第32話 刑事たち

 管轄を接する隣市において、首無し少女の遺体が発見された。そのショッキングな一報が捜査本部にもたらされたのは、会議が始まる直前のことだった。


 海に落ちたと目される男性の遺体を引き揚げたところ、事件性ありとの報告を受けた所轄の捜査員が、現場に臨場りんじょうした矢先の発見だったという。

 度会浩一わたらいこういち米島よねしま警部補は、状況確認のために現場へ向かう指示を受けた。連続殺人の三件目となれば、今後は管轄を跨いだ合同捜査となるだろう。連携して捜査にあたる必要があるのだ。


 会議の終了後。しかし浩一は捜査課長に呼ばれた米島を尻目に、密かに熱田あつた警部補の島へと赴いていた。懐には眞仁まひとから預かった例の写真。


「熱田さん、お訪ねしたいのですが。ひょっとしてこの人物を見たことはありませんか」


 熱田の班は地取り捜査の任についている。地域住民への聞き込み捜査を主体とした班だ。偶然に犯人と接触する可能性があるならば、彼と部下たちが有力だろう。

 辺りの目を伺いながら、こっそりと出された写真を一瞥すると、恐ろしい目が浩一を見据える。熊のような体格をした熱田は、その威圧も人外のものだ。鬼の熱田と影で囁かれる所以ゆえんである。同じ警官にもかかわらず、浩一は身の震える思いを味わった。


「見ねえが、何者だ」

「…素性は私にもわかりません。しかしここだけの話、要注意人物かと」


 熱田はギョロリとした目で周囲を伺うと、誰の注視も受けていないことを確認してから浩一の意を質してきた。


我吾わが、なぜ会議に出さなんだ」

「説明ができない筋からなんですよ。信憑性がどの程度あるのかも。だから、ここだけの話です」

「出せねえって訳か。…こいつは貰っていいんだな」


 短い会話の中で浩一の意図を計り、熱田は素早く写真を懐に仕舞い込んだ。現場一筋の熱田なら、会議で出せない裏の事情も飲み込んでくれる。もちろん浩一にはそうした目論みもあったのだが、熱田は予想以上に柔軟だった。

 浩一は目線だけで礼を伝えると、急いで車両の手配に向かった。


 ◇◆◇◇


 現場へ臨場した米島と浩一を、所轄の捜査員が迎えてくれた。藤堂とうどうと名乗る刑事で、浩一よりも若い人物と思われる。少々神経質な印象を受けるのは、細身のメガネのせいだろう。


 藤堂の話では、昨夜死亡した男、恒田つねだの死因は水死ではなく側頸部そくけいぶ割傷かっしょうだったという。船のスクリューか何か、刃物ではないものによって首を裂いたことが原因だった。

 その原因を探るべく、男が落ちたと思われる場所… 波消しブロックの付近を捜索していた最中に、海面とブロックの隙間に潜り込むように引っかかっていた子供の遺体が発見されたのだ。


「遺体の方は解剖に回しています。写真ならすぐに確認できますが、身元はまだわかっていません」

「捜索願いも無いのかい」


 恒田が転落したと思われる波消しブロックに目を据えて、米島が聞く。少女の遺体が発見されたのは、隣のブロックの下の辺りだ。

 まだ鑑識員がブロックの隙間にトングを差し込み、中に落ちた様々なものを拾い上げている。浩一は作業をする鑑識員に目を遣って、彼の足下に黒い部分があることに気がついた。粘度のある水滴が乾いたような後。あれは血痕だろうか。


「ええ。県下全域にそれらしき願い届けがないか確認しましたが、該当するものは見当たりません。しかし付近の小学校にも何名か、未だ連絡がつかない児童がいるそうです。親にも連絡がつかない状態で、交番や駐在所からも確認を取っている最中です」


「春休みだからな。仕方ないかもしれないが、ちと厄介だな」

「本当に。何しろ…」


 藤堂は言葉を切って飲み込んだ。首がないですから。しかし浩一の心には、そう続く彼の言葉が届いた気がする。

 話しぶりから思うに、藤堂は優秀な警官らしい。そんな彼でも言葉に詰まってしまうのだろう。


「遺体損壊現場はこの先です」

 代わりに藤堂は狭くなる道の先を指し示す。そちらへ足を向ける前に、浩一は質問を挟んだ。


「転落した男、恒田が負った割傷の原因は判明しましたか」

「いえ、そちらもまだです。スクリュー以外であんな傷はできないと思うのですが、該当する船舶もないんですよ。するとやはり殺人かと」

「何かしらの凶器を使ってってことだな」

「加えて、恒田が所持していたはずのクーラーボックスが見当たりませんから」


 釣った魚を入れるボックスの紛失に、恒田の妻が気付いたのだという。


「少女の遺体発見を受けて、改めて通報者にも話を聞きました。恒田がクーラーボックスを担いでいたのを覚えていましたよ。他になくなったものは見当たりません」


「通報者から他に情報は?」


「それが何も。通報者の位置は、丁度あそこに見える防波堤の継ぎ目あたりでした。大きな水音が聞こえて、こちらに注意を向けたところ、先ほどまで釣りをしていた人物の影が見えなかったと。もしや落ちたかと思って急いでここまで来たそうです。波消しブロックの上までは乗らなかったそうですが、他には誰も何も見ていない」


「周囲に誰もいなかった?」

「ええ。助けを求めて見回したそうです。恒田を突き落とした影も、逃げる影も何も」


 藤堂の言い回しは端的だった。そのため余計不気味に思えた。恒田が殺されたのであれば、そこに犯人の影がなければおかしい。ならば恒田が殺されたポイントは、ここではないのか?


「警部補を前に恐縮ですが、通報者の証言が虚偽だとも思えません。辺りは暗いですし、通報者も酒を飲んでいましたから見落としたのかと。事実血痕が… 案内しますが、遺体損壊現場から血痕が、ここまで続いているんですよ」


 ◇◆◇◇


 舗装が古くなった道は上り加減で、割れたコンクリートの隙間からは枯れ草が飛び出ている。道は崖のように切り立つ斜面に沿って、左カーブを描いていたが、すぐに右へと折り返した。

 その入り江状になった辺りに三畳ほどのスペースがあり、奥には小さな祠と、おもちゃのような鳥居があった。


 古い木製の祠が設置された場所は、岩が腰ほどの高さで抉り取られて台座のようになっている。そうして作られたスペースに、祠と鳥居が乗っているのだ。

 素朴で古めかしいが愛らしい。そんな印象の祠の前は、しかしどす黒く濡れていた。

 周囲は風が強いのか、祠の前の枯れ草はどれも草臥れた印象を受ける。その藁色を染める赤黒さが生々しくて、浩一は思わずうめき声を上げた。


「こりゃあ、酷いな」

「この道は旧道です。先は漁港を迂回する新道に繋がっていて、間には何もありません。この通り細いので、車で通る人間はいません」


 米島の呟きに同意するように、張りを落とした声で藤堂は道路の先を指し示す。割れた舗装はガタガタだ。年期の入ったコンクリートの隙間から生えるススキの状態を見ると、確かに利用されていないことがわかる。広さも車幅一台と少し。これではすれ違うこともできない。


「車止めはあるのかい」

「ええ、新道からの入り口にはロープが渡してあります。徒歩や自転車での通行はあるかもしれませんが、車なら新道か、先ほどの場所に止めるでしょう」


「通報者は何も見ていないといったな。するとわざわざ新道から、ここまで移動して殺したってか。意味がわからん。度会、お前さん確か、実家が神社だったろ。何かないのか」


「見立てや儀式にも思えませんが。その場合、他の現場にも意味があることになりませんか」


 ですね、と藤堂も同意を見せる。


 浩一は昨夜の話を思い出していた。子供は神様に属するという話。しかしそれはそれ、これはこれだ。何より首を切る理由がわからない。

 もしくは違う犯人だという可能性はないか。しかしどうにも空気が、印象が同じ気がしてならないのだ。


「子供の体はここから海に捨てられたようです。血痕が残っています」

「目的は首ってことですか。しかし普通首を切りますかね、こんなところで」


「まあ解体するなら自分のテリトリーか、そうでなければ余程の事情があった場合だろう。大きくて持ち運べないとかな」

「高島愛結の場合は殺害現場のすぐ脇でした。ここは人通りもなかったのでしょうが、屋外で斬首する意味がわかりません」


「何にせよ、犯人はわざわざ子供を担いできて、この場で首を切り取った。その意味は何だ。必ず意味があるはずだ」


 首を持ち去る意味もだが、この場を選ぶ意味もわからない。混乱だけが募っていく。途方に暮れた浩一は、カラスの鳴き声を背後で聞いて仰ぎ見た。血の匂いに寄せられたのか、上空で一本だけ突き出た松の枝からこちらを伺っていた。

 背後では開けた海が陽光を受けて輝いている。犯人はここから海へ少女の遺体を投げ捨てた。そして遺体が不幸な釣り人の元まで流れたと、そういうことだろう。


 海だけは見ていたはずなのだ。少女の遂げた最後を。残虐な犯人の姿を。

 なのに、なぜこれほどまでに凪いでいるのだろう。浩一は穏やかに光る海の美しさに、底知れぬ恐怖を覚えた。


 ◇◆◇◇


 被害者の特定は連絡を待つ他ない。藤堂を含めた三人は、所轄の警察署へと移動することにした。

 藤堂の先導で車を発進させると、しばらく黙っていた米島が、ぼやくように口を開いた。


「なあ、そろそろ喋っちまえよ」

「何をです?」

「今朝コソコソしていただろ、熱田と」


 バレていたのか。悪さを咎められる感覚を覚えたのは、学生の時以来かもしれない。


「すいません。隠していたわけではなかったのですが」

「あれ、どこから出た」


「米島さんを信頼していないとか、そういうんじゃなくて」

「そんなことはいいから、どこから出た」


 会話がかみ合っていないことに気づく。米島は写真の存在を知っているのだ。一体なぜ知っているのだ。


「…相談なくすいませんでした」

「構わねえが、どこから出た。言っちまいな」


 こうなったからには米島に隠し事をしていても始まらない。藤堂も聞き知っていたらしいが、そもそも米島に嘘は通用しないのだ。

 閻魔の米島。県警でも通るその二つ名を、今は見込んで話をするしかないだろう。


「…とても信じられない話ですが。私の甥っ子には霊が見えるそうです」


 米島の表情を伺う。覚悟はしたつもりでも、内容が内容だけに理解はしてくれないだろう。唐突な話に眉を上げた米島は、しかし話の続きを促した。


「それで?」

「甥の話では、廃虚の遺体遺棄現場には第三者の幽霊がいたそうです。その幽霊が犯行を目撃していたと」


「例の怪談の正体が、犯人を見たってんだな」


「ええ。なんでも、かつて旅館の火災で亡くなった少女の霊だとか。その少女が犯人を伝えるためにやって来たそうです。あの写真は幽霊が見たという被疑者の姿を念写したものです」


 言い切った浩一は息を吐いたが、米島の表情に気付いて少し後悔してしまう。目を見開いた米島は、運転する浩一の横顔をまじまじと見ていた。


「…やはり信じられませんよね」

 しかし米島は疑う素振りを見せなかった。


「勘違いすんな。お前さんだって悪戯に捜査を撹乱するような真似はしねえだろ。それよりも、本当に甥っ子には幽霊が見えるんだな?」


「そのようです。私の母にも変なものが見えたようですから、その血だとか何とか。実は絡みであと一つ情報が。山崎二亜殺害の翌日、現場に写真の男が現われたのを見たそうです。テレビ中継があった直前だとのことですが、放送局にも当たってみようかと思います」


「ああ、そうしよう。…そうかい、嬢ちゃんかい」


 助手席に体を沈めた米島に、浩一は首を傾げる。嬢ちゃんと言ったが、そこには気になる響きがあった。


「米島さん?」

「…何、古い話さ。俺の親父も警官でな。臨場したんだよ、燃えた旅館の火災現場に。さほど仲の良い親父じゃなかったが、心残りをこの歳になって思い出すとはな」


 毒気が抜けたように呟く米島は、何やら遠くを見ているようだった。確か事件が昭和三十七年だから、米島だって小学生かそのくらいだったはずだ。ならば米島は父親とどんな話を…。


「昔のことだ、忘れろ」

 思いを巡らす浩一にそう言った米島は、いつもの顔に戻っていた。

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