第18話 独りぼっちの理由

「勉強熱心だね、ずいぶん」

 声をかけられて、ナオミはドキリとした。

 霧島が、準備室を出ようとするところだ。

 あわててノートを閉じ、教科書と一緒に鞄の中に滑りこませる。

『私』と一緒に服や家具を選ぶのに夢中になり、これから未来で尋問を受けるつもりになっていた。

 時計を見ると、あと一分もすれば、午後の授業の時間だった。

 ナオミは急いで部屋を飛びだし、相変わらずノートは返せずじまいだった。


 放課後、双葉先生に声をかけられた。

「水城さん、ちょっと話があるの。いいかしら」

 どこか言いにくそうな口ぶりに、ナオミはドキリとした。

 史学準備室へ行って、先生はナオミをソファに座らせた。

 ノートの入っている鞄を思わず握り締め、ナオミは先生の怒声を待った。

 だが、かけられた言葉は、予想と違っていた。

「水城さん、何か困っていることがあるのじゃない?」

 気づかうように言われ、ナオミはいぶかって先生の顔を見た。

「気づかなくてごめんなさい。でも、あなたがこのところ、教室でお弁当を食べていないようだと聞いて」

 頬がかっと熱くなった。

 どうして知ったんだろう。

 誰かが話したんだろうか。

 古瀬先生? 霧島さん? それともほかの誰か?

 ここで食べているのを知ってカギをかけたのだとしたら、双葉先生もずいぶんイジワルだ。

 ふてくされたように黙りこんだナオミに、先生は言葉を重ねた。

「いけないと言っているわけじゃないの。ただ、何か理由があるのなら……」

「あそこにいたくなかっただけです」

 ナオミはぶっきらぼうに言った。

「教室の子たち……なんだか信用できないから」

「どうして?」

 双葉先生は、哀しげな顔になった。

 すごくうっとうしい、と、ナオミは思った。

 なんだか私が悪いことを言っているみたいだ。ひどいことをされているのは、こっちのほうなのに。

 ナオミはため息をつき、できるだけ感情を交えずに言った。

「机に書いてあったんです。アメリカに帰れって」

 双葉先生は、驚いたように目を見開き、それから顔を伏せた。

「もっと早くに相談してくれれば……」

 相談したら、どうにかなったんですか?

 ナオミは問い返したい気分だった。さすがに口には出せなかったけれど。

 犯人が誰かさえ分からないのだ。かといって、教室の皆の前で、『誰が書いたんですか?』なんて聞かれたら、最悪だ。

「私が気づくべきだったのかも。あなたは最近授業でも手を挙げなくなったし。あの文化祭の件で……」

「やめてください」

 ナオミは遮った。

 あれがよくなかったことは分かっている。でも蒸し返されるのはうんざりだった。

 だいたい、出し物を決める時から、うまくいかなかった。

 クラスの生徒達は、まったくやる気がない様子で、ほとんどアイディアが出てこない。黒板に書きだしたアイディアの半数以上は、ナオミがその場の思いつきでつけ足したものだった。

 多数決を取ろうとした時でさえ、ぱらぱらとしか手が上がらなかった。

 焼きそば屋と喫茶店に、五票ずつ集まったのが、最多だった。

『どっちがいいと思いますか?』

 候補をふたつに絞って、みんなの意見を募ったが、結局決まらなかった。

 ナオミと、足立 岳を除いて、どちらも十四票ずつ。

 決定権を握ったはずの岳は、

『委員長が決めたらいいじゃん』

 と、あっさりさじを投げだした。

 そこで、時間切れとなった。

 ナオミは、ほとんど一人で、喫茶店の企画をまとめた。去年の売りあげの調査や、仕入れの確認もした。

 なのに、翌週のホームルームでそれを発表し、もうすぐ終わりという時間になったころ、突然、岳が言いだしたのだ。

「やっぱり焼きそば屋がいいな、俺」

 そうだそうだ、と賛同する生徒が出てきた。

「もう一度多数決とろうよ」

「でも、明日にはもう企画書を出さないと」

 なぜこんなにギリギリになって文句をつけ始めるのかと、ナオミはいらいらした。

「だってさあ、エプロンつけて、いらっしゃいませぇ、ってやるんだろ。女子はいいかもしれないけど、俺たちはさあ」

「だったら、服装を変えたらいいです。黒いエプロンにしてもいいし。それはまた来週考えましょう」

 ホームルームのチャイムが鳴った。

 廊下に出る時、岳が乱暴にこう言うのが聞こえた。

『やっぱりな。結局、全部自分で決めるんじゃんかよ』

 あのブログの書きこみを見たのも、その少し後だ。

 でも、書いたのは岳ではないように思う。岳はそういう、陰にこもったタイプに見えない。不満を持っていて、口には出さなかった他の誰かだ。

 悔しかった。

 意見があるなら最初に言えばいいのに。私だって、初めから喫茶店がやりたかったわけじゃないのだ。

 本当を言うと、一番やりたかったのは、フォトクラブだった。仮装の衣装や、垂れ幕、段ボールを切り抜いたものなどいろいろ用意して、ポラロイド写真を撮る。

 お客さんにもいい思い出になるし、ただのお店よりも面白そうだと思った。

 多数決に従って決めたのに、こんな風に言われるなんて。

 クラスの半数は、やる気をなくしているようだった。放課後もろくに人が集まらず、飾りの準備もちっとも進まない。

 部活の試合があるとか、出し物があるとかで、タイムテーブルもなかなか埋まらなかった。

 他の人の抜けた分を穴埋めするのに、ナオミは奔走しなければならなくなった。

 グループの友達や、まじめそうな男子に頼みこみ……

 どうにか最低限の人をかき集めたが、文化祭当日は雨で、お客さんも少なかった。

 誤算はそれだけではない。

 お菓子を買いにいった杏莉(あんり)は、まちがえて予定より高いのを買ってきた。それに合わせて単価を計算しなおしたところ、他の店より価格が高くなり、ぐっと集客が減ってしまったのだ。

 志(し)帆(ほ)はお茶をこぼし、皆でお客様のクリーニング代を出すはめになった。

 誰だか分からないが、会計を間違えた生徒がいて、千円ほど計算が合わなかった。

 タイムテーブルに間に合わない生徒もいた。

 ともかく終わったころには、へとへとだった。

 集計をとってみたところ、打ちあげに使う収益が出るところか、収支は赤字で、クラスじゅう、どんよりした空気が流れていた。

 クラスの中に、ぴりぴりした敵意を感じた。

『うーん、不満に思ってる人もいるみたいだね』

 陽菜に尋ねると、微妙な返事が返ってきた。

『うちのクラス、さぼっている人が多かったでしょう。お陰で、私たち、当番ばかりで、一日中ほとんど他を回れなかったから……』

 その次のホームルームのとき、ナオミは体調を崩した。

 風邪をひいて寝こんでいたたら、裏サイトに仮病だろうと書かれた。

 赤字を出したことをみんなに責められるのが嫌で、ズル休みしたのだろうと。

 もううんざりだった。

 クラス中のみんなが、自分の悪口を言っているみたいに思えた。

「どうしたらいいか、全然分かんないんです。ほんとに」

 ナオミは、双葉先生に言った。

「頑張れば頑張るほど嫌われるんだったら……もう何もしたくないです。文句があるなら、面と向かって言ってほしい。影でこそこそ悪口を言うような人たちと、こっそり嫌がらせをするような人たちと、一緒になんかいたくない。お弁当だって、一人で、ひっそりと食べていたいです」

「でも、心配している人だっていると思うわ」

「だったらなぜ、一緒に食べようって誘いに来ないんですか。誰も言ってくれないですよ、そんなこと。教室に戻ってきてほしいって」

「あなたは強い人だから」

 双葉先生が言った。

「みんなは、あなたほど強くないから……」

 ナオミは耳を疑った。

 まるで、みんなを庇護しているみたいじゃないか。

 私が、何も感じない鉄面皮みたいに。

 いじめられているのはこっちのほうなのに。

 ナオミは耐えきれずに立ちあがり、準備室を飛びだした。

「水城さん……!」

 後から声が追いかけてきたが、もう何も聞きたくなかった。

 トイレへ駆けこんで、嗚咽した。

 ほら、私はこんなにも弱い。

 一人でひっそりといたいなんて嘘だ。

 本当は、仲間が欲しい。一緒に笑ったり、はしゃいだり、励ましあったりしたい。

 だけど、私はあの教室が怖い。皆がにこにこして、陰で悪口を言い合っているあの教室が、たまらなく怖い。

 一度出てきた涙は、なかなか止まらなかった。

 ナオミは子供みたいに、泣き続けた。

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