第21話 対話

 環奈かんなを交えてのコックリさんは母親から禁止されている。想像するに、コックリさんで呼び出した霊が悪さをすることを恐れているのだろう。実際に幽霊とやり取りができた以上、コックリさんをただのお遊びだと割り切れはしない。


 これを破る気はないが、ではどうすればミヤコと十分なコミュニケーションができるだろうか。

 考えながら部屋へ戻ると、今日は構ってもらえなかった環奈が飛び込んできて、眞仁に絵本をせがんできた。今日彼女が持ち込んだ絵本は、奇しくも桃太郎。


 桃太郎に登場する鬼は悪者だ。どういう悪さをしていたのかは定かではないが、鬼は退治されるものとして登場する。理由すらいらない絶対的な敵であり、仏教的な鬼でもあるのだろう。

 そして桃太郎に至っては神の使者、あるいは神そのものだろうと思う。鬼の視点で見るのならば、一方的な侵略者である桃太郎こそが本当の鬼なのかもしれない。祖父の言う鬼と神との相違点とは、それだけのことなのだ。


「環奈は、鬼と桃太郎どっちが好き?」

 試しに環奈に尋ねてみると、どっちも好き、と環奈は答える。


「桃太郎はきびだんごで仲間を作るの。だから鬼にもきびだんごあげればいいと思うの。仲間になればもっとたくさんのことができると思うの。環奈はね、キジが好き」


 環奈は鬼も仲間にしろという。なるほど、そういう視点もあるのかと眞仁は感心した。悪は悪、善は善。神と鬼とを善悪や立場による二元論で捉えるよりも、鬼をも仲間として等しく神とする方が、日本的な決着の付け方なのかもしれない。


「どうしてキジが好きなの?」

「キジは空から偵察するんだよ。環奈も飛んでみたいの」


 こちらの答えは如何にも子供らしくて微笑ましかった。眞仁は余計な事柄を頭から追い出し、環奈のために心を込めて絵本を読む。


 本を読み終わる頃には、環奈はいつものようにベッドの上でウトウトしていた。気持ちよさげで可哀想だが、今のうちに寝床に連れて行かなくては。


 しかし抱き起こそうとすると突然、環奈の目がパチリと明いた。


「ごめん、起こしちゃったね。ベッドに行こう」


 ところが環奈はむずがりもせずに、上半身を起して辺りをゆっくりと見回している。すると眞仁の瞳に目を合わせ、じっと覗き込んできた。どこかおかしい。眞仁は嫌な予感が首をもたげるのを感じた。


「環奈?」

「この子は大丈夫よ。安心して」


 環奈が小さい口を開いて、しかし言葉は別の意思を紡いだ。まさか。


「…ミヤコ、さんなのか?」


「ええ。環奈ちゃんの体を借りた。今この子は眠っている。安全だから心配しないで」


 環奈の中にミヤコがいる。そう認識して見ると顔つきも、目つきですら環奈とは違っている。声は同じなのに、幼女にはそぐわない落ち着き。普段の環奈と違うことは明らかで、ならば疑うという術はない。


「…本当に大丈夫なんだろうな」


「普通の人ならこんなことできないけれど。この子は特殊ね。強い霊媒の素質がある。それでも起きちゃうと面倒だから少しだけ。聞いたわね、彼には鬼が憑いている」


 ミヤコは早速本題を切り出した。


「聞いたけど、戸惑っているんだ。ミヤコさんの言う鬼っていうのはいったい何?」


「そうね… 私のような幽霊は、人間とそう変わらないと思う。人を構成する霊、魂、魄から魄だけを抜いた存在。肉体がないだけね。人間と同じように、エネルギーを摂取しなければ霊体を維持できず、消滅してしまう」


「エネルギー?」


「ええ。大抵は人の想いや願い。思い出す人がいなくなれば消滅するでしょう。他にも方法はあるけど今はいいわ。鬼については… 私もよくわからないのだけど、基本は同じはず。ただし魂の強さが違う。強い分だけ存在の維持に、大きなエネルギーを必要としているのかもしれない。鬼たちが全部悪い事をするんじゃないけれど、中には悪いヤツがいるの。他人の魂を食べたりね」


 ならばやはり鬼というよりは、悪魔に近いんじゃないのかな?


「それは悪魔とはどう違うの?」

「私の知る範囲では、悪魔は概念上の存在よ。説明し難いから悪鬼と言ってもいいわ。そうね、あの男に憑いているのはただの鬼じゃない。悪鬼」


「魂を食べられるとどうなる」


「魂は本体よ。永遠に転生できなくなる。何も残らない本当の死。食べられなくても首を切られるということは、霊的にダメなの。あの場に残っていたのは幽霊じゃない。霊の残滓。魂の記憶だけを僅かに残した地縛霊。本体の魂は鬼に捕われて、きっと暗く恐ろしい世界にいる。首をなくして常世とこよに行くこともできず、恐怖に捕らわれたままに、いずれ摩耗して消えてしまうわ」


 眞仁は現場で聞いた、正確には心で感じた少女の悲鳴を思い出す。恐怖と悲痛が交差した声の轟。おそらくはあれが、少女の命が潰えた瞬間の嘆きなのだろう。


 繰り返し、繰り返し。暗く凍える闇の中で、何度も理不尽に殺される体験をしているのだろうか。ミヤコはそれが本体ではないと言ったが、捕われた魂だって恐怖に震えているだろう。すぐに疲弊して擦り切れてしまうことは想像に難くない。


「エネルギーなら食べるだけで事足りるはず。だからなぜ首を切ったのか、悪鬼の目的はわからない。でもあいつらの好物は歪んだ魂だと聞くわ。殺しただけでは飽き足らず、さらに彼女たちに絶望を与えてから食べるつもりなのかもしれない。どちらにしろ彼女たちを助けるためには、悪鬼から首を取り返して魂を開放してあげないとダメ」


「首を見つけた後に僕が何かしなきゃいけないって言っていたよね。あれはどういうこと?」


「…私は悪鬼に殺されたの。絶望したわ。もうダメだと思った。それを助けてくれたのがあなたよ」


 ミヤコの、環奈の口から出たのは想像の遥か上をいく事柄だった。僕が助けたって? 眞仁の頭は真っ白になる。当たり前のようにミヤコは言うが、心当たりがないなんてものじゃない。例えば今いきなり、殺人容疑で逮捕すると手錠をかけられたとして、どうしてそれを容認できようか。


「助けたって、僕がミヤコさんを、どうやって」


「私にもわからない。だから説明ができないけれど、魂の形は見誤らない。私を救ってくれたのは確かにあなた。もしかすると、あなたも鬼かもしれないわ」


 鬼。鬼だって? 眞仁はショックを受ける。ならば僕もあのような殺人を犯すのか。いや、鬼も悪魔のようなヤツばかりではないと、ミヤコはそう言っていたか。


「ミヤコさんは、あなたは一体…」


「あの悪鬼、私を見て笑った。私に何もできないことを知っていてあざ笑った。鬼の力は強大で、とても対抗できないから。今のあなたに何ができるかわからない。それでもあの子たちを救ってあげたいの。もう悪鬼のようなヤツに好き勝手させたくない。だからあなたに助けて欲しい」


「できることなら僕もそうしたい。でもどうすればいい? 悪鬼をあいつから追い払うのか、悪魔払いみたいなことをして」


 眞仁が思い出すのは、キリスト教をテーマにした悪魔払いの映画だった。登場する悪魔は強力で恐ろしい存在だ。子供に乗り移って空中に浮かんだり、怪力を出したり。もしあんな存在に対抗しようとするのなら、冗談ではなく命がけである。


「いいえ。悪鬼は強力だけど、それでも私と同じように、容易に世界へ干渉ができないはず。だから今あいつがやっているのは、何かの方法で男を操っているだけ。そして魂を狩っているんだと思う」


「つまり、僕たちには危険がないっていうこと?」


「肉体のない悪鬼から、生きているあなたには大した手出しはできない。殺人を犯す犯人の方が、人間には脅威ね。だから」


 ミヤコは一度言葉を切って、環奈の顔で、環奈の瞳で眞仁を見据える。真っすぐに。瞳の奥に覚悟を秘めて。そして彼女は静かに、きっぱりと言った。


「犯人を捕まえたら、あなたは死んで」

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