第17話 魔法の部屋

「君がこの世界で生きていくのに必要なものはそろえてある。が、魔法使いになるには少し慣れが必要だ。さて……」

 サルースは言って、思案するように両手をこすり合わせた。

「椅子を思い浮かべてみてくれ」

 サルースの言葉を聞いたとたん、私の脳裏に椅子のイメージが浮かんだ。

 小学校の頃から使っている、学習机とセットの木製の椅子だ。

 フリンジのついた水玉模様のクッションが敷かれていて、子供っぽいので変えたいと思っていたがそのままになっている。

「どれか選んで」

 どれかって? と、尋ねようとした時、椅子のイメージがいくつも浮かんできた。

 ダイニングの白木の椅子。朝ごはんを食べるのにもいつも使っているもの。

 テレビの向かいのソファ。

「どうすればいいんですか」

「どれかひとつに意識を集中して」

 私は自分の部屋の椅子に意識を集中した。

 すると、次第にイメージが鮮明になってきて、だんだんと強く輝き始めた。

「そこの床に置いてみようか」

 サルースが床の一点を指さした。

 私は反射的に床を見つめ、サルースの言葉を頭の中で繰りかえした。

 そこの床に置いてみる。

 どういうことだろう、と思ううちに、床が盛り上がり始めた。

 白い床がまるで泡立ったクリームのようにこんもりと膨れ上がり、次の瞬間には、ミルクのように流れ落ちた。

 流れ落ちた後に、見覚えのある椅子が置かれているのを見て、私は思わず息を飲んだ。

 サルースが、座れというようにあごをしゃくった。

 私は椅子の背もたれに触れ、おそるおそる腰を下ろしてみた。

「悪くないできだ。慣れないうちは、記憶の中から取り出すのが手堅いね」

 サルースが、手を振った。

 白い壁に模様が現れた。

 黒い部分やグレーの部分が現れ、出っ張ったり凹んだりし始めた。

 床からはテーブルが盛り上がり、壁の手前にテレビセットが浮き出てくる。

 またたくまにできあがったのは、私にはなじみの、うちのリビングだった。

 なんとも奇妙な感覚だった。

 私は見慣れたリビングにいて、自分の部屋の勉強用の椅子に座っている。

 サルースに見下ろされながら。

 私は我知らず、身震いした。

「怖がる必要はないよ。君の家のリビングにワープしたわけじゃない。君の記憶の中から、部屋のあれこれを引っ張り出しただけだ」

 サルースが言い、ダイニングの椅子を引いて、勝手に腰を下ろした。

「慣れればイメージしたものを作れる。といっても、自分で何かを正確にイメージするのは難しい。誰かの作ったものを買うか借りるかするほうがいいだろう」

 私は椅子に敷いたクッションの縁に触れてみた。

 フリンジのひらひらした触り心地は、私がいつも座っている椅子のそれと変わりないように思えた。

 こんなにリアルな椅子を、何もないところからイメージするのは、たしかに大変だろう。

 けれど、逆に言えば……

「正確にイメージさえできれば、どんなものでも作り出せるんですか?」

「ある程度の制約はあるがね。たいていのものは、我々がいるここ、ユニットが生み出してくれる」

「ユニットって」

「魔法の小部屋と言ったところかな」

 私はそれからいろいろなものを、部屋の中に生みだしてみた。

 かわいがっていたぬいぐるみ。お気に入りの帽子。ティッシュケース。

 家具や洋服ばかりか、食べ物さえ作りだすことができた。

 白いテーブルの表面がこぽこぽと泡立ち、中から皿やカップが現れ、その上へさらに目玉焼きやパンが、紅茶のような液体が現れるのは、滑稽でもあり、不気味でもあった。

 見た目が似ているだけでなく、食べることもできるという。

 サルースに勧められて試食してみると、目玉焼きもパンも、記憶とはかけ離れた味だった。

 本物よりも柔らかいし、ほんのりと甘い。

 おいしいものでもないが、まずいわけでもない。

 後で知ったのだが、この時代のものは、私からするとほとんどが薄味だった。紅茶に至っては、ほんのり甘い香りのするお湯と言ったところだ。

 だんだん慣れてきたので、サルースが<ライブラリ>の使い方を教えてくれた。

 何か想像する時に、白い靄だか雲のようなものを思い浮かべると、怒涛のようにさまざまな物のイメージが押し寄せてくる。

 私の記憶にある物ではなく、この世界の誰かが生み出して、登録した物たちだ。

 素敵な家具も、小物も、服も、部屋も、山のようにあった。

 私はそれらを部屋の中に置いては消し、置いては消しを繰り返した。

 如月高校の制服は、この世界では浮いているように思えたので、こころの着ていたようなワンピースをとりだし、鏡のついた試着室を設置して着替えてみた。

 さすがにこころのようには素敵にはならなかったけれど、そう見栄えは悪くなかった。

「着替えが済んだようだね。残るは靴かな」

 サルースが言った。

 私は靴のイメージを雲の中から取り出そうとした。

 たちまち無数のイメージが現れた。

 スニーカーに革靴、サンダル、ブーツ、下駄。

 ハイヒールが可愛くてついそちらに意識を向けてしまうと、ありとあらゆる色合い、ありとあらゆる素材のハイヒールが次から次に現れた。

 その中にひときわ目を引く靴があった。

 透明で輝くハイヒール。

 シンデレラのガラスの靴だ。

 半ば無意識に床の上にそれを置いた時、じゃらじゃらっと、金貨のような音が鳴り響いた。

「おっと、そいつは有料だ」

 サルースが笑いだした。

「映像のどこかに値段が書かれていただろう。プロの造詣家がデザインしたものには、高い値がつくんだよ」

 頭から血の気が引いた。

 ゼロがいくつついていたか記憶になかったし、そもそも単位の多寡が分からない。

「まあいい、君が使っても、あいつ(、、、)の口座から引き落とされるだけだろう」

 私は恐縮し、お兄さんに迷惑をかけないよう、無料のものだけ表示する方法を、サルースに教えてもらった。

 夢のような時間は長くは続かなかった。

 だしぬけに、ベルのような音が鳴り響き、私は身をすくめた。

 サルースが、おもむろに立ちあがった。

「さて、尋問の時間だ」

 立ちあがった途端、サルースの服が不思議な色に輝きだした。

 暗闇で見た装置と同じ、何と呼んでいいか分からない神秘的な色。

「これは神の色、と呼ばれている」

 私の疑問を感じ取ったのか、サルースが言った。

「そんな名前がついたのは、君の時代には存在しなかった色だからだ。従来の三原色では表せない内部感覚(クオリア)を刺激する。これはVOICEの幹部の正装でね」

 サルースの説明はよく分からなかったが、最後の言葉で分かったことがあった。

 この人も、VOICEの幹部に所属するということ。わざわざ正装をするからには、きっとこれから公式な取り調べのようなものが行われるのだろう、ということ。

『尋問』がどういうものなのか想像もつかなかったけれど、こころの逃げだした基地で、どんな扱いを受けるのかと思うと恐ろしかった。

 サルースは、私の記憶の中から、この部屋を引っ張り出したと言っていた。

 それならば、わざわざ私を尋問する必要などなさそうなものなのに。

「君の感じている通り、記憶は私のほうで保管済みだ。隠し事をする意味などないのだよ。君はただ素直に答えればいい」

 サルースは、私の顔を覗き込んでにやりと笑った。

「君はついてるぞ。リーダーのアウディ・サライにじかに会える機会なぞ、めったにないのだからな」

 私は、ハートの女王の前に引きずりだされる、不思議の国のアリスのような気分だった。

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