第15話 変化する部屋

『お兄さんは、そこで、私が指輪をはめていないのに気がついたようだった。

「君はあのリングをどうしたんだ?」

 不審げにそう言われて、私は急に肩身が狭い気持ちになってきた。お兄さんは、私の身に危険がないようにと、指輪を渡してくれたのに。

 私は、今までの経緯を簡単に説明した。

 地下室の装置のこと。さくらのこと。指輪が輝きだしたこと。こころとの再会と、消えていったこころのこと。

 お兄さんは、小さくため息をついた。

「さっきの停電はこころのせいか。ここを出るのに、あのリングを使ったんだな」

「すみません、勝手なことをして……」

「悪いのは君じゃない。君はこころに利用されただけだ」

 お兄さんは優しく言ってくれたけれど、利用という響きは、なんだか嫌な感じだった。

 こころは、私に迷惑をかけてはならないと悩みながら、必死で助けを求めてきたのだ。

 どうしてお兄さんは、こころをあんな風に閉じこめておけたんだろう。

 私にこれほど親切にしてくれるお兄さんは、こころが苦しんでいるのを見て、なんとも思わなかったんだろうか……

 私がそう思ったのを感じ取ったのか、お兄さんは言葉を継いだ。

「言い方が悪かったかもしれない。だが、あいつにそのつもりはなかったとしても、君を危険に巻きこんだことは事実だ」

「こころは心細かったんだと思います。たった一人で、牢獄に閉じこめられて……」

 私はおそるおそる反論したが、お兄さんは同意しかねるように首を傾げただけだった。

「わざわざ牢屋にいることを選んだのはあいつだ。他の景色を選ぶことだってできたんだ。こんな風に」

 お兄さんが、手を持ちあげた。

 その途端、真っ白だった壁が、ほんのりと暗くなった。

 広げた手のひらに、どこからか、光の粒がさらさらと落ちてきた。

 手のひらからこぼれ落ちた光の粒は、床の上を踊るようにはねていく。

 それは、あまりにも幻想的な光景だった。

 転がった光の粒から芽が生えだし、草が伸び、黄色い花がぽつぽつと咲きだした。

 周囲を取り囲んでいた格子は伸び縮みして、ある部分は木の幹に、ある部分は蔦のカーテンに変わった。

 天井は青い空に変わり、うっすらと白い絹雲がかかった。

 鳥のさえずりが聞こえ、穏やかな風さえ吹いてきた。

 魔法のような変化を、私はただ呆然として見ていた。

 お兄さんが穏やかな声で続けた。

「『どこ』にいるか、というのは、この時代ではさほど重要なことじゃない。こころは、他の人と話したければ話せたし、打ち合わせに参加することだってできた。少なくとも、VOICEの基地の中同士ならね」

 今、私達の立っている場所は、心地良い林の中の空き地にしか見えなかった。

 木漏れ日の射す地面にかがんで、私は小さな黄色い花を摘みとってみた。

 鼻に近づけると甘い香りがし、香りに誘われたように、どこからか蝶々まで飛んできた。

 お兄さんが、木立のほうへ歩いて行って、手招きした。

 私は後について歩きだした。

 ソックスの下の地面は、やわらかい踏み心地がした。芝生の上を歩いているようだけれど、汚れたり、濡れたりすることもない。こんな調子ならどこまででも歩いていけそうだ。

 どんな仕組みになっているのか、壁に行き当たることもなく、私たちは木立の中を通り抜けた。

 茂みを抜けた先に、鴨の泳ぐ池が見えてきた。

 池のほとりに小さな小屋がある。おとぎ話に出てくるようなかわいらしい煉瓦作りの小屋で、赤い屋根の煙突から、ぽっぽっと灰色の煙があがっている。

 薪を積みあげた傍らに、丸太を割ったベンチがあり、私たちはそこに腰かけた。

「これはほんの一例に過ぎない。こころは、宮殿でも、海でも、砂漠でも、好きなところに行けた」

「まるで本物みたいだけれど……本物ではないんですよね……?」

「物理的には、僕らはまださっきの部屋にいる。どのみち僕らの時代では、こういう森を許可なく散歩するのは、禁止されているんだ。この方法なら、人間が動植物を損なうこともないし、危険な動物や虫に脅かされることもない。君はここが窮屈だと思うかい?」

 私は首を横に振った。

 これなら、閉じこめられているなんて感じない。

 本物以上に本物らしい。まるで天国みたいなところだ。

「双葉さん、君に悪気はなかったろうが、まずいことをしたのは事実だ。今、この基地は危険にさらされている」

 お兄さんの声は相変わらず落ち着いていたが、真剣な、言い聞かせるようなトーンに変わった。

 感情を持った普通の人だったら、怒鳴られていたかもしれない、と、ふと思う。

「先日、VOICEの支部に襲撃があった。スパイが送りこまれていたという噂が流れている。こころの姿がなく、見ず知らずの少女がいたら、みんなどう考えるかな?」

 私は、さっきの男の鋭い目つきを思いだし、薄ら寒くなった。

あの男は、私が政府の手先だと考えたのだろうか。

「ここを出てしまえば、こころも危険にさらされる。政府のディスカバラーなら、感応力の強い人間を見逃さない。事態はきわめて深刻だ。VOICEにとっても、君にとっても、こころにとっても。あいつにも分かっているはずなのに、すぐ目先の感情に流される」

「あの、私……」

 私は混乱して、何がなんだか分からなくなっていた。

 こころは、ここから逃げだしたいと言った。

お兄さんは、ここは牢屋などではなく、私が大変なことをしたという。

 私は指輪を渡したことで、こころをさらなる危険に追いこんでしまったのだろうか。

「大丈夫、君もこころも、僕が守る。ひとつだけ教えてほしい。こころがどこに行ったか、心当たりは?」

 心当たりなどまるでない。

 私が首を横に振ると、お兄さんは、かすかに眉をひそめた。

「探しに来いと言っておいて、何もヒントを与えなかったのか」

 私は困ってしばらく考えていたが、そこでペンダントのことを思いだした。

「これを、お兄さんに渡してほしいって言ってました」

 私は、こころの残したペンダントを手渡した。

 ブルーのペンダントは、木漏れ日の中でも、神秘的な輝きを放っていた。

「思ったよりエネルギーが溜まっているね」

「エネルギー……?」

「感情のエネルギーだ。こころが動揺すると予期せぬ逆流が起きてしまう可能性がある。このペンダントは、こころから溢れだした感情を一時的に吸いとる役目を果たしていたんだ。こころの感情エネルギーが計算以上に高まっていたか……いや」

 お兄さんは、少し考えるように首を傾げた。

「君の学校には、エネルギーが溜まっていた。君たちの時代には、霊とか残留思念とか呼ばれていた感情エネルギーが。地下室の装置は、君の学校に溜まっていた感情エネルギーをこちらへ送りこんでいた。君はエネルギーごとこちらの世界に時間(タイム)跳躍(リープ)したのかもしれない」

「こころは、それがお兄さんに必要なものだって言っていました。プロジェクトFを始めてほしいって……」

 お兄さんは、かずかに眉をひそめた。

「プロジェクトFを?」

「なんのことだか、分かりませんか?」

「いや……これがプロジェクトFに必要なことは知っている。だが、こころは、僕らに捜しに来いと言ったんだろう」

「はい」

「プロジェクトを始めたら、僕が外に出るのは危険だ。しかも、なぜ君まで巻きこむのか……あいかわらず言うことがめちゃくちゃだな」

 お兄さんは頭を振ったが、やがて言った。

「君の扱いを相談(、、)してくる。少しここで待っていてくれるかい」

 お兄さんの言葉に、私は緊張した。

 VOICEの人たちが私をどう扱うのか想像がつかなかったし、また一人ぼっちでここに置き去りにされるかと思うと心細かった。

 私の不安を感じ取ったのか、お兄さんは私の顔を覗きこみ、落ち着いて待っているようにと念押ししてから、蔦のカーテンの向こうに姿を消した。

 私はひどく不安なまま、森の中に一人取り残された。』

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