第16話 施術を受けて
『私はしばらく一人きりで、木漏れ日が躍るのを眺めていたが、光が次第に明るくなってきたことに気がついた。
木々の緑も、地面も、白い色に飲み込まれ、いつしか私は、影ひとつない、のっぺりとした白い空間に座っていた。
まぶしさにまばたきし、目をこすっていると、不意に後ろから声が聞こえた。
「久しぶりだな、お嬢さん」
ハッとして振り返ると、そこに見知らぬ男が立っていた。
「覚えていないか。まあ、無理もない。あの時なんと自己紹介したものか、鈴木だったか、佐藤だったか……私も忘れてしまったよ」
口の端をにやりと歪めた男を見て、私はようやく思い出した。
中学生の頃、お兄さんに連れられて、私はこの人と会ったのだ。
だが、どういうわけか、いくら見つめても、私はこの人の名前はおろか、顔を思い出すことも、記憶することもできなかった。
いや、ただひとつだけ印象に残っていたことがある。
人を実験動物のように眺めるこの目つきだ。
「実験動物とは少し大げさだな。君はたしかに私のような医者にとって、興味深い存在ではあるがね」
私が感じたことが相手に筒抜けだったことに気づいて、私は気まずくなったが、向こうは気を悪くした様子もなかった。
私は彼が感情の浅いタイプEの感応力者であることに少しだけ感謝した。
「もう名前を隠す必要もないだろう。私のことはサルースと呼んでくれ。さて、キズナ。私がやってきたからには、これから何をしようとしているのか察しがついているかね」
私は警戒してサルースの顔を窺った。
以前、サルースは私に施術を施して、人の心が見えるようにした。人体実験を楽しんでいるような彼の様子が、私にはどこか空恐ろしかった。
今度はいったい私をどうしようと言うのだろう。
「今度は心を見えるようにするわけではないよ、キズナ」
サルースが私の思考を読み取って言った。
「君の扱いを検討するのに、直接尋問してみたいと上の連中が言っていてね。そのためには、ある施術が欠かせない」
尋問するための施術、と聞いて私は恐ろしくなった。
嘘をつけなくする施術だろうか。
私はどうなってしまうのだろう。
「大丈夫、君の意志や記憶や個性をどうこうするつもりはないよ。さあ、力を抜いて。そこへ横になって」
半ば強制的に台座の上へ横たえられ、私は覚悟して目を閉じた。
部屋の明かりがほの暗くなると、心臓の鼓動も次第に静まっていく。
サルースの手が、私の髪に触れた、と思ったとたん、まぶたの裏に今までにみた景色が鮮やかに浮かび上がった。
暗闇の中で脈打っていたあの不思議な装置。
まるで宙に浮いているように見えたさくらの姿。
そういえば、さくらは今ごろどうしているのだろう。お兄さんに、こころに聞いてみればよかった。
今さらながら、さくらのことが心配になったが、さくらの姿も、その心配もどこかへ溶けていき、私は次第に混とんとした夢の世界へ引きこまれていった。
闇の中に白衣の男が現れ、早口で何か言った。
早送りするようなその言葉が、何度かリピートされ、引き伸ばされ、少女の声になった。
『お願い、絆、助けに来て』
形のはっきりしない男の唇に、さくらのピンク色の唇が重なった。
『あなた方の行為は、禁じられています』
さくらのあの謎めいた言葉の意味は、なんだったのだろうか。こころはさくらを通じて私に話しかけてきた。そのことと、何か関係があるのか……
まぶたの裏が赤く染まった。
私は目を開け、辺りのまぶしさにまばたきしていると、ふと影が差した。
サルースが覆いかぶさるようにして、私の顔を覗き込んでいた。
「一丁上がりだ」
さして興味もなさそうな声だった。
私は身を起こしたが、自分が何をされたのか分からなかった。
「私の言っていることが分かるかな」
意味が分からず、尋ね返す。
『どういうことですか?』
そう聞いたつもりが、私の口から飛びだしたのは、思いもよらぬ奇妙な音だった。
私は、ぎょっとして口を押さえた。
「われわれ感応力者と言えども、言語なしにコミュニケーションを取るのはなかなか大変なものでね」
そう言われて初めて、サルースが話しているのも、私の知る日本語ではないことに気づいた。
『私は、その……』
自分の口から流れでる外国語のような言葉に困惑しながら、私は日本語が話せなくなったのだろうかと不安になった。
「大丈夫、複数の言語を操れるようにしておいた。それだけじゃない」
自分が自分でなくなってしまったようで、戸惑っている私に、サルースは、口の片端を持ち上げて笑みらしきものを見せた。
「君は、魔法使い(、、、、)になったのだよ」』
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