第26話 巫女

「もう一度説明してくれ。この写真が誰だって?」


 度会わたらい家の夕食後。クタクタの体で帰宅した浩一こういちの前に、眞仁が提示したのは美耶子が念写した写真であった。ネクタイを解き、ビールを煽った浩一は、胡乱うろんな目を眞仁へと向けている。


 眞仁にしても覚悟していたことだったが、本職の刑事である浩一の視線は言外の厳しさを秘めている。加えて今日は祖父の視線もあったため、思わず目線を逸らした眞仁は身の縮む思いだった。


「浩一兄。唐突で悪いとは思うけれど、聞いて欲しいんだ。このメガネの男が犯人なんだよ」


 浩一は手元の写真へ目を落とした。白と黒で描写された男は正面を向き、しかしハッキリと写っているわけではない。ピンの惚けた写真。防犯カメラが捕らえた暗視映像を抜き出したような、そんな曖昧な写真にも見えるが、それにしてはアングルが不自然だった。


「これをどうやって手に入れた?」


 当然、そういう話にはなる。浩一を相手に誤魔化しても詮なきことだ。そもそも良い言い訳も浮かばない眞仁は正直に語るしかない。


「廃墟の事件の現場にいたのは、殺された山崎二亜やまざきにあちゃんと犯人だけじゃない。そこには幽霊もいたんだ」

「何を言って…」


 堪りかねた浩一を手で制し、眞仁は続きを急いで話す。


「幽霊は昭和三十七年に旅館で起きた事件で亡くなった子なんだよ。彼女が犯人を目撃して、それを伝えるために智蔵ともぞうに憑いてきた。噂の幽霊は彼女だったんだよ」


「昭和三十七年… ぺンションが建つ前に起きた事件のことか。その時の被害者が幽霊になって実在していると」


 確認を取る浩一の言葉を改めて聞くと、とんでもない夢物語を語っている気にもなってくる。眞仁はなるべく真摯に見えるよう、大きく頷いた。


「ペンションになっても留まっていた幽霊が、今回の事件を目撃していた。そして犯人を捕まえるために協力を仰いできたんだよ。だから一緒に事件現場にも行ってきた。そしたら野次馬の中に犯人の姿もあったんだよ。犯人には逃げられちゃったけど、この写真の人なんだ」


高島愛結たかしまあゆが遺棄された現場にこの男が、犯人が現れたのを見たっていうのか。で、幽霊が写真を撮ったって?」


「…この写真は幽霊が念写したんだ」


「ねんしゃ… 念写だと!?」

「パパ、お兄ちゃんは悪くないでしょ!」


 いよいよ声を荒げた浩一に注意をしたのは環奈である。浩一の気持ちもわかるが、娘に注意をされては立つ瀬がない。冷静にもなるというものである。


「悪いな環奈。パパも怒ってるわけじゃないんだが、少し驚いてな…」


「僕もこの写真が証拠になるとか思わないけれど、参考にはなるかもと思って。ほら、犯人の似顔絵みたいなものだし」

「なるほど似顔絵ね。流石に念写はないだろうしな…」


 浩一は写真を睨んだまま腕を組んでしまった。この写真をどうしたものか、どう扱ったら良いのか悩んでいるのだろう。環奈も横から問題の写真を覗き込んでいる。


「幽霊ちゃんとずいぶん仲良くなったのね。でも眞仁、危なくないの?」


 テーブルの片づけから手を止めた母親の仁美ひとみが問いかける。心配になるのは当然で、だからこそこの場で話したくはなかった眞仁だが、優先順位というものがある。眞仁は務めて笑顔を作った。


「彼女は信頼できるから大丈夫だよ」

「でも、犯人に会ったってことでしょ?」


「…うん。だとしても偶然だよ。犯人は僕の事は知らないだろうし、むしろ放っておけないし。危険はないよ」


 危険はない。嘘をついたことに若干の痛みを覚えるが、ここで引くことは出来ないという思いで一杯だった。たとえ親に止められた所で、この事件に関わっていくことには違わない。


「姉さん。眞仁くんを疑うわけじゃないんだが、どうなんだ幽霊って」


「そうね。私にはよくわからないけれど、悪いモノばかりじゃないと思うわ。覚えてる?」

「…母さんか」


 浩一は遠い目で天井を見上げる。何故ここで母さん、眞仁にとってお婆さんの話題が出るのか。


「お婆さんがどうかしたの?」


 眞仁は母親に疑問を投げた。しかし仁美も何やら言いづらそうに、何故か視線を祖父へと移す。

 そんなやり取りを見ていた重幸しげゆきは、仁美の視線を受けてやはり難しそうな顔をしていた。何だかおかしな空気。眞仁が益々訝しむと、祖父はようやく重い口を開く。


「亡くなったお婆さん… 千代子もな、妙なものが見えた」

「え?」


「眞仁のように幽霊を見ていたかはわからんが、怪しいものを見る、そういう体質だったんだ。もしかすると眞仁は婆さんの血を引いたのかもしれんな」


 眞仁の祖母にも霊が見えた。そんな大事なことを何故今まで隠していたのか。教えてくれればこんなにも悩むことなどなかったろうに。そのことを指摘すると、祖父はさも申し訳なさそうな顔をする。


「小さい頃はそんなことを言わなかっただろ。だから儂も千代子ちよこも安心していたんだ。仁美だって普通の子だったから、千代子だけが特別なんだと思ってな。まして眞仁は男の子だったからな」


「男だからって、何か関係あるの」


「そういうわけでもないが、千代子の父親、眞仁にとってはひい爺さんになるが、どうも実家が巫女を輩出する家だったらしい。一種の女系の家だったんだな。まあこれは迷信みたいなものだが、婆さんが普通じゃなかったから。仁美の時は気にしたものだ」


「巫女を輩出?」


「一口に巫女といっても種類があってな。今では妙に聞こえるかも知れないが、血筋が重要視される場合が多い。ひい爺さんは実家と縁が切れていたし、寡黙な人だったから推測になるが… 世襲型の御巫みかんなぎか、イタコのようなシャーマンだったんじゃないだろうか。どちらにせよひい爺さんは男だから関係ないが、千代子があれだったから、気にはなってな」


 巫女を輩出していたということは、ひい爺さんの家も神社関係だったのかもしれない。つまり双方が神職だった縁で度会家に入ったということだろう。それにしても、確か重幸だって婿入りしてきたはずである。


「まって。度会がお婆さんの家だってのは聞いていたけど、爺ちゃんの家も神社だったの?」


 それを聞いていた浩一が吹き出した。


「確かに、うちの関係は神社が多いからな。でも井波のおばちゃんは知っているだろ。あれが爺ちゃんの実家だ。その前は先生やってたんだよな」


「ああ、儂が神主になったのは度会家に来たからだし、井波の高橋は普通の家だぞ。因に興味があって度会の家系も調べたが、怪しい話は一切ない」


「お母さんだって小さい頃は神楽もしたけど、だからって何も見えないわよ。巫女の家系云々って話は関係ないと思うのだけれど」


「でも女の子がって話だと… じゃあ、環奈は?」


 名前が出た当人はくりくりとした目で重幸を見上げている。祖父は孫の可愛らしい頭を撫でながら、しかし笑顔で残酷な事を言った。


「眞仁のようにお婆さんの血を引いているかもしれん。だからコックリさんは止めておけ」

「やだ。環奈もコックリさんしたぁい」


 何故ダメなの、と駄々を捏ね始める環奈だが、そう聞いてしまえば益々無縁でいてもらわねば。

 そう言えば。美耶子が環奈の体を借りた時、素質がどうとか言っていた。環奈はやはり何かしら力を持っているのだろう。巫女の血というのは本当にあるのかも。

 とにかく、幽霊が見えるのには理由があるかもしれないわけだ。次から次へと出てくる事案に頭がついていかないが、どこか安堵する気持ちもあった。


「コックリさんなんて、あんな危ないもの環奈はダメだぞ」

「そんなに危ないものなの?」


 重ねる浩一の言葉を聞いて、眞仁は重幸に疑問をぶつけた。霊との会話は実証済みだから、何事もないとは思わないが。


「あの遊びが本当に霊を引き寄せるのか、それは儂にはわからん。でも環奈にとっては… 巫女云々抜きでも、子供っていうのは神様のものだからな」


「神様?」


 唐突に出た神様という言葉に、眞仁は首を傾げた。

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