第19話 鬼

 走り出した久咲を追って、眞仁も坂道を駆け上がる。

 しかし二人の行く手はすぐに、マスコミによって遮られてしまった。


「ちょっと、通してよ!」

「今放送中だからご協力を。少し待って、ダメだったら!」


「そこに犯人がいるのよ!」


 何を言っているんだとアシスタントらしき男。目が険呑けんのんな光を湛えている。


 らちが明かないと判断した眞仁は、脇の藪に突っ込んだ。いざ足を踏み入れると足下は覚束なく、木の根、草の根が邪魔をする。堆積した落ち葉は滑り、雨に濡れた葉やススキが滴を跳ねて視界をふさぐ。


 勢いを阻む障害に苦労していると、すぐに久咲も追いついてきた。二人は互いに引き合いつつ、ようやくマスコミを回避した地点に飛び出ることができた。


 転がるように飛び出てきた、二人の姿に目を見張る野次馬たち。すぐに体制を整えた久咲は、周囲の顔をにらむ。

 眼鏡を掛けた男は何人かいたが、その中に帽子を被った人物はいない。眞仁は彼らの手元を見るも、誰も帽子を隠している様子はなかった。


 再び走り出した久咲を横目に、眞仁は眼鏡の人物の一人に声を掛けた。


「すいません。黒い帽子を被った眼鏡の人がいませんでしたか?」

「ああ、それなら」


 男は後ろを振り返る。

「おや、さっきまでいた気がしたがな」


 犯人は確かにいたのだ。礼も程々に、眞仁は久咲を追った。

 坂道はほどなく終わり、広い道路に出る。団地の敷地を巡る通路へと合流したのだ。そこで久咲は警官と問答をしていた。


「だから、その人がどっちへ行ったか聞いているのよ!」

「誰のことだかわからないって言っているだろ、何なんだ君は」


「黒い帽子を被った眼鏡の男!」

「たぶんそれなら右手に行ったが、眼鏡だったかどうか…」


 右手と聞くなり久咲は走り出した。先に見える団地は一棟のみだ。巡る生け垣に突っ込む勢いで建物の角を曲がると、しかしそれらしき男の姿はどこにもない。団地の階段の並びには、中年女性が歩いているのみである。


「今、帽子を被ったメガネの男が来ませんでしたか?」

「男の人? そういえば…」


 女性は背後を振り返る。しかし団地の端まで走り切ると、二人はあきらめざる終えなかった。


 団地の先には数本の立ち木を挟み、広い駐車場があった。しかし誰の姿もない。ぽつりぽつりと停った車の間を覗いても、怪しい人物の姿はなかった。日が落ちかけた駐車場は寂しさを孕み、事件のせいなのか周囲に人影は見当たらない。


「ああもう、もう少しだったのに。確かにいたのよ帽子の男が。さっき私も見ていたのに!」


 握った両手を振って悔しがる。草木の間を抜けた二人は、お陰で滴に濡れて、擦り傷や泥でボロボロの有り様だった。

 跳ねる心臓に喘ぎながら、眞仁も唇を噛んでいた。久咲と違って記憶はないが、すぐ目の前にいたのだ。犯人が。


 少女に悲しみと苦しみ植え付け、悲痛な絶叫を生み出した悪魔が。


 ◇◆◇◇


 戻った二人の顔を見るや、痛ましい表情で佐久良は視線を落とした。


「私が… 私が人目を気にしたばかりにすいません。すぐにミヤコさんの訴えを聞いていれば」


「残念だけれども仕方がないわよ。まさかこの場にいるなんて思わないもの。帽子の男は私も覚えているの。でも顔までちゃんと見ていなかった」


「ミヤコさんが言うには、どうやら男もミヤコさんの存在に気づいた様なのですよ」

「犯人にも幽霊が見えるってこと? それで逃げたのかしら」


「そこなんですが、どうにも事態が複雑な様子なのです」


 どう説明するべきか佐久良は困った顔をする。眞仁は周囲の気配を探るが、ミヤコの存在は感じられなかった。疲れたのか気が済んだのか、彼女の事情までは知らないが、今は姿を消している。


「唐突すぎて、私も理解が至らないのですが…」


 佐久良はいったん言葉を切った。彼女の目には困惑だけではない脅えがある。一体彼女はミヤコと何を話したのだろうか。


 しかし佐久良が話し出した事柄は、遙かに想像を超えた奇妙なものだった。


「順を追って話しましょう。まず彼女がそこで確認したのは、愛結ちゃんの抜け殻みたいなもの。死んだ人は霊界みたいな所に行くらしいんですが、彼女は捕われていると。首を切られたことが関係するらしいです。もう一つ居たのが、鬼だと」


「おに… 鬼だって?」


 唐突な単語に眞仁は思わず耳を疑う。もちろん久咲も困窮している様子だった。

「鬼って、あの鬼? 青鬼とか赤鬼とか」


「ええ、その鬼です。どうにも微妙な事柄で、コックリさんでは理解が追いつかないのですが。前の事件でも予想はしていて、今回で確信をしたと。鬼が犯人に取り憑いているらしいです」


「それは確かに唐突すぎるわね。鬼のようなヤツって意味じゃないのかしら。そもそも鬼って、お話の中だけでしょ?」


「鬼も神様も元が同じものだってじいちゃんは言っていた。けどその鬼が、現実に居るって言うんだね?」


「はい、ミヤコさんの説明では。そしてあの犯人、帽子と眼鏡の男の中に居るということです。鬼は悪さをしたり魂を食べたりするそうです。愛結ちゃんはまだ食べられた訳ではなく、目的までは解らないそうですが」


「魂を食べるだなんて、鬼というよりも悪魔ね」


「そうですね。鬼というとどうも腑に落ちない雰囲気がしますが、悪魔の方がイメージとしてわかりやすいのかもしれません」


 確かに鬼といわれれば童話のイメージや牧歌的な雰囲気も重なって、どうにも抽象的になってしまう。悪魔といわれた方が納得するのは、映画の影響だろうか。


「鬼にしても悪魔にしてもよ。一体何がどうなっているのよ。犯人が悪魔に操られているだなんて、マンガの話じゃないのよ。実際に子供が殺されていてそれはないでしょう」


「私もそう思いますし、だから理解が追いつかず頭が一杯一杯です。私たち、どうなってしまうんでしょうか」

「二人とも、僕が巻き込んだせいだ。ごめん」


 眞仁は頭を下げた。急に鬼だ悪魔だといわれても、との二人の混乱はよくわかる。眞仁だって混乱しているのだ。二人は優しさや好奇心から眞仁に協力をしてくれている。そこには彼女たちの義務感のようなものもあるかもしれない。

 眞仁と同じく、いや眞仁以上に犯人を憎む気持ちは本物だろう。しかし今や事態がどこに向かうのかすら怪しくなってきていた。


 ミヤコの言葉が事実だとして、事態を正しく理解できるのだとしても、超常の存在に相対して無事で済む保証はないだろう。


「ううん。眞仁くん、勘違いはしないで欲しいの。私は犯人のことが許せない。いきなり物語みたいな話が出てきて混乱しているだけよ、きっとそう。犯人に悪魔が憑いているとしても私は犯人を許せないし、それは眞仁くんのせいなんかじゃないのは当然でしょう」


「そうですよ。私も理解が足りないだけです。ミヤコさんからちゃんとした説明を聞かなきゃいけません」


 眞仁が二人の目を見ると、二人も眞仁を見返してきた。彼女たちの瞳には困惑こそあれど、そこに非難の色はない。眞仁にもそれはわかっていた。わかっているからこそ、眞仁は頭を下げるしかない。


 今必要なのは情報だ。確かな情報、確実な寄る辺。この異様な事態を把握して、その上で対峙をするしかないのだ。


 無理に微笑んだ久咲が眞仁の肩を叩くと、佐久良が眞仁の手を取った。それを合図に、三人は家路に足を向けた。

 日は落ちかけて、残った光が三人の影を作る。逢魔が時はすぐそこだった。その先に出会う魔の正体は、鬼か悪魔か殺人鬼か。眞仁にはわからない。


 走る自転車を漕ぎながら、それぞれが思索に沈む中。背中から伝わる温かさだけが唯一確かなものとして、眞仁には感じられた。


「悪魔だなんて冗談じゃないわ。絶対に悪魔のせいになんかしてやらないんだから」


 独り言ちる久咲の声が、眞仁の耳を掠めた。

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