第25話 おとり作戦
隣では
とはいってもここは地方都市の、さらに中心部から外れた商店街である。人通りはほぼなく、シャッターに堅く閉ざされた店舗の方が多い。いわゆるシャッター街なのである。歩道を覆う屋根にも錆が浮き、所々に突き出たビニールの飾りは煤けている。かつては賑わったであろう商店街だが、そんな時代が本当にあったのかと智蔵太は疑問に思った。
離れた位置から見守る二人を前に、和菓子屋を覗いていた久咲と佐久良は、手にどら焼きを買って出てきた。華やかに響く笑い声はなるほど女子高生らしい。しかしパフェでもタピオカでもないところが少し悲しい。
「なあ、犯人現れると思う?」
注意するべき人通りも途切れ、久志が気の抜けた声で尋ねる。そもそも過ぎる車はあれど、歩く人など殆どいないのだ。
「さてな。偶然なんて期待はできないが、事件現場に近い場所で、人通りが期待できるのはこの辺りだけだ。今日のところは久咲の気の済むように付き合うしかないだろ」
智蔵太は手元の写真を覗き見た。
正に写真。今どきデジタルデータではなく、昔ながらの感光紙。それには決して鮮明とは言えない白黒の人物が写っている。帽子を被り、メガネを掛けた人物だった。
◇◆◇◇
佐久良が自信満面に部室の一角から取り出したのは古いカメラだった。今時デジタルカメラではなく、フィルムを使うアナログカメラだ。説明によるとオートフォーカスすら付いていない年代物らしい。智蔵太にとっては初めて見るような代物で、本当に写るのかどうかも怪しく思われたのだが。
佐久良の案は、念写を利用するというものだった。
念写とは、心に思い浮かべた事柄を感光紙に焼き付けるという、いかにも怪しい超能力のことを指すらしい。言葉自体が初耳だった智蔵太には、心霊写真の比ではないほど奇妙な方法にも思われた。
美耶子は幽霊なのにも拘わらず、スマートフォンなら楽に扱えるらしい。しかし佐久良曰く、念写をするならアナログの方が親和性が高いだろうということだ。ポラロイドカメラがあれば確実なのですが、と佐久良はいっていたが、何がどうして確実なのか智蔵太にはわからない。
しかし藤井佐久良。妙な人物がいたものである。一見大人しそうで可愛らしく、中学生に見紛う程に小柄な外見をしていながらも、超絶元気で物事にも動じない。オカルト方面に偏った知識も豊富なようだ。
次から次へと起こる不可思議に智蔵太の心は一杯一杯だったのだが、佐久良は楽しんで対時しているように思える。とても頼もしく感じるのである。
ともかく、たっぷりと時間をかけて美耶子が念写を試みると、はたして念写は成功した。仕上がったプリントはピントも甘い、いかにもボケたような写真ではあったが、つり上がり気味の目や割と整った鼻など、人物の雰囲気は十分に伝わるものだったのだ。
四角いメガネをかけた男は印象で三十代。クラス担任ほど老けては見えないので、幅をとっても四十前半といったところだろう。どこにでもいるようなあまり特徴のない印象の男だが、だからこそ子供に近づけるのかもしれない。
ついでに心霊写真を撮りたいという佐久良が、眞仁の指示に従ってシャッターを切っていたが、そちらの写真には何も写っていなかった。どういう原理なのかこれも謎ではあるのだが。
◇◆◇◇
斯くして、久咲が提案するおとり作戦を決行してみることになった。しかしどこなら犯人の目に止まるのだろうか。
二つの殺人事件を見るに、犯人が遠く離れた行きずりの人物とも思えないので、生活圏は割と重なる可能性が高いと思う。更に第二の殺人事件では、犯人は再び現場へと顔を出しているのだ。
ならば第二の殺人現場を中心に、生活圏や公園など、犯人が目を向けそうな場所をあたってみようというのが全員の意見だった。
そこに美耶子が同行し、運良く何か引き当てることが出来たならば、また新しい展開が開けるかもしれない。今日はこの先の公園までが予定のルートである。
「犯人が現れた方がいいのか、現れずに二人が無事公園に着くのがいいのか、俺には良くわかんねえよ」
女性陣とのつかず離れずの距離を確保するため、電柱の陰から歩み始めた智蔵太が呟く。
「今は幽霊ちゃんもサキの近くに居るんだろ?」
「そういう話だが、何しろ見えないからな」
「あれ、智蔵は見えんじゃないの?」
久志が意外そうな顔を向けた。確かに智蔵太は廃屋で一度、その晩にも一度。美耶子の姿を見ている。しかしこれらは一瞬だったので、割とまじまじと姿を見たのは写真部でのことだ。
その時は目の前で幽霊の頭が転がり落ちた。彼女の過去を知ったお陰か、流れで普通に接している雰囲気になっているが、あれはかなり衝撃的なイメージでもあり、智蔵太は思い出したことを後悔する。
「ふとした拍子に見える事もあるんだが、眞仁ほどには見えないらしい」
「あ、そう。ところで幽霊ちゃんって可愛いの?」
「…そこ重要か?」
思わず久志の顔をまじまじと見てしまった。今思い出して後悔したばかりのイメージが、脳内で再びリフレインする。
「もちろん重要だろ。幽霊萌えとかあるかもしんねえじゃん。この場合ユウデレ?」
「知らねえよ。美人っぽい気もするが、十二歳だってことは新聞に書いてあっただろ。あれは無表情だし割と怖いぞ。それにな」
智蔵太は思わせぶりに溜めを作る。たっぷりと。このバカにも恐怖を与えてやらねば気が済まない。
「…俺の足下に、首が落ちて転がってきた」
「そりゃ怖いな。そうか、ロリか…」
久志に怖がる素振りはない。しかもズレている。こいつも大物なのかもしれないなと、思惑が外れた智蔵太は呆れるしかない。
◇◆◇◇
眞仁は公園のベンチで目を光らせながら、久咲たちの到着を待っていた。もちろん、この公園に写真の人物が出入りしないかを見張っているのだ。
手に持つ写真を伯父の浩一にも見せようかと、眞仁はそう考えるのだが、果たして浩一は真剣に受け取ってくれるのだろうか。
写真は幽霊の念写である。冷静に考えれば、これが犯人だという証言も幽霊のものだ。しかも確証は、この人物に鬼が憑いているからだという。
軽く考えても鬼、幽霊、念写のトリプルコンボ。幽霊の念写という強力な不可解ワードに眞仁でさえも目眩がする思いなのだ。刑事である浩一がマトモに取り合ってくれるとは到底思えない。しかし何しろ犯人の顔である。捜査においてこれ程有益なツールもないだろう。ならば。
——やはり隠しておく手はないな。
そう眞仁は結論づけて、しかしどう説明しようかとため息をついた。
すべり台にシーソー、ブランコに鉄棒と、一通り揃ってはいるが簡素な公園には、事件の影響なのか子供の姿は一人だけ。ブランコに乗る親子が一組いるだけだ。右手にはトイレがあって、入り口付近の照明の下に佇むのはトートバックを持った若い女性。しかしこちらは幽霊だった。時折顔を上げて公園の入り口を伺う素振りをしているが、足は止めたまま動く気配がしない。
一目で全てが視界に入るほどの公園であり、むしろベンチに座って目を光らせる眞仁が一番の不審者だ。
幽霊の存在さえ無視するならば、目の前にあるのは静かで平和な光景。しかし県道を渡って住宅地を抜けた先は、殺人現場である菖蒲が丘団地の坂道へと繋がっている。いわば近隣で殺人事件があったばかりの厳戒体勢下であり、大人や子供たちも十分な警戒をしているはずだ。
日常から一歩外れただけで遭遇してしまう非日常。先日も感じた境界線の曖昧さに、眞仁は再び奇妙な感覚を覚えた。
久咲の姿を待ちながら、視界の端にいる幽霊を観察してみる。彼女も誰かを待っているのだろうか。美耶子と会話が出来たように、聞けばここにいる理由も話してくれるだろうか。
何時からあの場に居て、何時まで居るのか。待ち人は彼氏か友達か、或いは子供か。彼女にも相応の理由があってそうしているのだろうから。
――この世に未練があるのかな。
しかし未練もなくこの世から去る人間がどれだけいるのか。だから未練があるだけで幽霊になる訳でもないのだろう。
今までは忌むだけだった幽霊の存在を、幽霊たちの事情を今の眞仁は気にしてしまう。どうして美耶子が幽霊となっているのか、機会があればその辺りの事情も聞いてみたい。もし眞仁にできることがあるのなら。
――僕にできること、か。
美耶子との会話を思い出す。
死んで、と美耶子は言った。環奈の口を借りて。
かつて美耶子を助けたという、眞仁の力を発揮するには肉体が枷になると彼女は言う。そうは言うが、美耶子ですらわからない力じゃなかったのか。
正直なところ、自分に何かしら特別な力があるとは思えない。せいぜいが幽霊を見るだけの眞仁にとって、眞仁自身に何の力もないことは、自分が一番良くわかっている。眞仁には頭も体力も、自慢するような特技すらないのだ。
そんな眞仁がただ幽霊となるだけで特別な力を得るなどと、どう考えても間違いだろう。本当にあれば嬉しいが、あなたには隠された才能が、と言われたところで素直に納得できようか。
死ぬのは怖いが、この世に特別な執着もないというのが眞仁の本心だ。
眞仁には夢も、実現したい野望もない。苦しいのも痛いのも嫌だが、しかし死そのものはいつかは訪れるものなのだ。ならば特別忌避するのもおかしな話だろうと眞仁は考えている。
だから死んで何かの役に立つのならばそれでも良いのだ。自分の死が役に立つ、その一点さえ本当ならば。ただし眞仁の死は環奈を悲しませることになるだろうから、それが眞仁の持つ最大の枷なのである。
ふと、美耶子のことを信頼する自分を可笑しく思う。幽霊が語る眞仁の才を、彼女の言葉を百パーセント信用し切れないくせに、少なくとも自らの死を考えてみるほどに。
表通りに繋がる道から、歩み来る女性たちの姿が見えた。久咲と佐久良が無事だったことで、眞仁は思索していた意識を戻した。
二人の姿に並ぶように、美耶子の薄い体も歩いていた。もし悪鬼が人知れず近づいたなら、その気配を察知できるかもという眞仁の要請に従ってくれていたのだ。
姿こそ朧気で儚いが、ちゃんと二本の足を動かして並ぶ様は、まるで仲の良い姉妹か友達同士のようにも見えた。微笑みながら、二人と幽霊を迎えるために眞仁は立ち上がる。
「お疲れ様。無事で良かったよ」
「商店街の和菓子屋さん、ビックリするくらいどら焼きが美味しいのよ。ねえ、佐久良ちゃん」
「ええ、アンコが絶品でした。こちらも特に変わったことは?」
「なかったよ。公園に不審者は…」
何気なく園内を振り向いた眞仁は気付く。街頭の下に佇んでいた幽霊が、こちらに顔を向けて伺っていた。しかし何をするでもなく、すぐに顔を伏せてしまう。
同類である美耶子を気にしたのだろう。二人が知り合いだとも思えないが、もし幽霊が鉢合わせをしたら、挨拶くらいはするのだろうか。眞仁は言葉を聞けないが、幽霊同士が会話することがあってもおかしくはないだろう。
「どうしましたか、先輩」
幽霊に気を取られた眞仁に、佐久良が不審な顔を向ける。
「いや、何でもないよ。ただ… 幽霊がそこに居るんだけれど、彼女が美耶子さんを気にした様子だったから」
「なんと、どこですか?」
目を輝かせてカメラを取り出す佐久良とは対称的に、平静を装いながらも目を泳がせている久咲。
顔を背けた先には美耶子が立っていて、結果二人でバッチリと見つめ合う格好になっているのだが、そのことについては指摘はしないでおこう。
「どんな人、美人?」
いつの間にか顔を出した久志が興味を持つ。どうだろう。顔はハッキリとはわからないが、雰囲気は割と落ち着いた感じではあるまいか。
「だからお前、美人だったらどうする気なんだよ」
「だって気になるじゃん。幽霊ちゃんはロリだって話だし、アウト?」
「幽霊自体はインコースだったのか」
智蔵太は脱力する。美耶子にも内容は理解できた様子で、ムッとして久志を睨み付けていた。ロリと言われたことか、アウトと言われたことなのか。まあどっちでもいいや。
「我が双子の弟ながら、何でこんなバカなのかしら」
「そうは言うけどさ、サキ。友達になれたらトイレだって怖くないんじゃね。夜中一緒に付いてきて貰えばいいじゃん」
「それをバカって言うのよ!」
こうして今日の作戦は無事、空振りに終わった。
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