第19話 ささやかな実験

 翌日は、学校に行くのがひどく憂鬱だった。

 双葉先生の授業の間、ナオミは先生と目を合わせないようにしていた。

 昼休みには、どこへ行こうか迷った末、化学準備室へ向かった。

 史学準備室へ行くような気分ではなかったし、もし古瀬先生が双葉先生に言いつけたのだとしたら、文句のひとつぐらいは言ってやりたかった。

 古瀬先生は相変わらず何かの実験に没頭しているようだった。

「こんにちは」

 ナオミがあいさつしても、ちらりと目をあげてうなずいただけで、それ以上何も言わない。

 仕方なく、ナオミはカウチに座って黙々と食事を始めた。

 食事を終えた後、ナオミはとうとう我慢できなくなって、古瀬に尋ねた。

「古瀬先生、私のこと、双葉先生に何か言いましたか?」

 ちょっと詰問するような口調になってしまって、自分でも反省したが、古瀬は意に介した様子もなく、何のことかという風に首を傾げた。

「最近教室で食事しないのかって、双葉先生に聞かれて」

「そう。双葉先生は優しいからね」

 どうにも話がかみ合わない。

 あれが優しさとは、ナオミには思えなかった。

「影でこそこそ悪口を言うような人たちと食べるぐらいなら、一人で食べるほうがいいって、言いました」

 古瀬が笑い声をあげた。

「強いね、君は」

 まただ。

 どうしてみんな誤解するんだろう。

「強くなんかないです。怖いだけです」

 眼鏡の奥から、じっと古瀬が自分を見つめている。

 何か言わなければいけない気がして、ナオミは話を続けた。

「みんなが何を考えてるのか、全然分からないんです。直接聞いても、思ったことを言ってくれないし」

 古瀬は小さくうなずく。

「古瀬先生は、心を読みとる力とか、虫や植物に人の心が通じるかということを、研究していましたよね。私もそんな風にテレパシーが使えたらいいのに」

 古瀬はしばらく何か考えている風だったが、やがて静かに立ちあがった。

「まだ木曜日にならないけど、実験に協力してもらえるかな?」

 てっきり、植物を使った実験をするのだと思っていた。

 人間の念じたことで植物が何か反応するかどうかとか、嘘を見抜けるかどうかとか。

 あるいは、先生の専門だという超心理的な実験するかもしれない、とも考えた。

 隠し持ったカードを当てるとか、相手の念じたものを選ぶとか、テレパシーの実験によくあるようなもの。

 ところが、古瀬先生は、ナオミの前にパソコンを広げ、動画を再生してみせたのだった。

 日本人、外人、いろいろな国の人が出てきて、何かひとことずつ話す。日本語だったり英語だったり聞いたこともない言葉だったりする。

 それを見て、選択肢からふさわしいものを選べという。

 選択肢は日本語だった。

『うれしい』、『哀しい』、『怒っている』などと書かれている。

 何のことやら分からぬまま、ナオミは言われた通り、動画を見ながら、下に並んだそれらしき選択ボタンをクリックしていった。

 しまいにいくつかのグラフと、外国語の説明文らしきものが現れた。

 なんのことやらさっぱり分からないので、ナオミは古瀬のほうを振り返った。

 最後に出てきた結果を眺めて、古瀬はあごをなでてうなずいた。

「思ったとおりだ。君は、ノンバーバルコミュニケーションが苦手なようだね」

 聞きなれぬ言葉に、ナオミは顔をしかめた。

「コミュニケーションの半分以上は、実はノンバーバルコミュニケーションだと言われている。言語以外のコミュニケ―ション、ということだね」

「テレパシーみたいなものですか?」

「いや、そんな大層なものじゃない。しぐさとか、表情なんかのことだよ。ちょっとした間合いや口調なんかも含まれる」

 少々拍子抜けした気分だったが、古瀬先生はいたってまじめに、言葉を選ぶようにしながら続けた。

「人は、うれしいと言いながら怒っていたり、笑顔に見えて悲しんでいたりする。そういうサインを見落とすと、コミュニケーションに失敗する」

「私が悪いっていうことですか? 他の人のサインを見落とすから」

「そんな風に聞こえたかい?」

「……違うんですか……」

「僕はただ、君のコミュニケーションの傾向を話しただけだ。君は、人の言ったことを言葉通りに捉えがちだ。障害というほどではないけどね」

 ナオミは眉をひそめた。

 よく分からないけれど、病気みたいに言われてあまりいい気はしなかったのだ。

「君はずいぶんまともなほうだ。僕に比べたらずっとね。子供のころ、あれやこれや言われたよ。医者から、広汎性発達障害なんていう病名までもらった」

 ナオミは驚いて、目をしばたたいた。

 古瀬先生は肩をすくめた。

「それでも今はこうやって、まあまあ普通に生活している。君は大丈夫だ。自分の意見をきちんと言えるし、自分をしっかり持っている」

「そうでしょうか」

「子供のころ、いじめられたり、一人ぼっちになったりした人ほど、後になってから成功したりするんだよ。君は大人になったら、きっと大きな仕事を成し遂げる。僕なんかよりも、ずっとね」

「まさか」

 古瀬先生は、眼鏡を押しあげ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「賭けてみるかい?」

 ナオミはつられて笑った。

 古瀬先生の話を信じたわけではないけれど、なんとなく肩の力が抜けたように感じた。

 今の状態が永遠に続くわけでないと思えただけでも、ありがたかった。



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