第14話 神様の正体

「最近は物騒な事件が多いわねえ」


 食事の支度を終えた仁美ひとみが、テレビ画面を見ながら独りごちる。流しっぱなしのニュースでは、都会で起きた無差別通り魔事件が報道されていた。


 今日は珍しいことに、祖父も食卓についている。強く雨が降り続く窓から目を戻し、穏やかな顔に険しさを浮かべた。


「…乱暴な事件が増えた印象はあるな」

「通り魔事件は前からもあったけれど、今年になってからもう四件目よ?」


 そう聞くと眞仁も不安になる。乱暴な事件が増えた、という祖父の見解には賛成するところだ。今話題になっている通り魔殺人に強盗殺人。今回、廃屋で起きたような猟奇殺人。ほぼ毎日のように大きな事件が起こっている。


 あれだけセンセーショナルに報じられていた廃屋の少女遺体遺棄事件は、今日はニュースにも一切挙がらず、そんな事件はなかったかのように忘れ去られていた。


 今でも刑事の浩一こういちは事件解決のために不休で奔走しているはずだ。その娘である環奈は父親に会えずに寂しい思いをしているというのに。

 隣に座る環奈を気遣うと、ニュースの話題など我関せずと豚カツを頬張っていた。


「事件のこと、浩一は何か言っていたか?」

「犯人の見当はまだ何もだけれど、車をカメラで探しているから時間の問題だって」


 祖父の質問に答える眞仁。すると仁美が重幸しげゆきに要らぬ報告を始める。


「昔、眞仁がこっちで迷子になったことってあったじゃない。眞仁ったら、その時のことを覚えていないんですってよ」

「それは、小さかったから仕方がないだろう」


 本人を目の前にしてこれである。眞仁は当時、事件現場であるあのペンションで迷子になったらしい。おそらく相当な心配をかけたのだろうが、何も覚えていない眞仁には肩を竦めることしかできない。


「お兄ちゃんが迷子になったの、小さいとき?」


 環奈はしっかり昨夜の話を覚えていた。ここぞとばかりに話に食いつく。


「そうよ。環奈ちゃんよりも小さい時ね。何事もなかったからよかったけれど、環奈ちゃんは誰にも言わずに外に出かけるなんてしちゃ絶対ダメよ?」


「環奈は迷子になんてならないよ。お兄ちゃんはどうして迷子になったの?」

「…ごめん、本当に覚えてないです」


「ところで、幽霊の件は大丈夫か」


 祖父の質問に、眞仁は豚カツに伸ばした手を止めた。気にしてくれていたのだ。


「うん、信じて貰えるかわからないけど、今日は幽霊と話すことができたんだ」

「あらやだ。あなた見えるだけじゃなかったの」

「コックリさんってやったことある? あれをやってみた」


 驚く仁美。もちろんコックリさんは知っているのだろう。コックリさんって何? と聞く環奈に説明をしてあげている。


「コックリさんか…」


 対して難しい顔で呟くのは重幸だった。眞仁は急に心配になる。コックリさんは低級霊を呼び寄せると聞いたことがある。危険な霊を呼び寄せて、取り憑かれたなんて話は怪談の定番だ。


「それで、一体何を話したんだ?」

「うん、幽霊の名前はミヤコさんっていうらしい。事情はよくわからないけれど、助けてほしいって」


 普通なら眉唾物の話だろうと眞仁は思う。しかし祖父も母親も目を見張りこそすれ、眞仁の言葉を疑う素振りがない。そのことに眞仁は大きな安堵を得る。


「何を助けるの? どうして欲しいのかしら」

「そこがまだわからないんだ。困っているらしいし、助けたいんだけど」


 幽霊は首が必要だと言っていた。首とは殺された山崎二亜やまざきにあの頭部で間違いないと思う。犯人が持ち去ったのか遺棄されたのか、いずれ警察の仕事である。

 頼まれなくても浩一が必死に探しているのだが。


 彼女が眞仁に憑く理由。それは彼女の代弁者だろうか。他の人には足らず、眞仁にしか適わぬことがあるならそれだ。それ以外に眞仁の取り柄など皆無である。幽霊が見えることが取り柄というのもどうかとは思うのだが。


「…ねえ、おじいちゃん。幽霊は神様の元だと言っていたけれど、神様もあんな具合に存在しているのかな」


 幽霊はミヤコだと名乗った。彼女が廃屋からやってきた幽霊だと知っているが、仮にミヤコが神を騙り、それなりの言葉で飾ったのなら、知らない人はどう思うのだろう。そんな疑問が湧いていた。


「それは難しい質問だな。神様が姿を持って存在するか、と問われれば目に見える形で存在するとは言えないのだろうな。だからこれは個人的な考えなんだが… 儂はな、神様の一部は実際に存在していてもおかしくないと、そう思う」


「どういうこと?」


「昨日も話した通り、神社で祀られている神様は、神話に出てくる神様ばかりじゃない。古事記や日本書紀に名前がある有名な神様の他に、怨霊、あるいは歴史上の偉人を祀る。どの文献にも記述がない、来歴不明の神様が祀られている神社もある。神様の種類は千差万別だ」


 眞仁は頷く。今まで家業に疎かった眞仁だが、大きな神社から小さな祠まで、様々な神様がいるであろうことは想像に難くない。


「でもな、当たり前のように祀られている神社が本当は何を祀っているのか、よくわからない場合もあるんだ。眞仁は神仏分離令しんぶつぶんりれいって知っているか?」


 眞仁は首を振る。言葉自体は聞いたことがある気もするが、祀っている神様がよくわからないとは、一体どういうことなのだろう。


「日本に仏教が入って勢力が大きくなると、古来信仰されていた神様の正体は、お釈迦様だという考えが広まった。天照大神の正体は大日如来だいにちにょらいだ、という感じだな。だから神社においても、神様と仏様を厳密に区別をしてこなかったんだよ。神様仏様、って言うだろう。まさしくその世界だな」


「神様の正体が仏様?」


 眞仁は驚く。神様とお釈迦様が同じだというのは乱暴すぎやしないだろうか。いや、天照大神の正体が大日如来だということは、神様が下で仏様の方が上位だという考え方に他ならない。これでは失礼を通り越して、無礼というものだろう。


「今では考えられないかもしれないが、実に千数百年もの間、神社とお寺は明確な区別がなかったんだ。それが明治時代になって、さてあなたのところは神社なのか、お寺なのかはっきりしなさい、という命令が下った。これが神仏分離令だ」


 意外な話に眞仁は目を剥く。神社というのは昔からそこに、変わらぬ姿で存在しているものだとばかり思っていた。祖父の話の通りなら、今ある神社の存在とは。


「そこで今まで祀っていた神様が、神様か仏様か、どこの誰を祀っているのか決める必要に迫られた。中には千年の間に何を祀っていたのかわからなくなったり、お寺が神社に変更したケースもある。わからないから適当な神様を祀っていることにした。簡単に説明するとそういうことが起こったんだ。だから」


 重幸は微かに笑う。


「本当は何を祀っているのかわかったもんじゃないんだよ。例えば眞仁は幽霊が見える。その姿が亡くなった縁者なら、正に幽霊なんだろう。しかしその正体を知らずに祀ってしまえば」


「神様になる。そういうケースがあるっていうこと?」


「これは儂の勝手な考えだから、真実じゃないぞ。でも幽霊が悪さをするから祠を建てて祀り静めた、としよう。時代が下って、神仏分離令によって神様の名前を報告する必要に迫られる。ところが祠の来歴なんて誰も覚えていない。もし記録があったとしても、有名人でも何でもない名前を報告したって、有り難みなんてないだろう。そこで聞き覚えのいい神様の名前を借りたなら、由緒正しい立派な神社のできあがりだ」


 祖父の目は楽しそうに笑っていた。おそらく極論を語っているのだと眞仁は悟る。しかし本当にあってもおかしくない話だ。


 神様の元は幽霊だという祖父。その意味するところを完全に理解できた訳ではなかったが、ここ数日の間で幽霊を身近に、冷静に考えることができるようになっていた。先ほど危惧した通り、もし幽霊が神様の名前を騙ったら、騙されることだって起こりえるのだ。


 眞仁と祖父の話には入らずに、幼稚園での話を聞いていた仁美が、こちらの話が一段落したのを見て眞仁に訪ねた。


「それで眞仁はどうするの。その幽霊ちゃん」


 仁美は眞仁に憑いているという幽霊を受け入れているように見える。話してみると祖父もそうだが、母親は最初から疑う素振りがなかった。


「…もう少し話をしてみたい。彼女の正体も知りたいし、まだ知らなきゃいけないことがある気がする」

「そう。確認するけど、危ない様子はなかったのね。それなら止めないけど、一つだけ約束して。環奈ちゃんのいる場所でコックリさんは禁止します。いいわね」


 意外に強い命令に鼻白む眞仁だが、母親はコックリさんを危ない行為だと認識しているのだろう。


「なんで環奈はダメなの」


 禁止と聞いて拗ねる環奈は、仁美に文句を言っている。しかし相手がミヤコであろうとも、コックリさん怪談を知る眞仁としては、これに関して否はない。


「うん、わかったよ」


 拗ねる環奈を宥めながら、眞仁は素直に頷いた。

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