第59話 果たすべき役割
VOICEが政府と講和を結び、感応力者のガイドライン作りを進める中で、サルースと悟はプロジェクトFについても研究を進めていた。
タイプFに感情を与える技術はすでに確立されていたので、問題は感情エネルギーの調達だった。
誰かの感情エネルギーを吸い取れば、蓄積することができる。
実験に参加しようというボランティアも多少はいたし、リナのように、辛さを紛らわせるため、一時的に感情を除去してほしいと頼む者もいた。
前のような間違いを起こさぬため、サルースは対象者の観察が行き届く範囲で、一度に数時間と区切ってエネルギーを蓄積した。
より安全なのは、残留エネルギー、すなわち土地や物に染みついた、既に亡くなった人間のエネルギーを利用する方法だったが、未来の世界では、エネルギーの残留した地域は少なかった。都市の中ではそうしたエネルギーは溜まりにくいし、物質のほとんどはユニットを構成する万能ジェルから循環的に生みだされるため、特殊な思い入れや怨念が物質にまとわりつくことはまずない。
サルースはこの学校に眠っていたエネルギーに目をつけ、絆に集めるよう依頼した。
絆は、学校のエネルギーを集めるかたわら、いわれのある遺品や骨とう品も集めるようになった。髪の伸びる人形や、夜中になると血の模様が浮き上がるとされた着物、そうした奇妙な噂のある遺物には、ペンダントが強く反応を示すものがあった。絆はペンダントを使って、集めた品々からエネルギーを吸いだした。
未来の友人にこころを与えるために。
けれど、そうして集めたエネルギーを未来に送り届けるには、それだけで多量のエネルギーを消費する。
結局、送ったのは三年前、高校を卒業したさくらに、エネルギーを託して未来の世界へ転送した時だけだった。
こころはそのころのことを思いだすと、目を細めた。
「あの時、絆も来てくれるかなって、期待していたんだけどね」
「私だって、そうしたかった。でも……怖かったの」
「まだ400年後の未来は、危険な世界なんですか?」
ナオミが尋ねると、こころは首を横に振った。
「今ではずいぶん状況はよくなったわ。政府とVOICEは正式な都市として認められたし、逃げ回る必要もない。もちろん絶対に安全というわけではないけれど、どんな世界だって、それは同じ。この時代にだって、犯罪や病気、事故、自然災害からテロまで、さまざまな危険があるでしょう」
「それならどうして……」
「そうすれば、二度と戻れなくなる気がしたから」
双葉先生がつぶやいた。
「さくらを送り届けたら、私にはこの時代に戻る理由がなくなってしまうと思った。私は心の一部を、ずっと向こうに残してきていた気がした。なのに踏みだす勇気がなかったの」
双葉先生がぼんやりして見えたのは、そのせいだろうか、と、ナオミは思った。
遠い世界に残した友人たちのことが、いつも心の中にあったのだろうか。
「私も絆のことはいつも身近に感じていたわ。離れていても、ずっと」
こころがそっと言った。
「兄さんもよ」
サルースは、この時代にいたころ、こころや悟に奇妙な実験をさせたことがあった。テーブルへ小さな親指大の人形を並べて、指で押しつぶしてみるようにと言ったのだ。
それは子供用のおもちゃで、実在の人間そっくりに作られている。ユニットの中なら、壊しても何度でも再生することができるから、粘土を壊すように面白がって片端から叩きつぶす子供もいれば、人形とはいえ壊すのをためらう子供もいる。
本人が意識するにしろしないにしろ、見知らぬ人形を壊す時に比べれば、親しい人や憎らしい人の人形を壊す時には、感情が大きく揺れるのが普通だ。
こころがサルースや悟にそっくりの人形を壊した時には、感情に乱れが生じたが、悟の場合はどの人形でも反応を見せなかった。見知らぬ他人の人形でも、こころや自分にそっくりの人形でも、結果は変わらなかった。
あの旅の後、同じ実験をしようと持ちかけられると、悟は断った。
非人間的だというのがその理由だった。
『こんな人形を取りだしたり消したりは、普通の人でもいつだってやっているだろう?』
サルースが説得を続けると、悟は実験に協力したが、こころと絆の人形をつぶすことだけは最後まで拒否した。
『これ以上強要するなら、僕はこの先、実験に二度と協力しない』
そう言い張り、サルースがその人形を机の上から消した時には、顔をそむけた。
測定できる感情がないとしても、それがタイプFとしての親密さの定義であり、感情の代替えなのだとサルースは結論づけた。
「兄さんは、時々この学校へ、絆の様子を見に来ていた。兄さんが何を望んでいるのかは明らかだったけど、あの人は自分では口にしなかった。口にしてもしかたのないことだと思っていたのでしょうね」
でも、と、こころは言った。
「ある時、我慢できなくなって、私が言ってしまったの。絆を連れてきて、一緒に暮らせばいいのにって。そうしたら私も、とても幸せだって」
「連れていく……未来の世界に?」
ナオミはおそるおそる尋ねた。
こころはうなずいた。
「もちろんその時は賛成してもらえなかったわ。呆れられて、怒られた。でも兄さんは、私の言ったことを忘れたわけじゃなかったの。時間をかけて、望みを実現する方法を探し始めた」
政府と交渉して、過去のものを未来へ持ちこむ、研究上の特例を設けた。
動植物を持ちこむ際の検疫についても、科学者と討議し基準を作った。
細菌や虫を研究機関に提供するところから始め、今では過去の動植物を展示する動物園・植物園ができあがっている。
特定の人間を連れだした場合の、歴史への影響を調査するグループも設立した。
むろん、こちらは人権が関わってくるため、反対の声が大きい。だが、特殊なケースでは――たとえば、特殊な才能を持った人間を死の直前に未来へ連れてくることで、寿命を延ばすことができ、その後の人類の発展に大きな貢献が見こまれるような場合には――検討する余地があるのではないかという意見も生まれてきた。
違法な状態で絆を連れだして、逃亡生活を送らせるわけにもいかない。
みんなの見世物になるような真似も避けなければならない。
そうやってひとつひとつ、マイナス要因を消し去り、事実を積み重ねた。不可能を可能にするために。
「この時代と、四百年後の世界は、時空間上で接近しているの。でも、時代が先へ進むにつれて少しずつ離れていく……時空跳躍に必要なエネルギーが少しずつ大きくなって、そのうちに会うことさえかなわなくなる……兄さんはそのことを心配したのだと思う」
どれだけの労力を重ねたのかと思うと、ナオミは気が遠くなった。
「双葉先生は……未来へ行くつもりなんですか」
ナオミは尋ねた。
「ずっと迷っていたの」
双葉先生が、か細い声で答えた。
「未来へ連れていけば、霧島君を助けられる。私もこころと、悟さんと一緒に暮らしたい。でも……」
「霧島さんを……未来に連れていく?」
ナオミは聞き返した。
「こちらで治療するのは難しいけれど……特殊なケースとして申請を出してもらっていたの。未来の世界で治療を受けるって」
「病気が治れば戻ってこられるんですよね」
「分からない」
双葉先生の声が、かすれて聞こえた。
「エネルギーを確保するには時間がかかるし、時代の開きはどんどん大きくなっていく」
ナオミはなぜだか、息苦しくなるのを感じた。
息苦しさを紛らすように、早口で尋ねた。
「未来に行けば、霧島さんは助かるんですか?」
「治療法はあると聞いているわ」
だとしたら。
答えは決まっている。
でも、苦しい。息を吸いこんでも、山の上にいるみたいに、苦しい……
ふいに、辺りの景色が揺らいだ。
若草先生と、白衣を着た悟の姿が現れた。
「結論が出ました。キリシマ・マサオミを未来に連れていくことを許可します」
若草先生が、乾いた声で言い、その場にいた人々を見渡した。
「これは特例です。あなたがたの行為を認めるわけではありませんが、私たちはVOICEとことを構えるつもりはありません」
ただし、と、若草先生は声を張り上げた。
「マサオミを未来へ転送次第、この基地は閉鎖します。これ以上ゆらぎを大きくするわけにはいきません」
双葉先生が目を見開いた。
「それでは、霧島君がこちらの世界へ戻ってこられなくなるわ」
「その件についてはシミュレーション済みです。未来に連れていかなければ、彼は二十歳になる前に命を落とすでしょう。その彼の命を救って、こちらの世界へ戻せば、ゆらぎが大きくなります。でも、そのまま未来の世界で暮らしてもらえば、この世界に与える影響は限定的です」
ナオミの胸がズキンと痛んだ。
やっと分かった。
どうしてあんなに苦しかったのか。
これは、双葉先生が感じた痛みと同じだ。この学校で初めてできた友達を、失いたくないんだ……
嫌だ、霧島さんと二度と会えなくなるなんて、嫌だ……
「どうかお願いです……」
双葉先生が、うるんだ瞳で若草先生を見つめた。
「時間跳躍の装置を壊すのは、もう少し待っていただけませんか。霧島君のこともそうだし、私もこの学校でみんなのことを見届けたいんです。せめて、今の生徒達が進級するまで……」
「認められません」
若草先生は、かたくなに言った。
「そもそもあなたは、未来へ行く必要がありません。生徒達が心配ならば、ここへ残ればいいのです」
「では、霧島君の未来での面倒は誰が見るんですか。二度とここへ戻れないというのなら、彼は家族とも友人とも引き離されたままになってしまう」
「医療機関、あるいは研究所で、適切な人間を見つけることになるでしょう。いずれにしても、あなたはキリシマ・マサオミの保護者ではありません。同行しなければならない理由はないはずです」
「さっき説明したはずだ。彼女が未来に来た場合に、この世界に与える影響と、僕らの世界に与える影響について。僕らはあらゆる状況を想定して……」
悟が言いかけたが、若草先生は頭を振った。
「その話なら覚えています。彼女が400年後の世界に行った際に想定されるプロジェクトのプランについても。たとえば、文化の保全活動や、永遠の子供の世話。歴史の再解釈などには、たしかに彼女の適正が生かせるでしょう。でもそれは、どうしてもフタバ・キズナでなくてはできないものではありません」
若草先生は、双葉先生を見つめ、悟に顔を戻した。
「フリギドゥス・プラーナ。あなたがしているのは権力の乱用です。キリシマ・マサオミの件はともかく、VOICEの幹部のあなたのために、過去の感情エネルギーを無断でかき集めたり、お気に入りの女の子を連れてきたりするために、特例を乱発し続けるわけにはいきません」
「乱用か」
悟がぽつりとつぶやいた。
「彼女でなければならないプランがひとつだけある。プロジェクトFに。その実験の有用性を政府が認めないのならば、これ以上反論のしようがない」
「私は心理学者でも社会学者でもないのでその件については判断できません」
若草先生は、少々おぼつかなげな口調になって言った。
「キズナの身柄がどちらの時代に残るかについて、今のところ、シミュレーションで解析可能な歴史的有意差は検出されませんでした。エネルギーの確保ができたならどうぞご自由に。私は決められた手続きに従って、この基地の閉鎖を申請するだけです。一時間後にまた会いましょう」
黒い箱に乗って、若草先生の姿が消えても、双葉先生はじっとうつむいたままだった。
何を迷っているのだろう、と、ナオミはじりじりした。
やっぱり、優柔不断でいらいらする先生だ。私が双葉先生なら、迷ったりしない。
このままいけば、霧島さんは、命を失う。双葉先生と未来の友人たちは、二度と会えなくなってしまう。選択の余地などないはずなのに。
残された私はつらいけれど、でも、もしーー
もし?
ふと、ある可能性が頭の中にひらめき、ナオミは、はっとした。
「双葉先生――」
双葉先生が顔を上げた。
「私も未来へ連れていってもらえませんか」
そういうと、双葉先生は、驚いた様子でナオミを見返した。
「どうしてそんなことをいうの?」
「だって、未来の霧島さんに、この時代の友達がいたほうがいいでしょう。どうせ私、この学校にいてもしょうがないもの。この世界に、私の居場所なんてない」
双葉先生の表情に、翳が落ちた。
ああ、やめてほしい。この先生は、なぜこんな顔をするのだろう。
双葉先生はため息を漏らすようにつぶやいた。
「私は、あなたに何もしてあげられなかった」
何を言っているんだろう、今さら、と、ナオミは思う。
「先生に何ができるっていうんですか。私、先生に助けてもらおうと思ったことなんてないです。クラスメートに嫌われてしまったのは、私の問題ですから。先生が悪いなんて思いません」
先生は哀しげな顔でナオミを見ている。
「もし私を助けてくれるっていうなら、先生、霧島さんと一緒に未来に連れていってください。新しいところでやり直したいんです。お願いします」
先生が口を引き結び、小さく首を横に振った。
「どうしてですか。どうしてダメなんですか。エネルギーが足りないから?」
ナオミは声を大きくした。
「霧島さんは向こうに行ったら、戻れなくなっちゃうんでしょう。家族とも、友達とも会えなくなっちゃうんでしょう? 私、霧島さんを支えてあげますから。お願い」
話しているうちに涙声になった。
霧島さんも、双葉先生も去ったこの学校で、私は何を頼りに生きていけばいいんだろう。
そう、史学準備室は、先生の未来の日記は、この学校に残されたささやかな安息の地、私の最後の逃げ場だった。
あのノートを読みながら、私は心のどこかで、ずっと願っていた。
私もこんな風に、どこか遠くの世界に行きたい。
今いるところと違って、私が私のままでも、必要としてくれる人のいる場所で。
「先生……私、未来でも必要とされないの?」
ナオミは嗚咽した。
先生はずるい。
心から大切に思える人がいて、その人たちにこんなにも必要とされて。
どうして私は誰の役にも立てないんだろう。誰からも必要とされないんだろう。
何をしても空回りするばかり。先生でなくて、私が霧島さんを救えたらよかったのに……
「水城さん」
静かな声が落ちた。
ナオミは悟を見上げた。
「君はこの時代に必要な人間だ。君を移動させると歴史が変わってしまう。だから、未来に連れていけない」
「私が……?」
混乱した頭で考える。
私がこの時代に必要?
ここに居場所なんてないと思っていたのに。すぐ先の修学旅行のことですら、たまらない重荷なのに。
「私なんかに何かできるとは思えないです。私がいくらがんばっても、誰もついてきてくれない。クラスのみんなは私を嫌っているし……」
「憎まれ役も時には必要だ」
悟が微笑んだ。
「僕もどれだけ恨まれてきたか分からない。それでも、必要とされたから生きてこられた」
「私は、あなたたちみたいに特別な人間じゃありません。何の特技もないし、誰も私を必要としてくれない。心も読めないし……それどころかみんなが何を考えているのかぜんぜん分からないし……」
「君はまだ自分が見えていない。周りのことも見えていない。だから傷ついたり傷つけられたりする。でも、君も、周りの人間も、少しずつ大人になっていく。君が変われば、周りも変わる。そのうち自分の果たすべき役割に気づくはずだ」
悟の落ち着いた声は、ナオミの混乱した頭にも穏やかに響いたが、それでもまだ腑に落ちなかった。
自分のどこをどう変えたらいいから困っているのに。
私の果たすべき役割って何?
こころがかがみこんで、そっとナオミの手を取った。
「水城さん、見せたいものがあるの」
それから悟を見上げた。
「兄さん、少しだけこの子と散歩してきていいでしょう?」
悟が小さくうなずいた。
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