第20話 友達

 いい気分は、翌朝には打ち砕かれた。

 ロッカーの上へ、

 帰れ

 と、絵の具か何かで、でかでかと書かれているのを発見してしまったのだ。

 回れ右してこのまま本当に帰ってやろうかと思った。

 ああやって書かせておいたまま、無断欠席してやろうか。

 そうすれば、問題になるだろう。職員会議で、慌てればいい。双葉先生も、学年主任も。

 いっそ、学校を辞めてやろうか。来るなというなら、もう来ない。あんた達なんか、こっちから捨ててやる。

 けれど、ナオミの中の何かが自棄になりかかった気持ちをぐっと押しとどめ、ナオミは歯を食いしばった。

 トイレへ行って、用具置き場を覗きこんだ。

 モップ、タワシ、スポンジ、雑巾がいくつか。

 どれがいいんだろう。どうせ消すのならば徹底的に消したい。

 雑巾を少し湿らし、洗剤をつけてから、やっぱり写真を撮っておこうかなと思った。

 誰だか知らないけれど、やっぱり許せない。

 証拠写真を撮っておいてやろう。これ以上嫌がらせするなら、筆跡鑑定でもしてやりたいくらいだ。

 手を洗い、いったん廊下に戻った。

 霧島がロッカーの前に立って手を動かしている。

 まさか、霧島さんが?

 一瞬ぞくっとしたが、霧島の手にあるのが雑巾だということに気づいた。

 近づいてみると、もう、落書きはほとんど消えていた。

「幼稚なことをする奴がいるよな」

 霧島は『れ』の最後のはねを、丹念にぬぐいながら言った。

 それから、雑巾を持って、男子トイレへ向かおうとした。

「待って」

 ナオミは呼び止めた。

 霧島は立ち止まったが、なんだか急になんと言っていいか分からなくなった。

 ナオミはうつむいて小さく首を振った。

 霧島はそのまま黙って立ち去った。


 四時限目は、日本史の授業だった。

 去り際に双葉先生の見せた、心配げな表情が気になったけれど、ナオミはかえって意地になって、教室を後にした。

 あんな風におどおどした調子で様子を見られると、こちらまで一層不安になる。

 私に教室で食事をさせたいなら、どーんと胸を叩いて、大丈夫、私がついているから、任せなさい、ぐらい、言ってほしい。

 昼休み、どこで食事するかさんざん迷ってから、ナオミは中庭へ足を運んだ。

 弁当を口に運びつつ、今朝の落書きの件が何か書いていないかと、携帯で裏サイトを覗いた。

 今朝の件はなかったが、代わりに書きこみがあった。


 N、最近、昼休み見かけなくない? どこに行ってるんだろう。

 >知らん。

 >こっそり学外へ食いに行ってんじゃね。あいつならやりそう。

 >ていうか、どーでもいい。うち、友達じゃないしw

 >友達いないよね、あいつ。

  友達いない奴って、生きてて楽しいのかな?


 食欲が一気に失せた。

 陰口言い合いながら、つるんでるあんたらよりマシだよ、と、言ってやりたかったが、自分でも負け惜しみだと思う。

 双葉先生なら、なんと言うだろう。

 時代を越えて友達を探しに行く物語を書くくらいだから、友情は大切にしなさい、なんて、言うんだろうか。

 友達なんていなくてもいい、と、古瀬先生なら言ってくれそうだ。一人ぼっちで過ごした人は、後で成功すると言ってくれたんだし。

 だけど、やっぱり辛い、寂しい。

 生きてて楽しくないとは言わないけれど、こうやって書かれると、胸が苦しい。

 この先、一生一人ぼっちなんじゃないだろうかという気がして、恐ろしくなる。

 私には味方が誰もいない……

 そう考えて、ふと、朝、霧島が落書きを消してくれていたことを思いだした。

 そういえば、霧島さんにも友達がいない。

 去年までは、いたのかもしれないけれど、皆先に卒業してしまったのだ。

 平気な風でいるけれど、あの人も寂しかったりするんだろうか。

 それで、私の寂しさを分かってくれたんだろうか。

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