第10話 独白2
男は不機嫌だった。
少女と二人だけの新しい、刺激に満ちた生活を始めて数日間。しかし二人の関係は、唐突に様相を変えた。
いつものように冷たい彼女に口づけし、愛撫で優しく温めほぐしながら、二人で味わうエクスタシー。その興奮が一段落して彼は気づく。彼女の発する酷い匂いに。
今までも彼女は臭かったが、それは決定的な欠点と思わない。
むしろ甘美ですらあり、彼女に対する気持ちを一段高く導いていた。恥ずかしい臭気すら隠すことなく、全てさらけ出す彼女に対し、崇高な愛すら感じていたのだ。
しかし今夜は少し違った。甘やかだった臭気は濃度を強め、垢じみた匂いが加わると、
男は昔、別れた女のことを思い出す。
彼女とも最初は上手くいっていた。彼女は俺の全てだと思ったし、彼女も男の手を取って、私の全てだと語ってくれた。ああ、幸せとはこういうものなのかと、その時は暖かさが心の中を満たした。
そんな幸せは単なる幻想、嘘っぱちだと理解するまでは。
家に帰れば彼女が居て、一緒に酒を飲んでは下らない話で笑い合う。同じ布団で互いの暖かさを貪りながら、仕事に出る時はキスをして、行ってらっしゃいと互いに笑顔を向けてから、ドアに鍵をかける。
そんな生活も欺瞞だったのだ。
次第に会話は少なくなり、夜寝るときは邪険に扱われるようになった。何を言ってもつまらなそうな顔をされ、男も何も言わなくなった。
ある日家に帰ると、部屋にあった荷物は消えていた。テレビまでもなくなっていた。あの日ガランとした冷たい部屋の中で、俺は怒っていたのか、喜んでいたのか。
その時の感情は十全に思い出せないが、悲しんでいなかったことは確かだ。ただ、結婚まで誓った女性に裏切られたという思いだけが残った。
この女も同じだ。最初はあれだけ嬉しそうな顔をしたのに。あれだけ愛し合ったのに。今は俺を邪険にし、拒絶しようとしさえする。
嫌な匂いを立ち昇らせながら、この匂いに耐えられるかと、俺を試そうとしてやがる。まるであの時の彼女のようではないか。
男は明りの乏しい夜景から目を戻し、少女を振り返った。
テーブルの上から知らぬ顔で、黙りこくったまま外を見ている。陶器のように白かった肌は黒くガサつき、濁った目は男の顔すら見もしない。
この女もこうやって、俺を裏切り見下すのか。あれだけ愛したのに、甘い時間を過ごしたのに、俺を詰って出て行くのか。
そして新しい男のもとへと走り、心にも無い愛を囁くのだろう。この淫売め。
積もるイライラを胸中に押しとどめ、少女から目を外した男は、押し入れをがらりと開けると、奥に押し込んであったプラスティックのコンテナを引っ張り出した。
中に入っていたガラクタをぶちまけると、少女の髪を掴んで入れた。
台所から焼酎を引っ張り出し、頭の上から注ぎ始める。一本、二本。まだ足りないが、それでもアルコールの香りで纏う異臭が紛れた気がして、男はようやく満足した。
あと二、三本も足せばいい。そうすれば彼女はまた輝きを取り戻すだろう。俺に笑顔を向けてくれるだろう。
ケースの中で、揺蕩う彼女がゆっくりと上下動する様を夢想する。こんな安物のコンテナではなく、彼女にはもっと立派な入れ物が似合うだろう。水槽なんかが良いかもしれない。
想像を膨らませながら、野生じみた熱が下腹部に集まると、頭の芯で鈍い頭痛が始まった。脳の一部が鉛となって、ずしりと重くなったように感じる。
男は度々こうした頭痛を経験していた。しかしこの頭痛は、彼にとって嫌なものではない。頭に
悩んだり、決断を迫られたり、逆に激高して何も考えられなくなったとき。頭部に巣くう鉛のごとき重さが、男へ何事かを囁いてくれるのだ。内なる願望を言葉にし、導く指針となってくれる。
そして男は聞いた。鈍い痛みの中から囁く声を。心底欲している願いをくみ取り、模糊として姿の定まることのなかった思いを言葉にする。
内なる言葉を聞いて、男の口はニヤリと歪んだ。
単純な話だった。簡単な話だったのだ。内部から囁く声が、悩むまでもない明確な答えを口にする。
一度言葉になってしまえば、そんなものは至極簡単で道理な回答。当然の帰結。
彼女がそっぽを向いたのなら、彼女の愛が失われたならば。
また新しい彼女を作ればいい。
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