第31話 凶暴になる病理


「…人でないなら何の所業だというの?」


 古賀の言葉に顔色を変えたのは、久咲だけではなかった。雰囲気の変化に古賀は訝しむも、その本当の原因までは思い当たる訳もなく。


「悪かったよ、言葉の綾だ。実際の現場を見たのは君たちなんだから、そりゃあ怒って当然だ。僕はただ、その怒りを多くの人と共有するべきだと思っているんだ」


 殊勝に頭まで下げる古賀。一歩引いて見せたことで、久咲も怒りのやり場に戸惑う。それを見て智蔵太が会話を引き取った。


「なるほどな。それが本音かどうか知らんが、おっさんの言うこともわからんでもない。でも残念ながら俺たちの身内には警察がいて、何もしゃべるなと釘を刺されているんだわ。悪いな」

「…仕方がない。君たちを怒らせるつもりはないんだ、今日のところは諦めよう」


 おっさんと言われた古賀は、わざとらしくショックを顔に出しつつも、引き際を判断した。しかし古賀が発した次の言葉に、一同は再び息を飲むことになる。


「でも一つだけ教えて欲しい。ひょっとして君たちは妙な体験をしたり、見たりしなかったか?」

「妙って… あんた何を言っているんだ?」


 智蔵太の返しに何か感じたのか、古賀の態度は再び楽しげなものへと戻っていた。


「いやね、廃虚は幽霊屋敷だったんだ。君たちは肝試しに行って遺体を発見しちゃった訳だ。当然ショックだったろうが、それ以外にも何か奇妙な出来事がなかったかと思ってね」


 奇妙という言葉を下手に強調して、古賀は口元を歪ませた。


 彼は何か知っているのだろうか。智蔵太や久志の視線が一瞬、眞仁に向いたのを見て、古賀も今まで一言も発しない眞仁をうかがい始めた。久咲は古賀の本心を探るかのように睨んだまま。佐久良は… 古賀を無視してスマホを見ていた。


 何か言うべきだろうか。全部じゃなくても、信じてもらえないとしても。困った眞仁は、しかし古賀の隣に薄く美耶子の体が現れたのに気がついた。

 隣に立つ朧げな少女の姿に、当然彼は気付いていない。美耶子はすっと細い腕を挙げると、古賀の胸の辺りを指さした。


「…胸のポケット」

「何だって?」


 眞仁の口から漏れた脈絡の無い言葉に、聞き返す智蔵太。久咲がスッと古賀に近寄ると、ジャケットを探って中から小さな機械を取り出した。それは音声レコーダー。最初からやり取りを収録していたのだろう、ちゃっかりと録音中になっている。


「おっさん、こりゃないんじゃないか?」

「いや失敬。取材する時の癖でね、断りなく悪かったよ」


 古賀は久咲からレコーダーを取り返すと、あははと笑って誤魔化した。それでも止まない智蔵太の抗議を受けて、目の前でデータを消去して見せる。

 緊張が霧散したことで肩の力が脱けた眞仁は安堵する。そんな間も古賀の目は眞仁を観察していたのだが、眞仁はそれには気付かなかった。


「なあおっさん、高校生相手に腹の探り合いはやめてくれ。何か知っているなら心当たりを教えろよ。俺たちだって思い出すかもしれないだろ?」


 智蔵太の言い分に快活に笑うと、ごめんごめんと笑顔になって話を続ける。


「本当に何も知らないから質問してみたんだ。最近は特に凶悪事件が続いていてね」

「ああ、ニュースで見るが」


「僕もいくつか取材をする機会があったんだが、妙な話を聞くんだよ。例えば正月に起きた強盗殺人事件。一家全員が見知らぬ男に惨殺された事件だ。犯人はすぐ捕まったんだが、犯人を知る人間は口を揃えて、そんなことができる人間じゃないって言うんだな」


 古賀の話によれば、犯人は虫も殺さないような善良な人間で、金に困った様子もなかったという。周りから得た情報を信用するなら、ある日突然性格が変わって必要もない事件を起したのだ。それだけならば裏の顔もあったのだろうという話だが。


「事件が起きる数日前、年末の話になる。犯人と親しくしていた人物が二人で会って、一緒に酒を飲んだ。普段と様子が違ったらしいが、年末の忙しさで多少ストレスもあるだろうと、あまり気にしなかったらしい。ところが酔いつぶれようとした頃、男がテーブルの上にある水に手を伸ばした。するとね、グラスが勝手に動いたそうだよ」


 古賀はさらりと言ってのけた。グラスが勝手に動いた?


「まさか超能力?」

 楽しそうに乗ってきた久志を見て、古賀は破顔する。


「一緒に酒を飲んだ人物だって酔っていたんだ。誰もまともな証言として聞きはしない。そういう話があったというだけで、真偽はわかららないだろう。犯人はもう死んでいるしね」

 犯人は逮捕された後、拘留中に死亡したという。心不全だそうだ。


「昨年起きた通り魔事件。何不自由ない家庭の息子が、何を思ったかナイフを持ち出して道行く人を襲った事件。大きなニュースになったから君たちも覚えているだろう。これにも報道されていない話があって、事件を起す数日前に、母親が妙な影を見たという。モヤモヤとした怪しい影が息子の周りに漂っているのを見たそうだ。これじゃあまるで怪談だ」


 皆は互いの顔を見合わせた。確かに怪談なのだが、それが意味するものに心当たりがあることも事実だった。


「超能力とは違って、この手の怪談はいつくかある。僕が取材したわけじゃないが、ガラスに映った顔が別人だったとか、影の形が人間じゃなかったとか。周囲に誰もいないのに会話をしていたとかいうのも、ひょっとするとそうかもしれないな」


「…何が言いたい?」


「聞きたいのは僕だ。近年増えてきた凶悪犯罪の裏に、まるで怪談のような奇妙な話が埋もれている。そこで今回は幽霊屋敷だろう? ひょっとしたら、何か見やしなかったかと思ったのさ」


 智蔵太は古賀の顔を見る。久咲も、久志も、佐久良も。対して古賀は笑顔のままに、鋭い目で眞仁を見据えていた。


「ただの勘だ、確信していたわけじゃない。でも何か思い出したみたいだね?」


 皆が口を開かない理由はわかった。何を、どこまで言うにしろ、情報を開示して何らかの迷惑を被るとすれば眞仁だ。ここは眞仁の判断に委ねられたのだった。

 眞仁は美耶子の姿を見る。美耶子も眞仁を見つめたまま、特に何も動かない。

 美耶子の感情も動かない。彼女も眞仁の判断に任せる心づもりなのだと、眞仁は悟った。


「…僕は現場に行っていませんが、お話できることはあるかと思います。でも今は話せません。犯人が捕まったら、その時は僕たちが知っていることをお話します」


 僕たちが。これは眞仁がかけた保険のつもりだった。

 ここに来て話すことを躊躇ちゅうちょしたわけではない。犯人が捕まったその後、眞仁が生きて彼に会うことが適わないかもしれないからだ。もしもの場合は、ここにいる眞仁の友人たちが、知る限りの事実を彼に話してくれるだろう。何が起こっていたのかを。


 この宣言は眞仁にとっても僥倖ぎょうこうだった。眞仁が死んだ後も、その真相は必ず語られる。これは自らの生死に関わらず、眞仁という小さな存在に意味が生じたということに他ならない。


 密かに懸念していた事態、悪鬼が様々なところで活動しているらしいことは、古賀の話から推測できる。ならば真実を知る眞仁は口を開かねばならないだろう。古賀が信じるかどうかは知らないが、世間に警告することが可能となるかもしれない。

 時が来て、例え眞仁に口が無くても友人がいる。考えれば当たり前のことだが、その意思を皆に示した事で眞仁の心は軽くなった。


「…今聞きたい所だが、どうも意思を固めた様子だね。廃屋で遺体を発見したのは三人だと聞いたのに、現場にいなかった君が事情通だというのも興味深い。歯がゆいが、独占インタビューの確約が取れたということで満足しようか」


「このこと、他の人たちも気づいているの?」


 眞仁の言質を受けて、ようやく敵愾心てきがいしんを解いた久咲が訪ねる。


「君たちの事か。察するに、取材に来たのは僕が初めてだろう。みんな忙しいんじゃないか」

「それもだけれど、怪談のこと」


「…僕が怪しいと感じたんだ。本気になって調べようとする人間はそうそういないだろうが、好きなライターはいる。誰が気付いても不思議じゃない。今の段階で君たちにまで関連付けようとする人は稀だろうが、幽霊屋敷で高校生が出会った猟奇殺人事件なんて格好のネタだから、その件では取材も来るだろう。その前に話してもらいたいものだけど」


「なんか今本音が漏れたような気がするけれど、情報を貰ったんだ。おっさんに一番に話すことを俺も約束するよ」


 智蔵太の宣言にあはは、と楽しそうに笑うと、ついでだと前置きをして、もう一つ興味深い話を教えてくれた。


「これも噂だが、ここ最近の凶悪犯罪事件。犯人まで死亡しているケースも多いんだけど、どうやら解剖データが集められているらしいんだ」


「集められているって、どこにですか?」


 これに反応したのは意外にも佐久良だった。今まで沈黙を守っていた佐久良に、古賀は初めて目を合わせる。


「科学警察研究所って知っているかな。僕も詳しくはないんだけれど、あそこはいろんな研究をしているみたいだから、その事自体は不自然でも何でもない。でもそれにね、高名な脳科学者が絡んでいるって噂なのさ」


「脳科学者っていうことは、何かしら共通する病理が脳に見つかったってことですか?」


「人が凶暴になる病理。正しくそれが噂なんだ。オカルト雑誌ならそれだけでも記事になる。でもフタを開けたら、そんな病理はなかったという結論が出るかもしれないね。だからあくまで噂なんだ」


 古賀は自分の頭を突きながら、まるで気の利いた冗談を言うかのように、優しく佐久良に向けて微笑んだ。

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