と佐久良が目を見張る。眞仁は通話をスピーカーにすると、テーブルの真ん中へ置いた。


『実際にニュースを見たのは久志だから信憑性はないんだが』


 職員室に呼び出されていた久志が、テレビで一報を見たという。被害者は少女で頭部がなく、過日廃屋で発見された遺体との関連性を視野に捜査に入ったそうだ。


『という事なんだけど、首が切られていたって秘密じゃなかったのかよ』

 智蔵太の憮然とした声がスピーカーから流れる。


「目撃証言を隠しきれなかったか、連続殺人でそれ所ではなくなったか。どっちでもいいわ。問題は新しい犠牲者よ。また子供なのね」


 唇を噛む久咲。やるせない思いで一杯なのだろう。おそらくは皆同じ気持ちなのだ。何かできることはないかと思いこそすれ、何の力もない自分たちでは捜査の役に立ちはしない。犠牲者の代わりに怒る事しか、犯罪を憎むことしか自分たちにできることはないのだ。


 通話を切った眞仁は、虚無感と焦りの狭間で大きなため息をついた。


 何か。何もない自分にも、何かできることさえあれば。そんな眞仁の腕を、佐久良が突いた。


「これ。ミヤコさんが言っています。自分を現場に連れて行って欲しいと」


 眞仁がミヤコの姿を探すと、果たして彼女は佐久良の隣に立っていた。眞仁の目をじっと見ている。意思を込めて。異様な輝きを持って。


 ミヤコが殺害現場に行くことで、彼女に何ができるのか。なぜ行かなければならないのか。眞仁には見当がつかない。

 しかし眞仁にできることは今、それだけしかないのも事実だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る