第16話 佐久良の疑似科学

 学年最後の登校日が終わった。


 明日から春休みとなる校内では、浮き足立つ生徒の喧騒が収まらない。いざ打ち上げだとか遊びに行くだとか、そんな多くの誘いを振りまくった成瀬久咲なるせひさきと、誰からも浮いていた度会眞仁わたらいまひとは、連れ立って写真部の部室へとやってきた。


「度々のご指名、ありがとうございます!」


 眼鏡をかけた小柄な少女が、今日も勢いよくぺこりと頭を下げてくる。藤井佐久良ふじいさくらである。


「お疲れ様。バタバタとしてお礼が有耶無耶になってしまったけれど、今日もよろしく頼むわよ」


 昨日は久咲の恐怖ゲージがオーバーしてしまい、久志に連れられて大人しく退場していった。さすがにあの醜態を見れば、普段の言動がただの強がりであることに、佐久良も気づいたことだろう。


「いやあ、流石は久咲先輩です。幽霊が出たというのに堂々とした立ち居振る舞い。男性陣があれだけオロオロしているのに関わらず、です」


 まるで気づいていなかったらしい。


「…そうね、私は見なかったもの。幽霊がいるかいないか、自分の目で確かめるまでは動じる必要はないわ。まして幽霊には悪意がないんでしょう?」


 久咲も大概である。目が泳いでいるのは丸わかりなのだが、そもそもよく再びこの場に来たものだと眞仁は思う。

 こうして久咲と親しくするようになったのはここ数日のことだが、天真爛漫で可憐なスーパー美少女というイメージは、眞仁の中で少し修正されていた。


「今日は佐久良さんも、友達と約束があったんじゃないの?」


 コックリさんのためには必要だが、お陰で佐久良も友人との時間は取れなかったはずだ。

 ところが首を傾げる佐久良を見て、ちゃんと友達はいるんだろうかと眞仁は少し心配になった。まさか自分と同類などということもあるまいに。


「部室をまた借りちゃったけど、大丈夫だったの?」

 あまり良い予感を持てなかった眞仁は久咲に水を向ける。


「大丈夫よ。使っていないもの」

「?」


「うちの部員って、好きなことばかりしているからあまり部室に寄りつく必要がないのね。三年生が卒業して部員もずいぶんと減ったし、もう佐久良ちゃんの部屋みたいなものよ。一応、部長権限で貸切りにするとは伝えてあるけれど」


 写真部がオカルト研究会になる日は近そうだった。それにしても、現部長である久咲は随分と強権を発動しているらしい。佐久良に心霊写真を撮ることを命じているくらいだから、きっと傍若無人な部長なのだろう。久咲のイメージが更に修正されていく。


「ところで眞仁先輩。私も幽霊の姿を見たいのですが、どうすれば見えるようになりますか」


「え、どうだろう。僕は事故に遭って、それから見るようになったんだけど」

「私も事故に遭えばいいんですね?」


 いや、ダメだろう。少しこの子は苦手かもしれないと感じる眞仁。

「そもそも、どうして佐久良さんはそんなに幽霊が好きなのさ」


 はて、と考える素振りの佐久良。説明しにくいことなのだろうか。


「私の場合は超常現象全般に興味があるのですが。そうですね、幽霊は科学的に説明しうる存在だと考えています。その確証が欲しいのです」


「科学的に?」

「はい。眞仁先輩は幽霊を何だと思われているのでしょうか」


「…死んだ人? その場にいるはずのない人かな。じいちゃんに言わせれば神様の元だけど。ごめん、ちゃんと考えたことがなかった。僕の妄想かもしれないと思っていたし」


「神様の元というのは面白いですが、今は置いておくとして。そうですね、この世界は三次元でできていますよね。時間も含めると、私たちに意識できるのは四次元までで、それ以上の次元は意識できません。しかし物理学者に言わせますと、十次元以上を仮定しないとこの世界は成り立たないと言います」


 十次元以上? そういえば、いつか有名俳優が出演する科学番組を見たことがあった。宇宙ヒモだとか多次元宇宙とか言っていたか。眞仁には理解不能だったが、そのことを言っているのか。


「そもそも、光や電波が物質であり、同時に波の性質を持っています。この場合の波というのは、五次元以上の空間で運動する物質が、私たちの視点からは波のように振るまって見えるんだと私は思います。眞仁先輩は数年前、重力波の観測に成功したというニュースをご存じでしょうか」


 確かそれは聞いた記憶がある。そうは言っても重力に波があるとかなんとか、言葉通りの印象しか持っていないが。


「重力は空間を歪める波。電磁波も異なる力の波ですが、高次元の視点で見れば、同じ原理の力が別個の波として見えているだけかもしれません。普段私たちが意識することはありせんが、私たちの生活は四次元を超えた多次元空間の中で成り立っているんです」


 いよいよわからなくなってきた。普段の生活の上で人間は、縦横奥行きの三次元に時間をプラスした四次元までを意識すれば事足りる。しかしこの世界には更に多くのベクトルがあって、普段から意識せずともその中で生活を営んでいる… てことで合ってる?


「もちろん四次元以上の高次元は私たちには見えません。でも眞仁先輩には、それが察知できるのだと思うのですよ」


 そういうことか。幽霊は高次元の存在であると、そう佐久良は言っているのだ。恐れて忌み嫌うことしかしてこなかった幽霊の存在。その曖昧な存在に、一つの形を佐久良は提示している。


「幽霊が見えるようになったのは事故に遭ってから、眞仁先輩はそう言いました。おそらく脳内のどこかのスイッチが入って、普通の人には見えない高次元のベクトルが感知できるようになったのでしょう。四次元を超えた存在を視覚的に察知する。眞仁先輩に限らずにこうしたことは度々あって、私たちはそれを幽霊と呼んでいる。そういうことなのだと私は思います」


 佐久良の語る説明が事実なのかどうか、それは誰にもわからない。しかし一つの仮定として、眞仁の心にストンと落ちるものがあった。

 顔もない、姿もない悪意を人は恐れる。仮定とはいえ、佐久良によって幽霊に姿が与えられたのだった。


「私は見えないものを認めるつもりはないけれど、筋は通っているように聞こえるわ。眞仁くんは嘘なんて言わないと思うし、本当に見えるのならきっと理由があるのよ。妄想じゃなくてよかったわね」


 久咲が眞仁の背中をポンと叩く。家族といい、この二人といい、誰も眞仁を疑っていない。眞仁の周りは眞仁への肯定で溢れていた。そのことに気づいて眞仁の心は熱くなる。


「ありがとう、幽霊の正体が何かなんて考えたこともなかったよ。佐久良さんはすごいな」

「いえいえ、思いつきの仮説です。幽霊と電磁波の関係は昔から指摘されているんですよ。ところで神様の元というのは?」


「うん、ウチのじいちゃんの話なんだけど、そんなことを言うんだ」

 怨霊と幽霊と神様の関係について、眞仁は祖父から聞いた話を説明した。


「怨霊って、そんな怖いものが神社にいるの?」


 あからさまに嫌な顔をする久咲。これが普通の人の反応だろうと眞仁は苦笑いしかできない。対して佐久良は実に楽しそうだった。


「いやはや、それもまた面白いですね。何でも混同する訳にはいかないでしょうが、日本の神様も高次元の存在なのかもしれません。いえ、幽霊の存在があるのなら、実に神様の存在があっても不思議はないですよ」


「怨霊も存在するんだ…」


「とにかく、僕も知らなかったんだけど、意外と身の周りには霊とか神様とか、そんな不思議なものが多かったんだなあって。信じない人も沢山いるだろうけどね」


 強引に話の帰着をつける眞仁。話が飛んで収集が付かなくなりそうだ。今日の目的はコックリさんだ。しかしその前に、と佐久良がスマホを取り出して友達申請をすると、すぐにURLが送られてきた。


「これがお尋ねのスマホアプリ版コックリさんです。現代機器を使用して機能するかどうか興味はありますが、スマホだと画面が小さいので伝統的な方法でいきましょう」


 コックリさんとスマートフォン。対極に位置するようなものでもアプリが作られるとは。何でもアリだな、と眞仁は感心した。しかし環奈の近くでコックリさんは禁止されていることもあり、当分出番はないかもしれない。


 早速インストールをしている間にも、コックリさんの準備… といっても紙とコインと椅子だけだが、準備が整った。

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