第24話 暗躍する世界

 那須美耶子なすみやこ。それが幽霊の名前だった。ペンションの前身となる旅館「鳳凰館」で、火災によって死んだ少女。


「美耶子さん、さぞ無念だったでしょうね…」


 顔を伏せた佐久良からは、メガネの奥は窺えない。それでも震える声に心情が覗いていた。


「なあ美耶子さん、勝手に正体を探るような真似をして悪いことしたかもしれないが、あんたなんだろう。…眞仁、彼女は?」

「いや、今は見えないよ。でも近くにはいると思う」


 眞仁は感じている。姿の見えない彼女の悲しみを。彼女の痛みを。失礼を謝った智蔵太を始めとして、誰もが彼女の無念を分け合うかのように一言も発しない。そんな空気を破ったのは、ぼつりと呟く佐久良の声だった。


「この事件も鬼が関係していたんでしょうか」


「うん。美耶子さんも鬼に殺されたと言っていたよ」

「…鬼ってなんだ?」


 そういえば、智蔵太と久志には鬼の件について話していなかった。眞仁自身が動揺していたので、伝えるのをすっかり忘れていたのだ。眞仁は殺人現場での出来事を二人に語る。


「おいおい、今度は鬼とか本気なのか」


「信じられない気持ちはわかるよ。でもこれで大まかな事情はわかったんだ。幽霊とはまた別の存在で、鬼ってのが実在するらしい。鬼は全部が悪いヤツではないって話だけれど、その中でも悪魔みたいなヤツを悪鬼と呼んでいる。美耶子さんは悪鬼に殺されたと言っていたから、鳳凰館の事件にも絡んでいるんだと思う。悪鬼自身は生きている人間に手出しをできないから、人間を操るんだ。今回の犯人はそうした事情で鬼に操られている」


「だからといって、犯人に罪がないなんて言わないでよ?」


 操られていることに対して責任の所在を気にするのは久咲だ。そういえば久咲は最初から、そんな事を気にしていたっけ。それは眞仁にしても思うところがある。

 悪鬼の存在が引き起こしたとはいえ、実際に手を下しているのは人間だ。犯罪行為にどこまで当人の意思が入り込んでいるのか、それは当人しか知り得ない問題ではあるのだが。


 すると控えめに手を上げたのは佐久良だった。


「その件ですが、推測を一つ聞いてもらっていいですか。過去に世間を騒がせた事件がいろいろありますが、犯人たちの動機も様々です。誰かが囁いているとか、神に命令されたとか証言する事件も少なくありません。精神疾患や多重人格障害が疑われるケースですね」


「心神耗弱こうじゃく… 犯人の責任能力が争点となるケースよね。佐久良ちゃん、それも実は鬼が操っていたと言いたいの?」

「もちろん罪から逃れるためのも多いと思いますが、中にはあるんじゃないでしょうか、本物が」


 本物が——と佐久良は言った。確かに佐久良の言うことはもっともだった。こうして鬼が実在し、鬼が引き起こす事件があるのなら。今回だって初めてのケースであるはずがないのだ。当然ながら結審したケースも多い。


「心神喪失状態でなければ責任能力は問えるわね。鬼がどうやって犯人を操るのかは知らないけれど、今回ばかりが特別じゃないということね?」


「犯人にどこまでの意識があるかわかりませんが、そう思うんですよ。最近は物騒な事件が多いですよね、自分の都合しか考えないような。そうした事件もひょっとしたら」

「鬼の仕業ってか。どうなっているんだちくしょう」


 図らずも先日、親が呟いた感想と同じ事を佐久良は指摘した。眞仁は全身から血の気が引くのを感じる。

 鬼の仕業か否か、真相はわからない。しかし、もしも同時多発的に悪鬼が暗躍しているのであれば。この世界がそんな世の中であるのなら、智蔵太の嘆きも最もだった。


「まあ、他の事件はほっといてさ、先ずは今回の犯人じゃね? マヒっちは他に幽霊ちゃんから聞いていないの?」

「お前、たまにマトモなこと言うよな」


 意図してなのか話の軌道を戻す久志に、妙に感心した顔を向ける智蔵太。眞仁もどうにか気持ちを切り替える。


「犯人についてヒントになる話は聞けなかったけれど、悪鬼は美耶子さんを見て逃げたんだよ。直接美耶子さんに手出しをするよりも、犯人を逃がすことを優先したんだと思う。それってもしかすると、悪鬼は美耶子さんに協力している僕らの存在に、気づいているってことじゃないかな」


 眞仁は美耶子から話を聞いて、疑問に思っていたことを切り出した。悪鬼は人間には手出しができないという。逆に言えば、美耶子になら直接手を出すことは可能だったはずだ。

 それでも逃げることを選択したということは、犯人の安全を優先したとしか思えない。すなわち、美耶子の他にいる第三者の存在を想定しているのだ。


「ちょっとまて。それって、俺らがヤバいってことか?」


 眞仁が全てを言う前に、智蔵太は懸念する危険を正しく認識していた。眞仁は智蔵太に頷く。


「美耶子さんが言うには、悪鬼は人間に物理的な手出しができないから、犯人の方が直接の脅威なんだって。でもそれって、やっぱり危険だよね」

「でもそんなの、引き下がれるわけないじゃない」


 これ以上の深入りは危険を伴う。そう訴える眞仁だったが、一切を聞いてもなお拒否をしたのは久咲だった。その表情に目を遣って、智蔵太が場を仕切る。


「一度確認しよう。乗り移っているのか操っているのか知らないが、悪鬼と殺人鬼は手を組んでいる。更に美耶子さんと行動する俺たちに気付いた可能性もある、と。つまり俺たちは善意の第三者、遺体の第一発見者なだけでなくて、ヤツにとって邪魔者だって認識されてんだな?」


「うん、可能性があると思う。美耶子さんは被害者の魂を救いたいと言っている。そのためには悪鬼から頭を取り返さなきゃいけないから、悪鬼と殺人鬼を追いかけることになるよ。僕らに何ができるかわからないけど、近づけば向こうだって黙っていないよね」


「お前らそれで良いのか? 鬼だの悪魔だの、訳わからねえぞ。逆に何もしなければ向こうだって俺たちのことなんか知ったこっちゃねえ。危険はないんだぞ」


 智蔵太は皆の顔を見回した。いつになく真剣な表情だった。眞仁がはっきり言い難いことを、こうして言葉にしてくれる彼がとてもありがたい。


「あら、怖いなら智蔵くんはいいわよ」

「眞仁を巻き込んだ原因は俺だ。皆は止めたっていいって言ってんだよ」


「…サキがこれだもんな。乗りかけのタイタニックだよ」

「沈没確定じゃねーか」


 意味だけは伝わるような、伝わらないような言い回しで久咲を追認する久志に、智蔵太が突っ込む。


「ですね。せっかく真理の一旦を覗けるのです。降りれません!」


 佐久良も胸に野望を抱いて参加を表明する。決意を嬉しく思いながらも、それでも困ってしまうのは眞仁だった。


「でも、一体どうすれば」


「眞仁くん。向こうがこちらの存在に気づいているってことは、次は姿を隠すか、排除に動くかよね。犯人が大事だからこそ逃げたとしたなら」

「うん、次は襲われるかも。それを懸念しているんだけど…」


「じゃあ話は簡単なんじゃない? おとり作戦よ。もし超絶美少女に隙があったら、襲いたくならないかな、なんて」

「は、久咲お前何を言って…」


 智蔵太の目が驚きに開かれる。


「あら、私これでも殿方に人気があってよ?」

「ロリコン相手じゃ効果薄いんじゃね?」


 わざとらしくしなりながら片手で髪を流す久咲。そんな彼女に呆れたのは久志だ。


「なら佐久良ちゃんが… って冗談は置いといて。私ならバッチリ見られていると思うの、適任よ。返り討ちにしてあげるわ」


「でも久咲さん、犯人の顔は美耶子さんしかわからないんだし、いくら何でも危険だよ」

「似顔絵描いて貰えば?」


 その場の全員が動きを停止し、視線が久志に集まった。何気ない一言がもたらした空気に狼狽えたのは久志の方だった。


「あれ、変なこと言った?」

「天才か」「天才ですね」


 智蔵太と佐久良が賞賛の声を並べる。


「眞仁、美耶子さんは呼べば来るのか?」

「どうだろう… いや、大丈夫みたい」


 辺りを見回した眞仁の目に飛び込んだのは、いつの間にか座っていた美耶子の姿だった。空いていた椅子にちょこんと腰掛けながら、いつもの無表情で皆の顔を見渡している。いつから会議に参加していたのか。その辺りは眞仁にも謎である。


「美耶子さん、犯人の似顔絵って書けるかな?」

(かんはる)


 眞仁はコックリさんとは別のアプリを立ち上げた。描いた文字や絵を写真として保存できる機能がある。本来は撮影した写真に飾り付けをする目的らしいが、美耶子とのコミニュケーションの一助になればとダウンロードしておいたものだった。

 自分の用意の良さに感心しながら美耶子に画面を差し出すと、早速見えない何かが画面に線を描いていった。


 スマホのスクリーンに伸びる線は卵状に湾曲し、顔の輪郭を形作った。次いで帽子、メガネ、口が描かれて…。


「何よ、この園児の落書きは」


 ムッとした美耶子が久咲を睨んだ… 気がした。眞仁も改めて画面を覗き込むが、確かにひどい出来である。


「画伯だなー。いやまて、これは逆に味わい深くも?」


 顎に手を当てて感じ入る久志。発案者であるのにヒトゴトどころか、むしろ煽っている。キッと美耶子が久志を睨む… 気がする。


 眞仁は口に出すほど愚かではなかったが、この案は失敗だったと思う。アイデアは良かったのに、肝心の幽霊に絵心がないことは想定外だった。かろうじて人間ぽい何かであることはわかっても、どんな人物だかわかったものではない。


「ふっふっふ。まあまあ皆さん、ここは私に任せて下さい」

 ところが口元を怪しく歪めたのは佐久良だった。よほど勝算があるのか、ない胸まで張っている。


「なんて頼もしいんだ、お前…」

 メガネまで輝く佐久良に感嘆する智蔵太。美耶子の瞳にも好奇が宿った。

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