第5話 憑いてきたモノ

 夕食を終えて風呂から上がっても、祖父は帰ってこなかった。お祓いについて聞きたかったのに、今日も何やら会合があるとかで遅いらしい。


 自室に戻った眞仁まひとだが、期末テストは終わったばかりである。デスクの上の模型を脇に寄せると、ラップトップを立ち上げた。

 すると環奈かんながやってきて、本を読めという。手には絵本を抱えていた。ベッドの上に身を投げ出す環奈には逆らえず、眞仁は並んで絵本を読み始めた。


 浩一は帰ってこない。おそらくは殺人事件の捜査本部が立っているはずで、だとすれば事件の解決まで忙しさが続くかもしれない。眞仁は先ほどテレビで見たニュースを思い出す。


 夜のニュースでは事件の続報も報じられていた。話に聞いた悲惨な遺体状況こそ報道されていないが、被害者が子供であり、発見者もまた未成年であったことで、全国ニュースとして報道されていたのだ。


 殺された子の名前は山崎二亜にあ。市内に住む十歳の女の子だった。智蔵太たちが発見する三日前、公園で友人と別れたのを最後に行方不明となっていたらしい。失踪して直ぐに殺害されたと思われますとニュースは報じていた。


 テレビ画面で見る少女は、カメラに向かって手を伸ばして、少し含羞んだような笑顔をしていた。ぎこちない笑顔だったが、ショートヘアが健康的で可愛らしい。


 この子なのだ。首を落とされ、腹を割かれた少女は。


 眞仁は二亜の顔写真を見て、ともすると目を逸らそうとする自分を押しとどめた。唇を噛んで写真を睨んだ。

 彼女の顔を脳裏に刻む。彼女を再び見る機会があっても怖がってはいけない。悲惨な運命にあった彼女を二度と恐れることのないように。しかし…。


 失踪したという公園は名前までは出なかったが、眞仁にも馴染みがある公園だと察しが付いた。一つ一つの情報が、彼女が実際に生きていて、理不尽に命を刈られたという事実を訴えている。


 カメラは二亜ちゃんの近所に住んでいるという住人も映し出していた。しっかり挨拶ができる明るい子だったという。さすがに親は画面に出なかったが、両親は失踪したというだけで、居ても立ってもいられないほど心配していたはずだ。

 ようやく見つかったと思えば、顔の無い無残な死体で戻ってくるなんて。その胸中は察しがたく、眞仁は改めて怒りを抱いた。


 絵本を読み終える頃には、環奈はベッドの上で眠っていた。いつもの事である。


 環奈の自室へ連れて行こうかと身を起こすと、スマホが鳴った。珍しいことに、智蔵太からの通話だった。


「どうしたの? 電話なんて珍しい」

『…怖い』


 やはりその話か、と眞仁は思う。


「環奈は寝ちゃったけど、家に来る?」

 お、と一瞬奇妙な声を上げる智蔵太だったが、直ぐに沈み込む。

『お前んちも怖い』


 昼間は境内で遊ぶこともあるが、夜の神社が怖いというのは昔からの智蔵太の言である。神社といえば…。


「今日母親から聞いたんだけど、幽霊は神社の領域らしいんだ」


 眞仁は仁美との会話を説明した。


『それはありがたいが、退治できないんじゃあ意味なくね?』

 その通りである。


「それでも、じいちゃんなら何かの手立てを知っているかもしれないよ。今日は遅い様子だから、明日辺り一緒に話を聞いてみない?」


 眞仁自身、祖父に何か出来るとは期待をしていなかったが、何とか智蔵太を宥める必要がある。その役目に適任だとも言えないが、この手の話に一対一で対面する自信がなかった。


『そうだな。俺オカルトは疎いから、お前だけが頼りだ』

「僕だってオカルトに詳しくないの、知ってるよね?」 

『でも見えるんだから、頑張れば話くらい出来るだろうが』


 相手も同じ人間なんだから、と智蔵太は言い切った。むちゃくちゃである。


「そういえば、智蔵が見たモノは、その、女の子だったの?」


 眞仁は夜のニュースを見てから抱いていた違和感を口にした。殺された女の子だったのかと聞きたかったが、それはさすがに憚られた。


『男の子には見えなかったが』

「ニュースで写真出てたよね。その子だった?」


 はて、と智蔵太は口ごもるが、やはりわからないと言う。


 そうなのだ。ニュースで報道された女の子、山崎二亜は十歳。しかし昼間眞仁が見た幽霊は、年齢的にもう少し上だったように思う。幽霊の顔をしかと見たわけではないが、年格好は十歳に見えなかった。あるいは殺された女の子と幽霊は関係ないのか。だとしたら…。


 ――あれは誰だ?


 智蔵太に憑いてきた幽霊は、殺害現場である廃屋から来たはずだ。ならば殺された女の子かと思うのだが、どうにも写真と幽霊の印象が大分異なる。しかし眞仁は恐ろしいことに、幽霊が首を落としたところを見ているのである。


「ねえ智蔵。廃屋に幽霊が出る噂って、どんな幽霊だったの?」

『いや、具体的な話は何も。何かわかったのか?』


 眞仁には何もわからない。果たして幽霊は殺された子なのだろうか。あるいは殺された子が成長した姿で現れた、そんなことがあるのだろうか。


 ――もしくはあの場所で、殺された子が他にもいる?


 眞仁の背中がゾクリとする。もしも同じ現場で、首を落とすような残忍な殺人が他にもあったとしたならば。それはどんな因縁だろうか。


「怖がらずに聞いて欲しい。喫茶店で見た幽霊と、殺された女の子。実は違う子のような気がして」

『おま、そういう事いうなよ!?』


 怖がるなと言うのも無理な話だったか。


 ベッドの上で呻いた環奈が寝返りを打った。うるさかったらしいと悟り、眞仁は声を潜める。


「ごめん、環奈が隣で寝ているんだ」

『お前らホントに仲良いのな。実は怪しい関係だったりしないよな?』


 バカを言うなと眞仁は答える。その後は下らない話をしたお陰で、少し恐怖が払拭できた様子の智蔵太は、塩まいて寝る、と通話を終えた。


 ◇◆◇◇


 最後はバカ話になったが、それは眞仁にもありがたかった。疑問や恐怖や怒りや悲しみ、様々な感情が短時間に渦巻いてどうにも頭が混乱している。


 環奈はいよいよ深く眠ったらしい。こうなってから起こすとグズるかもしれないから、移動するのはもう少し後で良いだろう。とりあえず布団を掛けてあげてから、眞仁はパソコンに向き合った。


 もし祖父からも大した話が聞けなかった場合は、いよいよ霊能者のお世話になるしかない。しかし霊能者がどこにいるかとか、金額がいくらかかるとか、何も知識を持たない眞仁は調べてみようと思ったのだ。


 霊能者と打ち込んで検索してみると、タロットやら手相鑑定やら、その多くが占いのページに行き着いた。どうしたものかと考えて、霊媒師と検索してみる。すると、いくつかのページを見つけることができた。

 覗いてみると面白いことに霊媒師にも種類があって、どうやらお寺に縁ある霊媒師と、神道に近い霊媒師といるらしい。おそらくは新興宗教なのだろうが、はたして相談しても良いものだろうか。


 暫くページを渡り歩いていた眞仁だが、パソコンの反応が妙に遅くなっている事に気がついた。階下で母さんが動画でも見ているのだろうか。しかし動きはどんどんと遅くなり、とうとうフリーズしてしまう。クリック先が一向に開かない。適当な文字を打ち込んでみても、文字すら表示されなくなっている。


 いざ再起動しようかと電源ボタンに手をかけたとき、止まっていたカーソルがようやく動き出した。やれやれと画面を見て…。眞仁は眉を顰めた。


 次々と文字を打ち出すカーソルが、今度は一向に止まらないのだ。眞仁が適当に叩いた文字に続き、打ったはずのない文字が、次々と表示されている。


   《sきおんねghっかっかはががいいおんrねかいおねが…》


 さてはキーボードが壊れたのか。文字は一向に止まらない。


   《lkjkyききういくっっびばいきくびくびくびくびくび…》


 次第に文字は、一定の言葉を繰り返す。


  《おねがいおねがうおねがいおねがいくびびくbにくびおねがい…》


 おねがい? 眞仁は訝しむ。

 押されたキーボードが戻らず、同じキーを叩くならばあり得る。しかし違う。特定のキーが順に押されている状態だ。これは一体何だ?


     《たっったたたsysyすすけけkててててててえ…》


 意味のない文字の羅列だ。しかし眞仁の腰に得体の知れない悪寒が生まれた。

 文字が意思を紡いでいるように見える。


     《たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて…》


 悪寒は背中を駆け上がり、腕に、首に、脳天に広がる。

 誰かの意思が訴えている。お願い、助けてと。


 画面に現われる文字に戦慄を覚えた瞬間、背中に何かを感じた。

 背後に何かが居る。考える間もなく眞仁が振り返ると、果たして…


 そこには少女が立っていた。


 少女。

 黒い衣服の少女だ。

 ワンピースを着た華奢な容姿。

 今にも霧散してしまいそうな朧げな姿。


 長く伸びた黒髪と、白く生命感のない体。

 
墨を流したような衣服は襟だけが白く、白地に蝶が舞う意匠が刺繍されている。


 だらりと下げられた腕から覗く手も、スカートから覗く素足も氷のように白い。

 そう目に見えるのに希薄な存在。半ば透けた現実味のない姿。


 心臓が大きく跳ねて、刹那、自分の意識が飛んでいた事に気がついた。静止した時間が動き出し、お陰で悲鳴すら上げられなかったことを行幸に思う。

 音を立てて脈打つ心臓と、凍り付いた体。相反する自らの体を認識しながらも、眞仁は彼女から目を離せない。


 薄い唇には色がなく、少女には血が通っていないことがわかる。整った顔は子供とも大人とも判別がつかない境界で、まるで人形のようだった。

 そんな美しい顔をしているのに、黒目がちな目だけが特異だ。開かれた目は異様な光を宿し、内面に凝る凄烈な意思を表していた。


 改めて思う。彼女は廃屋で殺された少女、山崎二亜ではない。年齢だけではなく、写真で見た彼女の印象とは明らかに違うのだ。


 手を伸ばせば触れてしまうほどの距離に死者は立っている。

 凄烈な感情を込めた目で、しかし表情の無い顔で眞仁を見つめていた。

 声を出すことも動くこともできない眞仁は、彼女を見返すことしかできない。


 すると、彼女の肩が小さく震えた。

 白く細い首に一本の線がつうと引かれ、次第に太くはっきりとしたものとなる。

 佇んだまま動かなかった彼女の首が、線に沿ってゆっくりと折れたかと思うと…。


 少女の肩から頭が外れ、そのまま落ちて転がった。


 眞仁は再び自分の意識が飛んだことに気がついた。じわりと血液が体に広がり、忘れていた呼吸が戻る。停止していた時間が体に流れると、もう目の前には誰もいなかった。


 冷静になろう。冷静に考えよう。今見たモノは何なのか。彼女は眞仁の背後に立っていた。それに気づく前に、パソコンがおかしな動きをして…。


 画面を確認してみる。妙な文字の羅列は止まっていた。いくつかキーを叩いてみたが、挙動は正常に戻っている。機械は壊れていない。


 パソコンの不具合ではないことを確認すると、眞仁は慌てて電源を抜いた。


 気味の悪い文字の羅列は画面に残っていた。ならばあの現象は現実で、眞仁の妄想などではない。であるならば、あの少女はどうして現われたのか。何かを訴えたかったのではないのか。パソコンを通じて眞仁に。


 お願い、助けてと、そう書かれたように思う。ならば少女は助けを欲しているのだろうか。そして…。


「僕に憑いてきたのか…」

 ゾッとする。


 智蔵太に憑いて廃屋からやって来た少女。

 彼女は喫茶店で自分を見て、憑く相手を変えた。まだ居るのか、この部屋に。


 振り返った眞仁は再び心臓が跳ねる気分を味わった。ベッドの上で環奈が上半身を起こしていたのだ。しかし環奈はその場に静止し、部屋の扉を見つめていた。


 ひょっとすると環奈には見えているのだろうか、彼女の姿が。


「…環奈、何か見えるのか?」

「環奈寝てたの。ご本の続きは?」


 恐る恐る訪ねた眞仁に振り向いて、寝ぼけ眼の環奈は答えた。

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