第23話 過去の事件

 目の前の信号が赤に変わり、度会眞仁わたらいまひとはゆっくりとブレーキレバーを引いた。ヘルメットの中からそれとなく辺りを伺うと…。


 ――居た。


 交差点の対向に居たのは、自転車に跨がり信号待ちをする女子高生。白いセーラー服は夏服だ。髪を後ろで一つに纏め、薄手の制服から覗く腕を天に伸ばしている。眩しげに日差しを遮る健康的な姿。


 しかし季節は未だ春。肌に感じる空気は冷たく、そして彼女は幽霊だった。

 幽霊の周囲だけがゆらゆらと、逃げ水のごとく歪んでいるのは真夏の太陽のせいだろうか。つられて眞仁が仰ぐ空には、太陽の姿などどこにもなかった。


 普段の眞仁なら幽霊の観察などしなかっただろう。常に視線を伏せていて、霊だと気づけば尚のこと視線を逸らしていた。だからまじまじと見ることなどなかったのだが、こうして見ると、幽霊たちは各々の世界で生前の姿を保っているように見える。


 死んだ人間が全て幽霊になるのならば、この世は幽霊で満員になってしまう。なので霊として留まるには理由があるのだろう。何か未練でもあるのか、突然の死に理解が及んでいないのか。


 こうして普段は下げている視線を上げて、努めて姿を探してみると、通学に使っている路肩や林の影、そこら中に彼らの姿を見かけた。今まで無理やり意識外に追い出していたが、なぜ彼らをこんなにも恐れていたのだろう。


 ――たぶん、何も知らなかったから。

 異なる存在が何を考えているのか、全くわからなかったから。 


 ミヤコに意思があるならば、自転車に乗る彼女にも何らかの意識があるのだろう。もしそんな彼女が味わうものが、最後の瞬間の追体験だとしたならば、あまりにも報われない。


 殺害現場で感じた少女の叫びもそうだ。あれは幽霊ではなく地縛霊だとミヤコは説明していたが、そんな違いは眞仁にはわからない。悲痛な叫びを止めるチャンスがあるのなら、止めてあげるべきだろう。しかし…。


 ◇◆◇◇


 春休みに入って二日目、眞仁は智蔵太ともぞうたから呼び出されていた。作戦会議を開くという。

 指定された場所は写真部だ。ノックすると当然のごとく佐久良さくらに迎えられたので、もう実質はオカルト研究会に成り下がっているのかもしれない。


「先日はお疲れさまでした。あの後ミヤコさんとは?」

「うん。話すことができたお陰で、大分事情もわかってきた気がする」


 殺人現場では彼女も不安だったのだろうが、今日は調子も戻っているようで一安心。


「佐久良ちゃん、お疲れー」「かれー」

「諸君、春休みはエンジョイしてるかね」


 成瀬姉弟と智蔵太だ。挨拶もそこそこに皆がパイプ椅子に収まると、狭いテーブルにお菓子が広げられた。そう、こうして学校に来ていても、今は春休みなのだ。

 すると急に真面目な雰囲気に変わった智蔵太が口火を切る。


「さて、早速だが俺たちの成果を報告したい。例の廃屋が建つ前に起こったという事件、突き止めたぜ」


 智蔵太たちが遺体を発見した廃屋――ペンションが建つ地では、かつて大きな事件があったという。幽霊談の元ならこちらだろうという浩一からの言葉を受けて、昨日は久志ひさしと二人、県立図書館で過去の新聞記事を漁っていたらしい。そして該当事件を探し当てたのだ。


「大変だったぜ。古い記録でデータにもなっていないもんだから、丸一日かかっちまった。新聞も縮小版しかなくてな」

「そうそう。あんなに薄いのに重いんだぜ、あれ」

「大変だったポイントはそこじゃねえ」


 ぼやく久志に智蔵太が突っ込みを入れる。察するに記事を探すことに関して久志はあまり役には立っていないはずで、ほぼ智蔵太の手柄であると思われる。


「結論から言うとな、死人が出たなんてもんじゃねえ。驚くほど陰惨な事件だ。なぜ跡地にペンションなんか建てたのか、不思議なくらいだぜ」


 そう前置きしながら、智蔵太はコピーされた新聞の束を出した。

 A3判に複写された紙面はとても小さく、ノミ程の文字が踊っている。新聞は昭和三十七年二月十一日付けで、指し示された記事を苦労して読むと、火事の一報を報せるものであった。


 しかし後日付けの続報を読んでいくと、ただの火事ではなかった事がわかってくる。目を白黒させながら読む内容は、確かに悲惨なものだった。


 新聞から拾えた事件の概要は、おおよそ次の通りである。


 ◇◆◇◇


 ——昭和三十七年二月九日夜半、近隣住民による火災発生の通報を受けて、地域消防団が出動した。


 火元である旅館「鳳凰館」に到着すると、すでに建物の出火は火勢を強め、火は危うく森にも燃え広がろうかという手前だった。旅館本体も宿泊棟も、類焼を免れた部分は一見して見当たらない。すぐに消防署を通じて広域応援要請が出され、山林の防火作業と平行しての消火活動となった。


 迅速な対応で山林への延焼は阻止したが、建物も鎮火した時点で全焼という、まれに見る惨事となったのである。


 しかし消火作業を終えても、消防や警察は未だ大きな不安を抱えていた。というのも、旅館から避難を果たした人間が一人もいなかったのである。


 翌日になり検証が始まると、恐ろしい事実が判明する。当夜旅館に宿泊していただろう客員、働いていた従業員、総勢二十一名もの遺体が焼け跡から発見されたのだった。それも、多くが他殺体として。


 遺体は火災での損傷が酷く、検証は困難を極めている。それでもいくつかは刃物で殺害されていたことが判明した。腕や足、あるいは首が欠損した遺体もあり、凶器と思われる日本刀も焼け跡から発見されていたため、少なくとも一部は殺人であることは確定である。中には傷を負って逃げること叶わず、生きて炎に巻かれたと見られる遺体もあった。


 宿台帳などは全て焼失しているお陰で、個人特定も進んでいない。従業員はともかく、客に至ってはその素性すら判明しない中で、記事が書かれた時点では身元不明のままになっている者は多い。


 そんな悲惨な状態の現場の中には子供の姿もあった。他殺とも焼死とも断定できない小さな遺体は、しばらくしてから特定された家族連れの宿泊客である。


 那須美耶子なすみやこ(十二歳)。

 那須章一しょういち(十歳)。


 一家は家族四人で鳳凰館を訪れており、二人は正面ロビーに近い位置から見つかった。両親と推定される遺体は宿泊棟にあり、双方ともに他殺体だった。凶器の日本刀は正面玄関から発見されていたが、子供が十数名もの大人を斬殺したとも考えられず、凶器との関係性はわかっていない。


 結局のところ、捜査は部外者(あるいは未だ身元特定に至らない宿泊客)の犯行であり、旅館内の人間を殺害後に、館内に缶入りの灯油を散布。厨房から出火させ、凶器を捨てて外部に逃れたと推測された。


 子供二人はいずこかに隠れて犯人をやり過ごした後、表に逃れようとした時点で火災に巻き込まれて死亡したと考えられている。


 容疑者の名前は挙がらず、事件は未解決となっている——。


 ◇◆◇◇


「二十一人って、そんなに大勢が亡くなっていたの!?」


「な、幽霊くらい出てもおかしくないだろ」

「でもどうして、そんな大事件を知らなかったのかしら」


 予想以上の大量殺人に驚く久咲は、得意げな久志を無視して耳にした覚えのない事件を訝しんだ。


「あのペンション、名前何つったっけ。キャビンデラフォーレだったか。鳳凰館からキャビンだぜ。年寄りは気づかなかったんじゃねえか?」

「あまりにも非道い事件ですから、近隣の人も忘れたかったのかもしれませんね」


 疑問に答えたのは智蔵太と佐久良だ。事件は悲惨すぎて軽々しく語れるものではない。あの辺りは民家も少ない寂しい場所だ。あるいは意図して口を噤む、そういう事情もあったのかもしれない。


「でもさ、これで幽霊の正体は確定したろ」

「那須美耶子…」


 久志の言葉を受けて、眞仁は名前を呟いた。ミヤコと名乗った幽霊は、昭和三十七年に死んだ美耶子という少女で間違いないのだろう。


 両親を斬殺され、周囲が次々と殺される恐怖の中で殺人者から身を隠し、挙句弟の手を引いて逃げる最中に火に巻かれて命を散らした。十二歳の少女が。それではあまりにも悲惨すぎるではないか。眞仁は彼女が味わったであろう恐怖と絶望を想像して戦慄する。


 …いや、彼女は悪鬼に殺されたと言っていた。ならばそれだけの命が、悪鬼によって狩られたということか。

 詳細こそ解らないが、彼女自身だけでなく両親や弟までも殺されているのだ。彼女の小さな体に宿した憎悪は、怨念は、如何ほどのものだろうか。

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